第14話 飯尾連龍の離反

 今川館 一色政孝


 1561年夏


 飯尾連龍が氏真様の命に応じたのは、数ヶ月経った夏のある日のことだった。

 大井川城にいた俺も急遽今川館へ登城するように伝えられて、慌てて用意して参上したのだ。

 前は俺が氏真様に用があったため謁見の間の中央に座っていたが、今回はいち家臣として参加している。前の俺がいた場所には余裕綽々といった様子の連龍が座っていた。

 俺が座っている場所は一門衆の座っている席の末席になる。ちょうど正面は一門衆ではないものの、長年今川に使えている重臣達が座っていた。

 ちなみに一門衆だが、一色の他にも瀬名・小笠原・鵜殿うどの牟礼むれなどがいる。築山殿が瀬名姫と呼ばれていたことからも分かるように、瀬名姫の父である関口親永は瀬名家当主である瀬名せな氏俊うじとし殿の実の弟に当たる。瀬名せな氏貞うじさだ殿の次子として生まれたこともあって、築山殿が瀬名姫と呼ばれることがあるのだ。

 話は逸れたが、つまり1番俺が年下だし、一門衆としての歴も浅いから末席というわけである。


「連龍、何故麻呂の登城命令を長らく無視しておったのだ。その理由を述べよ」

「無視?殿は何やら勘違いをされておりますぞ。儂は殿の命を無視してなどおりませぬ」

「なに?」


 早速険悪な雰囲気だ。もし一色の影響で歴史が歪んでいなければ、飯尾連龍は間違いなく裏切る。今回登城したのだって驚いたくらいだ。このまま松平の配下として引馬城を占拠するのだと思っていた。

 まぁそうなれば即座に討伐軍が起こされ俺の初陣もそこになっただろうが。しかも引馬城の飯尾連龍の討伐戦は今川側にもそこそこの被害を出したはず。無いなら無いで良いとは思うけど、こいつを信じられるわけもない。


「儂は殿からの急な登城命令に対して、最大限早く駆けつけたと思っておりますが」

「麻呂が命を出したのは一体いつだと思っておる」

「はてはて・・・。ざっと2ヶ月ほど前でしたかな」

「何故2ヶ月もかかる。ここにおる者らはつい先日、ぬしが登城するというから急遽呼び寄せたのだぞ。それでも全員集まれておるではないか」


 しかし連龍の余裕ぶった表情は崩れない。まぁそうだろうな。その詰めではあまい。俺達とは全てにおいて状況が違うのが引馬城だ。もし今川の忠臣であれば易々とあの城を空けることなんて出来はしない。あそこは要所なのだ。だからある程度備えはしておく必要がある。

 現になかなか登城しない連龍に氏真様がイライラしていた頃、引馬城で兵を集めているという話が聞こえてきた。当然状況のわからない東遠江や駿河の者らは焦った。やはり裏切っていたのかと。しかしそれは正真正銘の忠臣が城主であっても同じであったであろう。

 違うことがあるとすれば、しっかりと氏真様に説明した上で実行したか、そうでないかくらい。


「殿はこの状況をわかっておられぬようですな。まだお若いゆえ仕方の無いことでしょう。ですから僭越ながら儂がご教授させて頂きます」


 ムッとした表情をしたのは、1人や2人ではなかった。泰朝殿は表情を変えていない。これは流石と言えるだろう。


「まず儂が任されております引馬城は、今川が遠江を支配するために必ず押さえておらねばならぬ地でございます。我らの北に位置する井伊谷城はすでに静観を決め込んでいる様子。であれば双璧と言われた遠江防衛線も今や壁は一つにございます。さらに!松平は一色と婚姻を結んで以降さらに活発に動き始めたようにございますな」


 そう言いながら俺に一瞬視線を移した。わざわざ一門衆の座る列でも一番後方の俺に。まるで俺が原因とでも言いたいのかもしれないが、一色との婚姻がなくても松平の動きは活発になっていたわ。

 なんせ今や松平の背後には織田がいる。残念ながらまだ尾張の統一には手こずっているし、美濃攻略も上手くはいっていないが、それでも今川家にとってみれば織田との戦で勝つというイメージは現状わかないだろう。それほどまでに桶狭間ではいいようにやられてしまった。


「儂が万が一留守にしている際に松平が攻めてくれば如何いたします。ここには遠江で城を任されておる者らもおりますが、防衛の備えは当然出来ておるのでございましょうな」


 鼻で笑うように周りを囲んでいる家臣を一瞥した。正直ここで斬って引馬城を別の者に任せた方がいい気までしてくる。

 それくらいこいつは今川という家を見下しているのだ。


「連龍殿、口が過ぎますぞ」


 泰朝殿の注意に対して、


「・・・申し訳ないな。儂は別にそなたらを蔑む気など無かったのだ」


 なんて言いながら目が笑っていやがる。末席とはいえ連龍の表情がよく見えるこの席はやはり遠慮したい。よくもまぁのうのうと登城できたものだ。


「さて、では儂も殿にお聞きいたします。万が一、儂がなんの備えもせず、命に従って即刻登城したとして、そのときに松平が攻めてきていたならば如何いたします。殿は今川を潰すおつもりですかな」

「連龍殿!いい加減にせよ!!殿を愚弄するつもりか!」


 怒鳴ったのは俺の反対側にいる岡部元信殿だった。俺の監視についている正綱殿の兄。


「儂は殿に聞いておる。おぬしは黙っておれ」

「何を!?」

「やめよ、2人とも」


 間に入ったのはやはり泰朝殿だった。連龍は相変わらずだ。その態度はやはり家臣を煽るためだったのだろう。そしてそんな表情をみて、元信殿の怒りは収まらないようだ。


「元信、麻呂のために怒ってくれたことまこと嬉しいぞ。しかし連龍のいっていることも尤もだ。連龍、麻呂は決して今川を潰したいなどと思っておらん。しかし連龍に離反の噂があるのはそなたも知っておろう。我はただそなたの本心が知りたい」

「本心。本心にございますか・・・。では言わせて頂きましょう。儂は最早傾いた今川に仕えることは出来ませぬ。これより城に戻って戦支度をいたします。如何いたしますかな、ここで儂を捕らえて斬られますかな」


 まるで捕らわれないと分かっているように堂々と立ち上がった。まぁ良く言えば心優しい、悪く言えばどこまでもあまい氏真様にその決断は出来まい。だから助け船を出す。


「畏れながらよろしいでしょうか」

「政孝か、許す。何であろう」

「ここは連龍殿を行かせればよろしいかと思います。そして戦をして引馬城を再度今川の手で押さえるのです」

「何故だ。ここで斬れば戦を起こす必要はないのだぞ」

「ここで連龍殿を斬れば現在引馬城に残っている者らが暴走するでしょう。そうなれば泥沼。我らも城に戻って戦支度をする時間が必要となりますゆえ、被害はさらに大きくなります。それにその松平と関係を結んだ故知っていることも御座います。元康はしばらく遠江の動乱に関与してきませぬ」


 最後の言葉に驚いたのは連龍もだった。なんだ、当てが外れたのか?残念だが元康は三河の制圧に忙しい。岡崎から引馬まで援軍を出してくる可能性は無いに等しいわけだ。


「皆はどうだ?」


 氏真様が周りに問われた。その場にいた者の大半が頷く。

 しかし頷いていない方が1人いた。


「長持殿、どちらにつくか早々に決められた方がよろしいかと」

「分かっておる・・・」


 鵜殿うどの長持ながもち殿の娘で椿という方が連龍に嫁いでいる。もし引馬が落ちたとき彼女はどうなるのか。長持殿も難しい決断を迫られたものだな。

 そして困惑している長持殿を尻目に連龍は「御免!」と言ってドシドシ音を鳴らしながら出て行った。

 さて、これで俺の初陣も決まったな。如何に迅速に被害を最小限に落とせるかが、この戦の重要ポイントだ。

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