第15話 身は岡崎に、心は政孝に

 岡崎城 松平元康


 1561年夏


「それで政孝殿は何と?」

「今川のごたつきが片付き次第、お久様をお迎えするとのことらしい」

「ごたつきですか。我らとしてはいくつも心当たりがありますな」


 忠次が悪い顔でそんなことを言う。といっても指示を出しているのは私だ。今川をバタバタさせているのは間違いなくこちらから仕掛けている離反騒ぎのことであろう。


「井伊谷と引馬はすでにこちらの動きに同調すると密約が交わしてあります。残念ながら吉田は乗っては来ませんでしたが、背後の城がこちらにつけば落とすことも容易くなるでしょうな」

「まだ幼いゆえ許嫁という関係性であるとはいえ信長殿との盟も成った今、急ぎ三河を抑えねばならん。吉田城の攻略は必須事項である。忠次、頼むぞ」

「かしこまりました」


 と、そこへお久様がやってこられた。忠次は頭を下げた後私の前から下がり、そこへお久様が座られる。


「悪いですね、忠次」

「滅相もございませぬ」


 再び頭を下げた忠次に軽く会釈したお久様は私に一通の手紙を差し出される。


「これは?」

「一色の忍びだとその者は申しました。名前までは聞いていません。その方が政孝様より預かりし文があると」

「忍び・・・。この城には対忍びの備えが全く働いていないということだな」

「今度皆に話してみましょうか」

「頼む」


 忠次に託してから、お久様より受け取った手紙を開ける。確かにそれは政孝殿の文字であった。

『近々引馬城主飯尾連龍の討伐に従軍いたします。連龍はこともあろうか、義弟にあたる元康殿と密約を結んでいると言われたのです。これは義兄として許せるものではありません。よって松平の面目を守るためにもこの戦必ず勝ちましょう。そして西遠江が落ち着き次第お迎えに上がります。どうかあと少し待って頂きますようお願いいたします』


「なるほど。政孝殿は松平の顔に泥を塗った飯尾連龍を討伐するため、手出しはするなということをお久様に宛てた手紙を通して警告してきたのですな」

「まぁ先に手を打たれれば連龍を見捨てるつもりではあったが、こうも周到に用意されると、本当に何も介入できぬな」

「こうなれば互いに消耗して貰うほか無いでしょうな。いくら援軍が無いとはいえ遠江の要の城。多少は今川の兵を削れましょう」

「そうであることを願うばかりよ」


 忠次と話していて気がつかなかったが、お久様は随分と不機嫌そうなお顔をされている。それも当然か。我らは今川が弱ることを祈っているのだ。自らは近いうちにその沈み行く船に乗るというのに。


「元康殿、一つ聞いてもよろしいですか」

「何でも聞いてくだされ」

「政孝様はこの戦が初陣になるということですね?」

「そうなりますね。これまでなかなか機会に恵まれなかったと聞いておりますから」

「無事に私を迎えに来てくれますか?」


 お久様は政孝殿のことを詳しく知らない故仕方が無いだろう。

 長い付き合いである私であるから言えることもある。


「間違いなく迎えに来ますよ。以前も言いましたが、あの方は尋常ならざる者です。圧倒的な力の前ではどうすることが出来ずとも、小さな力の中では間違いなく群を抜いております。それだけはこの私が保証いたしましょう」

「そうですか。それを聞いて安心いたしました。では手紙を返してください」

「そうでしたな」


 元通りに手紙を折りたたんでお久様に渡す。


「ひとつだけ言っておけなければいけないことがあります」

「なんでしょうか?」


 お久様は一呼吸置かれた。

 そして改めて私や忠次を見る。


「再び私の旦那様になるお方の不幸を喜ばれるようなことを言われたときには遠慮無く斬ります。気をつけなさい。私はあの日より、この身は岡崎にあろうとも気持ちはすでに政孝様のもとにありますから」


 その時ようやく気がついた。お久様の懐には小刀が仕込まれていた。万が一、私が引馬に連龍を助けるために援軍を送ると言えば刺されておったやもしれん。

 すでにお久様の心は政孝殿の元にある。

 長年相手が決まらず、私も家臣らもそしておそらくお久様ご本人も気にしていたであろう。姉様の気持ちを政孝殿はしっかりと掴まれたようだ。


「危ないところでしたな。殿のご英断のおかげで命拾いいたしました」

「真に運がよかったわ」

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