file14 捜査6:きみのお兄さんにはなれない
◇ 十二月十六日 時刻:午後一時 ◇
本庁舎内に設置されたトレーニングルームに、汗が舞う。息をつく声が聞こえる。
「一気にっ……輪郭が見えてきたっスね……だけど貴方は……納得してないっ」
「……っ」
それはそうだ。何故なら、そうなると矛盾が出てくるからだ。
――ではなぜ、レナード・マカリスターは死ななきゃならなかった?
真四角に区切られたリングの上で、トレーニング用の軽装を着込んだフェイが、弾丸のような拳と足技の応酬を繰り出してくる。フェスタは防具とミットでそれらを避けて、避けて……攻撃が当たる。そのたびにふらつく。
無論、フェイは本気を出していない。これはスパーリングではない。別の目的があった。
「ハリーくんのこと考えて、むしゃくしゃしてるって感じっス……当たってますか?」
――正解だ。攻撃は雨のように降り注ぎ、ろくに抵抗ができない。
……それはあの時と同じだ。邸宅内で、ゴム男の攻撃を四方から浴びせられて、ギリギリまで力を振るえなかった状況。今まさに、そのシチュエーションを再現している。
いつでも、確実に力を振るえるようにならねばならない。ゆえ、フェスタは時間があくたびに、フェイに稽古をつけてもらっているのだ。
「ローレンスさん達は、頑張ってるっス。今は、事件発生当時、現場の近くに居た人間の中に共通する奴が居ないかどうか探ってる。大詰めってところっス。だから貴方も――」
そして足をすくわれる。転倒する。
フェイが、真上から覗き込んで、言った。
「貴方も、前向きにならないと」
「ああ……分かってるよ」
目を瞑る。回想する。力を目覚めさせた時の自分を。
それは、自身を突き動かす衝動を、うまくコントロール出来た瞬間だ。邸宅の時も、階段の時も。自分が『刑事である』というアイデンティティをうまく像として結べた時、その力はうまく使えるようになる。しかし今は、『意識せねば』出来ない状態なのだ。いつでも、警察学校から出てすぐの頃みたいに、自分の心と身体を一致させねばならない。そのためには……。
冷たい。目を開ける……シャーロットがそこにいた。
ペットボトルのスポーツドリンクを上からかざして、鼻に押し付けてきていた。
「兄は矛盾だらけで、弱い人間だと思う」
タオルで汗を拭いながらペットボトルを呷るフェスタに、彼女はそんなことを言った。
「……随分今までと違う意見だな」
目を丸くしてシャーロットを覗き込む。ベンチに二人。フェイは薄笑いを浮かべながら去っていった。余計な気を使いやがって。妙な誤解をされている気がする。
「考えてもみて。私を守るためだとかなんとか言いながら、裏では女達に自分の弱みを吐き出してたのよ。そんなの矛盾してるわ」
それはもっともな話だ。しかし、それにすら裏があるのだろう。ハリーという少年はそういう奴だと、フェスタは思っている。だが、シャーロットが割り切れないのも当然だった。
理想的な兄としての姿。学校でのプレイボーイとしての姿。謎めいたメッセンジャーとしての姿。全てが同じ人物なのに、全てが違うように思える。色んな情報が出ているのに、それらが共通する一つの像を結ぶのには至らない……決定的な情報が欠けている。
「嘘が下手なのに、ずっと嘘をついて、私の前でカッコつけてたのよ。そんなの馬鹿だわ」
シャーロットは俯いて、吐き捨てるように言った。なんと答えるべきか迷った。彼女は憎々しげに言ったが、その顔にはどこまでも、悲しみが滲んでいた。
「シャーロット……、」
「だから――見つかったら、ひっぱたいてやる」
その言葉で、息が、詰まった。
長い時間が経ったように思えた。トレーニングルームには、いつの間にか、どかどかとカート達が入ってきた。なぜかいつの間にか、体操着になっている。
「俺達も、お嬢様を守れる力をつけたいんだ! だから鍛えてくれ、頼む!」
フェイに頭を下げて頼み込んでいた。彼女は苦笑しながらシャーロットに目線。彼女は肩をすくめて頷く。
「いいっスけど。子供相手だからって、容赦はしないっスよ」
「いいんだ! 俺たち、フェスタの奴には負けてられないぜ!」
彼らは、白い歯で笑顔を見せた。フェスタは答えられない。信頼の二文字が、苦しい。
「それで、……返事は?」
シャーロットがこちらの顔を覗き込みながら、いたずらっぽく言った。
気付いていないだろう。自分は今、運動をして、息が上がっているだけなのだから。
「……ああ。おれは、」
絞り出した――嘘つきなのは、ハリーじゃない。それは、おれだ。
なぜならおれは。ハリーのことを、
「もう死んでるって。そう考えてるんでしょう」
遮るように、シャーロットが言った。どきりと心臓が跳ねる。
表情を覗き込む……こちらと目を合わせようとしない。だが、その肩が小刻みに震えているのがわかる。カート達がそれに気づき、フェイから離れて、駆け寄ってくる。しかし、彼女の様子を見ると、その手前で止まる。
目で、彼らに救いを求めた。だが彼らは、瞑目して首を横にふる。
「心のどこかでは、思ってるの。こんなに日が経ってるのに、まるで見つからないんだもの。兄はきっと、事件に巻き込まれて、それで本当に……」
「シャーロット……、」
「いいの。兄は、自分の意思で自分の道を絶った。どうなってても仕方ない。だけど」
そこで彼女は、ぐっ、と上を向いて……目をこすり、鼻をすすった。
そして、こちらを見た――今度は、真っ直ぐな瞳で。
「だけど、約束して欲しいの」
「おれに……?」
あなたにしか約束できないと、彼女は付け加えた。
「兄を、終わらせてほしい」
「それは……おれにしか出来ないことなのか」
おい。何を女々しいことを言ってるんだ。そんな自省の声。居心地が、悪くなる。
「私ね。たぶん……あなたに、惹かれてるの」
そこで、ぎょっとした。その場に居た全ての視線が、彼女に集中した。カート達は口をあんぐり開けて崩れ落ちる。フェイも動きを止めてこちらを凝視する。他の利用者も何事かとこちらを見てくる。だがシャーロットは、まるでそんなことに頓着していない。
「はぁ!? お前、何を言って――」
そこで、赤面して錯乱出来ればよかったのに。彼女の双眸は、どこまでも真っ直ぐだった。
「出会った時は、おかしな貴方が、私の日常に風穴をあけたからだと思ってた。でも、違った。だって、貴方は――どこか、兄に似ている」
そんなことは、思ってもいないことだった。
おれが。似ている。イレモノだけが十代で、ナカミは錆びついた壮年で。何もかもがちぐはぐなおれが、多くの仮面をかぶりながら、何かを守り通した少年と……似ている?
「おれにそんなこと、言われる資格なんぞ……ないよ」
「それでもっ」
「おれは……お前の兄さんにはなれない。そんな資格も……ない」
思い出す。ドクターと交わした会話。水面下から這い出てくる不安。荒みきった正義が、殻が新しくなったことで回復したように感じたのも、力を手にした時に感じた強い自信も、それを持続させられるかどうかはまるで分からない。スキを見せればすぐにでも、あの旅客機事故の現場を思い出す。間に合わなかったことで引き起こされた惨劇――。
「なれないんだよ、おれは。勘違いすんなよ。おれはそんな上等なやつじゃない」
おれは最低だ。いま立ち上がり、そのままシャーロットを置いていこうとする。彼女は何か言おうと手を伸ばす。振り払うように、更衣室に向かおうとする――。
「フェスタ刑事、フェスタ刑事は居ますか!」
そんな気まずさを裂くように、若い刑事が飛び込んでくる。ローレンスの部下だ。
「あれ、居ない……?」
「……居るが。そのままゆっくり、視線を下に下げろ」
「ああっ、失礼しました……着替えたら、地下に来てください。出来れば他の皆さんも」
「どうしたんだ」
「我々の脚と、キムさんが頑張りましたよ……絞り込めたんです、『容疑者』が」
大きな進展だ。そしてあまりにも迅速。ローレンスの奴らはいつ寝ているのかと疑う。
……頬をぴしゃりと叩き、気持ちを切り替える。
しかし……シャーロットと、目が合った。
「行くからな。おれ」
「うん。分かってる。だから、最後に、一つだけ聞かせて――あなたは、どうして今も、刑事を続けているの」
その問いに、すぐ答えることは出来なかった。
フェスタは、もごもごと口を動かして何かを言った後、去っていった。何か言葉をかけるカート達にはとりあわず、シャーロットはこちらを見続けていた。
◇
「監視カメラに映っていた情報と、当日の被害者の動き。それらを洗ってみた」
ホワイトボードの前に引き出されたモニターに、ローレンスの操作する画面が次々映し出されている。それぞれの日付は、昨年からさかのぼって……直近に至る。皆、分かっている。それらは、被害者が死んだ日時だ。
だが奇妙なことに、カメラが映しているのは被害者の居た部屋の前や、廊下ではなく、建物の外側だった。薄暗くて砂嵐が入っていてよく見えない。だが、気づく。
「あいつ……変だ」
誰か一人が、薄暗くされた部屋の中で呟いた。皆も同意する。
街角。街路。建物の前。行き交う人々も景色も時刻も、何もかも違うその中での共通項。
たった一人――建物の前に佇む男が、共通している。その姿が。暗くてよく見えない。フード姿の男。だがその襟首から僅かに、白髪が覗いている。
「死亡時刻と同じ日付の同じ時間に、現場の『外側』に、『たまたま』居た。本来であれば、疑いこそすれ、それが一連の被害者と関係するとは立証出来ない。しかし、フェスタ刑事」
「ああ。あの時、屋敷でゴム野郎を逃し、おれを襲った、『兄貴』と呼ばれてたもうひとりは……少なくとも、邸宅の敷地内には居なかった」
フェスタが発言。あの時、床が『ささくれて』腐食し、スキが生まれた。
そして、今度。
被害者たちは皆、何かによって死んでいる。ある者はマウスで首が締められ。ある者はトイレの水で溺死し。ある者は折れた建材が心臓に突き刺さり。共通しているのは、いずれも……凶器となり得たモノの尽くが、その機能を損なうかのように損壊しているということ。
「おれは、ギフテッドはもうひとり居ると言った。こいつが、そいつだと思う。おれが元の身体を失った時、ゴム男と戦ったが……あいつはデコイだ。あいつばかりを追ってたが、違う。やったのはもうひとりだ。ゴム男じゃないほうが、重要なんだ」
「そう。そして、今回捜索した監視カメラの色男が、この男」
表示される――白髪の青年の顔写真。
顔立ちは整っているが、蒼白な肌、落ち窪んだ瞳が、尋常でない様子を見せている。
「リドル・スミシー。三四歳。現在は、街の外れにある古いマンションで弟と一緒に住んでる」
「弟と……」
「妙でしょう。話を綜合すれば、そいつがゴム男でしょうね。現在はデイトレードで生計を立てており、滅多に外に出ないらしい。特にここ一年はそうだと。世捨て人というやつか」
「臭いな。色々と裏がありそうだ」
「そのあたりも含めて、動かなきゃなりませんな」
方針が決まった。
キムや部下の刑事たちは、引き続きスミシーの詳細について洗い出し。
そして、フェスタ達は――ローレンスともども、実際に彼の元へ向かうこととなった。
何故ならば……もしスミシーがギフテッドであるならば、その力についてを、絶対に知っておく必要があるからだ。そしてそれは、実際に出会ってみなければ分からない――そうフェスタは感じていた。ゴム男は『魂でわかる』という表現を使っていた。今、その言葉が意味を持つような気がしているのだ。
勿論、そこで戦闘になる場合も大いに考えられる。フェスタはアーロンに頼み込んで、警備部から選りすぐりの隊員を融通してもらった。対価は、ドライマティーニ三杯のおごりだ。
「よし、そうと決まれば――」
「ちょいと待ちな」
そこで、ドクター。ドミニクも一緒だ。
「ハリー・キャラハン諸君に、渡すもんが出来たよ」
「ウフフフフフフフフ、さぁさぁさぁ、仕上げを御覧じろおおおお!!」
ドクターが指を鳴らし、ドミニクがローレンスに……重いトランクケースを渡した。
「これは……」
――中身を見て、彼は感嘆の声を漏らした。
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