第10話 無名の当主、その者何者か

 清洲城 織田信長


 1561年春


「五郎左、そろそろか?」

「そろそろですかな。井伊谷にも人をやって探らせております」

「竹千代と一色の婚姻、成ると思うか」

「松平の存在意義を感じ取っていれば、成ってもおかしくはないかと思います」

「そうか。にしても一色の当主とはどんな男だ」

「現当主はまだ謎に包まれておりますな。噂では初陣もまだだとか」

「すでに元服は済ましているのであろう?随分と大事に育てられたのだな。軟弱者か?」

「さて、それはどうでしょうか。しかし長年今川にいた元康殿が婚姻を、それも久姫様を送るとなればただ者ではないのやもしれませんぞ」

「であるな」


 竹千代、今は元康と名乗っているのであったな。あの人質だった竹千代が今では西三河の主とは。人の生とは何が起こるか分からぬゆえに、この世はまこと面白いと思わされる。

 さて、しかしそうなると元康よりも気になる者が出来てしまった。

 元康が味方に引き込もうとしておる一色某とやら、一体どのような男なのか。


「にしても元康殿はやられましたな。あの噂がなければ我らの元康殿の評価は肝の据わった大胆な男となっていたことでしょう」

「であるな。すでに井伊谷が味方になっているのであれば、何も恐れることはあるまい。堂々と行けよう。むしろ井伊谷の状況を知っていたであろう一色が行ったことの方を評価せねばならん。ただの馬鹿か、それとも知恵者か」

「おそらく後者かと。現に我らの興味は一色殿に釘付けにございますれば」


 そういうことよ。元康の強かな策を早々に看破し、逆手にとって他国に名を売った。


「五郎左。その者、名を何というたか」

「一色政孝殿にございます。お年は19だったかと」

「若いな。誰かが後見についているといったことはあるか」

「いえ、前当主は桶狭間にて討ち取っております。ですが随分と強うございましたな。そしてその首級も得ることは出来ておりませぬ。側にいた者達もまた強うございました」

「桶狭間で死んだ一色・・・。たしか小平太に一太刀いれた者であったか。名は確か一色政文と言うたか」

「おそらくその者でしょうな。今川の兵がちりぢりになって撤退している中で唯一大将から離れず、その身を守り抜こうとした忠臣であったと」

「忠臣の子は忠臣だと思うか」


 五郎左は何も言わずに首をひねった。まぁそうであろうな。一色政孝はこれまで一切名を聞いたことが無い者であった。それを憶測で評価するなど愚の骨頂。

 しかし困ったことだ。その男に興味を持ってしまった。


「五郎左」

「いくら殿の命とはいえ、無理なものは無理にございます」

「俺はまだ何も言っておらんではないか?」

「わかります。何年殿に仕えているとお思いか。大方一色政孝殿に会えるよう手配せよと仰せになることくらい目に見えております」


 真によう分かっておるわ。しかし俺は一度決めたことは絶対やり遂げんと気が済まん。でなければ他のことが手につかんようになる。


「美濃攻めにも身が入らんな」

「・・・それは困ります。すでに何度も失敗しておりますゆえ」


 しかし身が入らんのも事実。如何にしてその者と会うか・・・。

 よし、元康を使うとしよう。どうせ元康に使者を出すつもりであった。それのついでである。


「五郎左、筆と墨を用意させよ」

「はっ、しかし一体誰に文を書かれるのです?」

「元康よ。例の件、受けてやっても良いと。ただし条件がある」

「まさか」


 この呆れたような顔ももう見慣れた。五郎左の予想通りよ。

 元康に一色政孝を岡崎城に呼ぶよう伝える。それが先日の一件を結ぶための条件とする。

 さすれば元康も必死になるであろう。我ら互いに背を守る者が必要であるからな。今のままではまだ背後は心許ないが、何もいないよりは幾分もよい。


「元康の返事次第では俺が岡崎に直接出向く。その時には五郎左、そちも供をせえ。一色政孝とやらを見極めようぞ」

「・・・かしこまりました」


 あまり五郎座は乗り気ではないか。

 しかし一色政孝か。どんな男か、まことに楽しみよ。




※丹羽長秀・・・五郎左

 服部一忠・・・小平太

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