第29話 父の敵と岡崎にて話す
岡崎城 一色政孝
1561年秋
岡崎城は立派な城だった。
これが城下町から岡崎城を見上げた率直な感想であった。大井川城よりも随分と大きい。
その後忠次に案内されるがままに城内の一室へと入った。元康の用意が出来たらまた呼びに来るとのことだった。
「立派な城ですな」
「あぁ、ここは元々”
「お詳しいのですな。私は清康殿が居城にしていたということくらいしか知りませ
なんだ」
「詳しいのはな、雪斎様が教えてくれたのと戦に出ずに勉学を続けたことが原因だろうと思っている」
とまぁ、前世の知識をひけらかしながら忠次がやってくるのを待っていた。他の者らは別室待機だ。元康と会うのは俺と道房の2人のみ。
しかし幾ばくか待った頃、にわかに廊下の方が騒がしくなった。
「忠次殿でしょうか?」
「・・・、違うな。足音は2つ。1つは遠慮がちに静かに歩き、もう1つは気にした様子もなくドカドカと歩いている。静かな方の足音的には小走りでもう1人について行っているのであろう。おそらくだが主従関係がその間には存在している」
「よく分かられましたな」
そしてその足音はだんだんとこちらに近づいてくる。それと同じくして話し声も聞こえるようになってきた。
『殿、いくらなんでも勝手に城内をたち歩かれるのは・・・』
『気にするでないわ。いざというときは逃げ帰り、即戦の支度をする。まだ足場の固まらぬ元康を攻めれば良いだけではないか』
『あまり無茶なことを・・・それにその元康殿の居城でそのような事を言われるのはあまりに危険ではないかと』
『わかっておらぬな。ここまで俺が自由にしても、元康が俺との縁を切ることは決して無い。あやつには背後を、尾張方面を守る力など無いのだからな』
あまりに物騒すぎる会話に道房は腰の刀に手をかけた。
わずかに緊張した様子である。おそらく薄々勘づいているのだろう。忠次が言っていたもう1人の客人。
尾張のうつけ殿、織田信長であることを。
俺もそう思う。側にいる者が“殿”だと言った。信長と思わしき者が“尾張”と言った。自国で無いにもかかわらず平然と物騒なことを口にする。その破天荒さは常人ではない。
俺の持っている知識が史実通りだとするのならば、間違いなく声の主は織田信長だ。
部屋の中は、警戒心を最大につり上げた道房によって空気が固まっているのではないかと思うほど重く感じる。
俺も声をかけることができない。道房にとって主を討った敵なのだ。
部屋と廊下を隔てている障子に2人の影が映った。2人は対照的な体型をしている。小柄と大柄。間違いなく大柄の男が信長。
そしてその影は部屋の前で立ち止まった。
『殿?』
『わからぬか。この部屋より尋常でない殺気を感じるではないか』
『まさか・・・』
道房はすでに鯉口を切りいくらでも斬りかかる構えになっている。
「道房、その手を離せ」
「しかし!」
外には決して漏れぬよう小声で指示を出す。ここは元康の城だ。今川の家臣である一色よりも、尾張をほとんど掌握している織田との関係を優先するのは当然のことだ。俺達はこの地から間違いなく大井川城に帰ることは出来なくなる。
「堪えよ。それにこれは俺の望んだことだ」
「・・・かしこまりました」
唇より血が流れるのが見えた。父に対する忠誠心の篤さに感謝した。そこまでに敵を取ろうとしてくれたのだと思うと、敵地にてさらに重要人物を斬ること自体は許されたものでは無いが、その気持ちは素直に嬉しく思う。
そして直後、何の前触れもなく障子は開けられた。
太陽の光で顔が陰ってよく見えない。しかし不敵な笑みをしているのはよく分かった。
「ぬしは何者だ」
「今川家臣一色家当主、一色政孝と申します。失礼ですがお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「俺は織田、織田信長だ」
漏れ出る殺気を必死に押さえようとしているのがわかった。信長と名乗ったその男の隣にいる者がそれに気がつき警戒し始める。
「やめよ、サル。俺の望まぬことをするでない」
「申し訳ありませぬ!」
どうやら隣にいるのが豊臣秀吉、いやこの時期だとまだ木下藤吉郎か。しかし思ったよりもサル顔ではないな。やはり後世の書物はあてにならないと思った。こうやって実際に自分の目で見てみるのが確実だと。
「あなた様が、織田様でしたか。桶狭間での華麗な戦ぶり、義元公に付き従った我が家臣の者より聞いております」
「ふむ、予想していた反応と違うな」
「・・・どういう反応を期待されていたのかは存じませぬが、私自身一度織田様にお会いしたいと思っておりました」
少し頭を下げてから、信長の顔をのぞき見る。どうやら驚いてくれたらしい。
確かにこの男の家臣が父を討ったのだが、それよりも前世より憧れた織田信長に会えた喜びの方が勝ってしまっている。親不孝者だと思うのならばそう思えば良い。しかしこればかりは俺の譲れないものの1つだった。
「よく分からん男だな。さきほど殺気が漏れ出ていたのが嘘のようだな」
「おそらく桶狭間に父と共に参陣していた家臣のものではないかと」
信長は道房をチラッと見た。
「服部一忠という男を知っているか」
信長はそう道房に問いかけた。服部一忠といえば史実で義元公を追い詰めた者の1人だったはずだ。
「・・・亡き殿が一太刀浴びせた者にございます」
憎悪の感情を見られぬ為だろう。ひたすらに頭を下げたまま道房は答えた。
「なるほどな、では間違いは無い。一忠と新介が言っていたとおりだ。政孝と言ったか、良い家臣を持っているのだな」
「まことに。私には過ぎたる者らだと思っております」
「であるか。実は俺はぬしにも興味をもっておるのだ。一つ問う」
「なんなりと」
「ぬしからもまた尋常でないものを感じている。・・・今川は長くは持たん。沈み行く泥船にいつまでしがみついておくつもりだ。負け戦をするつもりでいるのならば俺の元へ来い。その豪胆さ、俺なら高く評価してやれるぞ」
「ありがたいお言葉ですが、それは出来ません。私の父は今川家を守って死にました。私もその気持ちだけは同じです。たとえ織田様と戦うことになったとしてもこれだけは譲れません」
少し残念そうな顔をしたのが分かった。まぁ良い印象を植え付けられたのではないだろうか。先に言っておくが、決して信長にゴマを擂るためにやったのではない。
これもまぁ駆け引きだ。今川は未だ崩れはしない。元康を使って攻めても無駄だというアピール。
「残念だな、サルよ」
「そうでございますね」
「まぁよいわ。もう少しぬしと話したかったのだがな、時間切れのようだ」
廊下の向こうがまた騒がしくなった。おそらく部屋にいない信長を元康の家臣らが探し回っているのだろう。
信長は俺の前から立ち上がり部屋から出て行った。ひでよ・・・、藤吉郎もまたそれについて出て行った。
「俺を恨んでいるか」
「いえ、私は殿のご意志に従うのみにございます」
手を強く握っているのがわかった。今の言葉に道房自身が完全に納得できているわけではない。
道房だけではない。時宗も佐助も昌友も他の家臣らも、父を討った織田を許すことなど出来ぬだろう。それでも今川が生き残るには信長と繋がりを持っておくのもやはり重要なことだと思うのだ。
※毛利良勝・・・新介
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