file13 捜査5:手紙はおぼえている

◇ 十二月十五日 時刻:午後五時 ◇


 それで折れるわけにはいかない。フェスタ達は、シャーロットの手引で校舎に裏口から入ることができた。


「先生にバレたら、私もおしまいになるわ」

 廊下の隅でこっそり落ち合った時、シャーロットはやけに得意げに言った。


「女帝と優等生ってのは、同じ意味だと思ってたが」

「お兄様だって、良い子になりなさいなんて私に言わなかったわ」


 そして踵を返し、前にずんずん進み始める。その髪が、夕陽を反射してキラキラと光る。

 その輝きと長い影法師を、カート達と追いながら、フェスタは、気になっていたことを聞く。


「お前にとって兄さんってのは、どういう存在だったんだ」


 すると彼女は振り返って、校庭を見た。走り回る、たくさんのこどもたち。


「暗闇を照らしてくれる光。絵本と一緒に、私の不安を拭ってくれた」


 すぐには、返事ができなかった。伏し目がちな彼女は本当に綺麗だった。カート達と同じように、呆けた顔になっているだろう。だが、向こうは、それを見ずに続けた。


「父が死んでから、私は泣いてばかりだった。でも、それを見ると、お兄様はすっ飛んできて……絵本を読んでくれた。それで泣き止むと、今度は必ず、マジックを見せてくれたの」

「マジック……?」


 そしてシャーロットは――その双眸で過去を見ながら、回想した。



「魔法を見せてあげるよ、シャーリー」


 ハリーは、なにか悪いことでも企むかのように、そっと声をひそめて言った。


「まほう……?」

「そう。兄ちゃんは魔法使いなんだ。そら、見てろよ」


 本棚から絵本を一冊取り出して、目を閉じる――開く。

 次の瞬間には、絵本は、宙に舞った。それから、ぱらぱらとめくれるページを翼にして、二人の部屋を自由に駆け回りはじめた。


「凄い、どうやったの」

「内緒。だけどお前にも、いつか仕掛けが分かるよ。そうなればシャーリーはもう、何にも怯えなくたって良い。自由にこの世界を冒険できる」

「冒険なんて、私、いらない。お兄様が守ってくれるならそれでいい」

「大丈夫だよ。お前にはきっと、それが出来る友だちができる。そうなったらお前はもう自由だ。そう、僕じゃなくて、別の――」



「あの日も、こんな夕焼けだった」


 胸の前で、拳をぎゅっ、と握り。


「もしかしたらフェスタ、貴方が……」

「っ、おい、まずいぞ! 見回りが来た!」


 クリスの声で、感傷は打ち切られた。廊下の反対側から、ソコロフ先生が歩いてくる。

 ……フェスタ達は、否が応でも先を急ぐことになった。


 ――再びたどり着く。『総崩れの階段』。

 ご丁寧にテープは貼り直され、板張りも元に戻っていた。

 そして、やはり。


「やぁ。また来たね、ひよっこども」


 バーバラだった。腕組みをしてガムを噛みながら、不遜な顔で立ちふさがる。


「大して歳変わらんだろうが」

「教えて。兄は一体、何を隠してたの。何を知ってたの。貴女達は、兄のなんなの」

「言ったよ。元カノだって。それとも何か? どういうことをやってたか、教えて欲しい?」


 ……馬鹿にするような笑い。シャーロットの顔が、恥辱に赤くなる。

 フェスタはむっとして、前に進もうとしたが……首を振って制止したのは――カートだった。


「簡単に教えられないね。あんたが背負うにゃ重すぎる。あんたはまだまだ弱い」

「何よ。私が、お兄様のことを知るのが怖いって……? もう、そんなの終わったわよ。怖いことなら、背負ってみせるわよ……こいつが!」


 シャーロットは、指差した。フェスタを。


「…………この流れでおれかよ!」

「やってみせなさい! 人を上手に使うのもマカリスターの伝統よ!」


 フェスタは悪態をつこうとしたが……。


「頼む」「お嬢様に怪我させるわけにはいかないだろ」


 ……そんな、カート達の小声が聞こえた。

 フェスタは観念して頭を掻き……階段に挑むこととなった。


 テープをくぐって、階段の前に立つ。

 薄い板張り。少しでも力を込めれば、途端に崩れ落ちる。とはいえ、飛び降りるなんてもってのほかだ。かつてならともかく、今は脆弱な子供の身体だ。


 ――だったらどうする。考えろ。同じ背格好の奴が考えた、とっておきのマジックだ。

 ――お前にしか出来ないことをやれ。おれにしか使えない魔法。そいつはなんだ。

 ――そいつは……『あの力』だ。

 フェスタは、目を瞑った。そして、イメージする。

 ――あの時の力を。あの時、周囲のものに意識を込めて、動かした。それと一緒だ。しかしどうする。今度は、別に命の危機なわけじゃない。何もかも違う。後ろからまたあのババアが迫ってるんだぞ。失敗すりゃおしまいだ。どうする、どうする――……。


「お願い。フェスタ」


 そんな、か細い声が、聞こえた。他ならぬ自分に、言っていた。

 それで、胸のつかえが取れた。


 フェスタは目を開けて、駆け出した――一気に、階段をくだり始めた。


「馬鹿ね、そんなことしたら、途端に崩れ落ちて……何ィーーーー!!」


 フェスタは……階段の下に落ちなかった。

 羽が生えたように軽やかな足取りで降りていって、地下の扉の前にたどり着いたのだった。


「使えた、やったっ……」


 極度の集中から解放され、フェスタは膝から崩れ落ちた。すると目の前に、ひらひらと紙片が落ちてきた。地下の扉の隙間に挟んであったものだった。拾って、中身を確認する。


 ――『左から三番目の五段目』。そうあった。意味不明だ。


 首を傾げていると、上から覗きこんできたバーバラが、わなわな震えながら聞いてきた。


「あんた一体、どうやって……」


 ――フェスタはどう答えるべきか思案した。

 まさか、『階段の一段ずつ、足を乗せるたびに、ほんの少し自分の『意思』を込めて、床下からお仕上げてもらうことで、崩壊させずに渡りきった』などとは言うまい。

 困った挙げ句に、頭をかいて、少し顔を背けて、言った。


「……マジックだよ。泣いてる奴を、泣き止ませる魔法だ」


 それだけ言うと、恥ずかしさがどっと押し寄せて、フェスタは座り込んだ。


「フェスタ……」


 ――背を向けているから、彼は、シャーロットの表情には気付かなかった。しかし。


「なるほど。まずは一人目、あたしの負けだ。まさか、そんな芸当が出来るなんてね。


 バーバラは、そう言った。

 違和感。今こいつは、なんと言った……?


「ちょっと待て。どういうことだ――」

「残り六人も手強いよ、頑張ってね。それから。階段、上がる時……気をつけてね」


 それだけ言って、彼女は階上から立ち去り。その後ろから、大きな影がぬっと見えて。

 そこには……マダム・ソコロフ先生が額に青筋を浮かべた笑顔で立っていて。


「や、やぁ先生……この先、ナルニアだったりしませんか……?」


 ――一同は、頭上から全員まとめて、トールハンマーをぶちかまされたのだった。


◇ 時刻:午後六時 ◇


「停学だよ」

「はぁ!?」


 アジトに戻って早々のフェスタの言葉に、ドクターは頓狂な反応をした。


「カート達は謹慎継続。シャーロットは反省文で済んだけどな。色々と厳しくなった」

「馬鹿でしょ……」

「公開捜査が出来ないんだ。これぐらいの制限は承知の上だ」

「話聞いてる限り、お嬢さんも大概なじゃじゃ馬だけど……」

「まぁな。あいつ、ポケットに癇癪玉入れてやがった。もしもの時のためだのなんだの」

「とんだ愚連隊だわ……そりゃそのうち目付けられるわけだわね」


 呆れた声を出すドクター。

 アジトの一角は完全に彼女と、それからドミニクのスペースとなっており、様々な研究機材やら何やらが並べられ、それぞれの間にはワイヤーが張られ、そこに証拠写真の数々がクリップされている。フェスタはそれらをくぐりながら、言葉を返す。


「ま、大丈夫だ。動きづらくなってからの捜査は得意だ」

「貴方、そういうことばっかりしてたから分署で孤立したんじゃないの……」

「うるせぇや。ところで、そっちは進展あったのかよ」


 改めて見た被害者遺体の引き伸ばしから目を離し、振り返る。彼女はすると、にんまりと笑って、一心にラップトップに向かっているドミニクの肩を叩いた。

 彼は弾かれたように椅子から飛び出してフェスタの前に現れ、それからまくし立て始める。

顔が近い。唾が飛ぶのもお構いなしだ。


「現場で採取された吐瀉物からはッ、なんと……脊椎生物の進化を促す酵素が発見されたのですよ、つまりどういうことかといいますとですね、ドクターが長年研究していた『物質』はその実、摂取した人間の進化を強制的に促進させる効果があったわけですね! 生物は環境に適応した姿となるのはご存知ですな? つまりそれぞれの『状況』に即応した能力を宿主に与えるわけです、『副作用』は、魚が陸に上がった時ヒレを失ったようなものと考えてくださればよろしい、しかしその強制的な進化というやつはあまりにも無作為で無遠慮であるから、適応者とそうでない者については大きく分かれると考えられます、それにこいつ、どうやら空中に拡散するまでにかなり時間を要する性質らしく――」

「な、長い。結論だけ言ってくれ」

「つまり色々分かったので攻略する装備も作れそうってわけですよもってけドロボーッ!!」

「よ、よし分かった……戻ってくれ」


 ドミニクは鼻を鳴らし、ラップトップに向き直った。画面には何やら弾丸のようなものの設計図が映し出されている。

 フェスタには気がかりがあった。ドクターをこっそり手招きする。


 二人は数分後、庁舎の外側に横並びで立っていた。


「うー、寒い。キミもドSだねぇ。こんな中でデートだなんて――」

「……全く似通った力を持つギフテッドが生まれる可能性もあるのか?」


 出し抜けに、前置きもなく、フェスタは聞いた。彼女は一瞬驚いたが、少し困惑気味に返す。


「そりゃ、ないわけじゃないだろうけど……どうして?」


 そこでフェスタは、夕方からずっと、頭から離れない考えを口にした。


「おれは……ハリーが、ギフテッドだったんじゃないかとにらんでる」


 根拠といえば、いくらでも出てきそうだった。


 

 


「そうだったら、どう思うの?」


 ドクターは少し目を丸くしてから、悪戯っぽい表情になって、聞いてきた。


「わからない。だけど、そうだったらいいな、と思う」


 吐く息が白く、頬が色づく。それで、自分が妙なことを言ったことに気づく。


「どうしてそう思うの?」

「なんだろうな。ただ、ハリーってのはきっと良い奴で。シャーロットは、兄貴の話をしてる時、楽しそうだった。それなら、それでもいいかと……思ったんだ」

「キミは、いいギフテッドではないの?」

「おれは、良いギフテッドにはなれない」


 どうして、と問われた。その時フェスタは、改めて自分の手を、身体を見つめた。

 ……願いは叶った。非力だが、若い身体。味方。もう孤独じゃなく、かつて失敗した捜査を、今度こそ解決に向かわせることが出来ている。一見、何もかもうまくいっている。

 ――しかし、だからこそフェスタは、急に忍び寄る夜の藍色と、ビルの狭間から吹いてくる寒い風に身を縮め、華奢な胴をかきだきながら、思う。


「おれは未だに苦しんでる。いまおれは多分、警察官として振る舞えてる。だけど、だからこそ怖い。それを再び失うのが。ただ、こうしてる自分に酔ってるだけじゃないのかと」


 全く。前の身体なら恥ずかしくてとてもいえないような台詞が、すらすら出てくる。こっ恥ずかしくなって、フェスタは頬を寒さ以上に染めた。

 すると、ドクターは。


「えいっ」


 後ろから、フェスタを抱きとめた。


「なぁっ!? お前……お前、何やってんだ馬鹿ッ!」


 もがく。そのたび、胸が顔に当たる。バタバタするが、まるでかなわない。心なしか、心臓まで跳ね始めた。やめろよせ、なんでだ、身体に心が引っ張られてるのか、くそっ……。


「いやぁ。なんか、可愛いなぁと思って」

「ふざけんな変態がッ! 何が可愛いだ、おれは五十のオヤジだぞ、何を――」

「大丈夫だよ、『刑事さん』……たぶん、今は貴方が、色々見直す時期なんだと思う。そうやって悩む暇も、今までだったらなかったでしょ。だから今は。そういう時間。答えを出すのは、うちらが手伝うよ」


 そう言うドクターの声は、寒い風の狭間でも、優しく聞こえた。

 彼女の長い髪が顔にあたってむず痒くなる。


「……おう」


 恥ずかしいので、少し小声で言った。それから、腕からするりと抜ける。


「へくちっ」

「あらあら。戻ろっか。ハンカチ貸してあげる」


 その時、着信があった。


『ああ、フェスタさん。もう二個、メッセージ掘り出しました。今度は、本庁宛です』


 キムからだった。ダウナーではあったが、少し得意げでもあった。


「マジか、でかしたぞ。戻ったら確認する――」

『スリルありました。それともう一個。多分、こっちのほうがサプライズ』

「なんだ。教えてくれ」

『フェスタさんの分署に送られた手紙。あれ、ハリー・マカリスターと筆跡が同じでした』



――い魔ころシテイる 男ふたリグみ

――まにあワナイ、目の前でいツモコロされる、いつモイツも


キムから教えられたメッセージは、この二通だった。それぞれ、また不明なアカウントから送られてきたものだ。ただし、今度は分署ではなく――シティ警察本部に。


「こいつは……」

「同一人物だとするなら、送られてきた時系列順に並べてみると」


――いまころしている。男ふたりぐみ。

――まにあわない、目の前でいつもころされる、いつもいつも。

――今度は間に合う。

――必ず。

――お願いします。届いて。


「こうなります。『届いて』の後、アダム刑事は、『ゴム男』と遭遇したってことになります」

「事実として、届いたわけか」

「そうです。それで、前半の四つに関しては、いずれも――殺人事件が起きた同日、近い時刻に送信されてました」

「『間に合わない』……」


 フェスタは、ドクターと共に送られてきた文面をにらみ、考える。そしてもう一つの事実。自分の持っている最後のメッセージを書いたのが、本当にハリーだとしたら。

 最初は本庁。それから分署。最後には、直筆のメッセージ。

 だんだん『近づいている』――自分に。そうして、間に合った。

 一体どうやって、彼は殺しをその目で見て、メッセージを送り続けたのか。そして、どうやって自分まで辿り着いたのか。謎は深まるばかりだった。


「ハリーお前、何やってたんだ。何を、妹に隠してた……」


 一体お前は、どんな苦悩と真実を抱えていたんだ。たった一人で。

 フェスタが目頭を揉む。ドクターが肩からブランケットをかけてくれた。それに甘えて、ホットココアを啜る。

 するとそこで、ドアが開いた。


「みんな、聞いてくれ。新しい事実がわかった」


 ローレンス刑事達だった。どかどかと早足気味に入ってくる。手にはファイリングされた資料。フェスタは立ち上がろうとするが、それを制して、ドクターが対応する。


「なになに? 教えて教えて」

「被害者の共通項だ。今までかけらも埋まらなかったが、少しだけ分かったことがある」


 ……フェスタも立ち上がり、それを聞いた。


「一連の被害者たちは、数年前まで、シティの外に住んでいたんだ」

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