file11 捜査3:証拠Aと証拠B
まさに、その連中の居城には今、一気に増えた人員が詰めるため、ロングテーブルとパイプ椅子、パーティションが持ち込まれ、即席ながら、かなりまともな会議室に改造されていた。
「いやー、それなりにサマになるねぇ、こうすると」
ローレンス刑事が、複数人の名もなき部下たちと一緒にきびきびと動くのを見ながら、ウォシャウスキーは言った。その間、キムはフードを被ってジャンク品の隅でゲームをしているし、ドミニクはテーブルと椅子の配置にああだこうだと口を出しては無視されている。
「愚連隊だけどな……」
「まぁ、それでもいいじゃない。ようやく動き出したって感じでしょ?」
それについては同意できた。とはいえ、嘘をついているのは変わらない。
いつ言えば良いのか。いつ、彼女に父の真相を伝える?
「さぁ。メインは貴方っスよ。橋頭堡を築いてくださいっス」
フェイに促されて、フェスタは頭を掻き……捜査資料を貼り付けるためのボードの前に。
着席を終えた皆の顔が、彼の小さな体に向いていた。
――我知らず、ぶるりと震えが走った。フェスタは唾を呑み込んで、はじめた。
「まず。おれ達の追ってる事件が、個々の理由がバラバラな人死になんかじゃなく、ひと繋ぎの、しかも、常軌を逸した殺人事件とするのには、大きく分けて二つの根拠がある」
二つのスペースに区切ったホワイトボードの、左側に貼り付けている写真にマルをつける。
「ひとつめが、このガ……少年。ハリー・マカリスター。バーバンク・ジュニアハイスクールの二年生だったが、先日失踪した。その前日の言動については配った資料を見てくれ」
フェイがそれぞれに配った資料を、ローレンス達が見る。そこには、ハリー少年の詳細なプロフィールと前日の動き、そして人となりまでが詳しく記載されていた。
それについて分かったこと。
――僕は知っている。殺人事件ぜんぶのつながりを。僕は知っている。事件の重要なヒントを。奴らに見つからないようにしなきゃいけない。だからヒントをばらまいた。学校の七不思議だ。頼む、見つけてほしい。僕にはもう、『時間がない』。
その言動と凶行の前には一切の不審な動きはなかったし、また、失踪当日の朝には、夫人と学校に行く前の抱擁もしていた。つまりは、彼の失踪は、本当に突然であったということ。
「彼は、父の死についてだけじゃない。もっと多くの何かを知っていた。しかも、それはギリギリまで誰にもバレなかった。つまりハリーは、犯人の行動を知りながらも、ギリギリまでその存在、もしくは動きを悟られなかったってことになる。彼が失踪に至るまでに何を掴んでたのか。こいつが、イースターエッグの一だ」
嘆息が至るところから漏れる。
「にわかには信じられませんね。子供がそんな事件に絡んでいるなんて」
ローレンスの口調は半信半疑だった。無理もない。
「ああそうだ。だが、矛盾するもう一つの事実が、ノドに突き刺さった骨になる」
そしてフェスタは示してみせた――あの、マカリスター家での戦いを。ゴム男の言葉を。
「彼は……ハリーは、何らかの形で、本当にホシの犯行を知っていたんだ」
また、嘆息。写真に映る軟派そうな美少年……その影が色濃くなり、一気に不気味さのようなものを帯び始める。誰かが、息を呑む――。
「まず、これが一つ。もうひとつは、多少は現実的なイースターエッグになるぜ」
それから、また別の資料。
「まず、おれはある時、差出人不明の手紙が分署に届いたのを確認した。そこに書かれていたのが、こいつだ」
アダムのトレンチコートに入っていたメモ書きだ。メンバーにはそのコピーが配られる。
「『お願いします。届いて。三丁目、四番地の路地裏』。誰が書いたのかも分からない、だが犯行予告にも見えるそいつを、おれはもぎとって捜査に向かった」
フェスタの中で、苦い記憶が去来する。
「おれたちは張り込みをした。何かあってからじゃ遅いからな。もっとも、ろくにだれも手助けしてくれなかった。脅迫状の類だろうとみんな信じてた。だから結局、必死になってたのは、おれだけだ」
自嘲気味にフェスタは言ったが、今度は、それを笑う者は誰もいなかった。
「時間になってもなにも起きなかった。だが、すぐ近くを通りかかった一人の男が、妙だった」
はっきりと追想する。あの雪の日の出来事を。
フェスタ――アダムはその黒い服の男を怪しんだ。誰に見られるわけでもないのに、覆面で顔を覆った男。クソ寒いのに、コートすら着ていない男。
そいつに声をかけた。寒くないか、と。男は答えない。
いくつか、簡単な質問を、世間話のように投げつけたが、男は素っ気ない言葉を返すばかりで、早くそこから立ち去りたそうにしていた。そして、埒が明かないので。
この時間、この場所で、何かを待っていると――そう言った。
すると、そいつは逃げ出した。全身を、ゴムのように伸び縮みさせながら。
「後のことは知ってのとおりだ。おれはそいつを取り逃がして、こんな身体になった」
肩をすくめる。そして時間は進む。
「その後、奴はおれを口封じのために殺しにきた。わざわざ、街外れの邸宅にまで。奴はずっとおれのことを追っていたらしい。そのプリントにあるのが、聞き取った限りの、奴の言葉だ。それは、奴がおれを『あのときの刑事』とはっきり認識し、なおかつ、個々の事件に関連性があると見ていた数少ない人間であることを知っていた証拠になる。つまりどういうことか。答えはビンゴだ。個々の事件には関連性がある。そして」
「だとすれば、貴方の受け取ったメッセージ以外にも、どこかにヒントが隠されている可能性はありませんか」
捜査員の一人が言った。フェスタは指を鳴らして首肯する。
「そのとおりだ。おれのメッセンジャーは、おれだけにメッセージを送ったのではない可能性がある。それ以前に起きた事件にも、何らかの警告を発していた可能性があると見てる」
少し、ざわつく。警察は、様々な大切なヒントを見逃していたことになるからだ。
「おれのメッセンジャーはずっと、何らかの形で犯人の行動を見ていて、そのヒントを発信し続けていた可能性が高い。そいつを探っていけば、犯人にたどり着ける可能性が高い」
「犯人っていうと。あんたの遭遇したゴム男か」
「いや、違う。犯人は、奴だけじゃない」
そしてフェスタは言ってみせた。あのゴム男がはっきりと『おれたち』という言葉を発していたこと。『兄貴』とやらに呼びかけていたこと。その直後、全く別の力が働いてフェスタを襲い、まんまと逃げおおせてしまったこと。
それ以前の事件が、あの男による犯行だとは、到底思えないということ。
「絞殺ならまだしも、刺したり斬ったりなんてのは、ゴム野郎に出来るはずがない。そっちをやった誰かが、絶対に居たはずだ」
そこでフェスタは、一呼吸おいて言った。
「こいつを、証拠Aとしたい。メモ書きからたどる、過去の事件について。それから」
ホワイトボードに掲示された、少年について。
「ハリーについてを、証拠Bとする。このうち、みんなには、Aのほうに注力してほしい」
そしてフェスタは、自分を見る者たちに向けて、改めて方針を告げた。
「ローレンス刑事。あんたと部下たちには、それぞれのホトケの身元を洗い出して、なにか共通項がないかを調べてほしい。なんでも構わない」
「了解。なんでもで、いいんですね」
「ああそうだ。自由にやってくれ」
それからフェスタは、並んだ椅子の隅でガムを噛んでいる女に言った。
「――キム」
「……なんでしょう」
彼女は不機嫌そうに……いや、それが普段の様子なのかもしれない……答えた。
「あんたには、他の分署、あるいはこの本庁に、おれが受け取ったようなメッセージが届いてないかどうかを調べてほしい。足を使うのが必要なら、ローレンス刑事に相談して、力を分けてもらってくれ」
「……それ、内偵みたいになりますけど。良いんですか」
「良いんだ。そのあたりの話は、アーロンに通してある。怒られそうなら、奴のせいにする」
するとキムの瞳がギラついて、生気が戻った。ぞくぞくと震えながら、頷いた。
――なるほど、こういう奴か。
「それから、ドク・ドミニク。ドクター・ウォシャウスキー。あんたらの仕事だ」
「えっ、私?」
「なんなりとッ! なんなりとお願いしますッ!」
「おそらく、ウォシャウスキー。ずっと、研究してた筈だ。ギフテッドと戦闘する時に効果的な武装、物質について。おれが奴と戦ったことで、そいつが進むはずだ」
あの邸宅の現場には――奴の吐瀉物があった。重大なサンプル。
「今後は、おれ以外にも戦力が必要だ。そうなったときのために、あんた達には、特殊装備の開発を頼みたい」
「了解ですッ! 不肖ドミニク、全力で尽くしますッ! 先輩ッ、頑張りましょう、わははは!」
ドミニクはまくし立てながら、ウォシャウスキーの肩を馴れ馴れしく叩いた。
しかし彼女は、彼を無視して、フェスタを見た。
「貴方。私が特対を作ってから何をしてたのか。知ってたのね」
「ああ。おれがここに来るまでの日々は、無駄じゃない」
「……ズルい男だよ、全く」
ドクターが言った。笑っているが、どこか、泣いているようにも見えた。
フェスタはなんとなく、気まずくなって目をそらす。
「えーっと。では、貴方は一体何を?」
「おれか? おれはな……」
シャーロットはあの後、フェスタに詰め寄って言ってきた。
――私にもなにかやらせなさい。
その瞳が、どこまでも真っ直ぐだったことを思い出す。
「学校に行く。そして、ハリーが学校に残したらしいヒントを解明する。あいつらと一緒にな」
「――嘘の後ろめたさ? それとも」
「馬鹿野郎。捜査のためだ。それ以外にない」
それで、大体の方針が固まった。
他に、質問がいくつかあったが、後はもう動くだけだった。
「以上だ。あと数日までに持ってきた成果が多けりゃ多いほど、鼻をあかせる。気張ってくれ」
パイプ椅子から皆が一斉に立ち上がり、動き始めた。
◇ ??? ◇
機内は騒々しく、各々の在り方で席と時間を満たしている。『彼』の左側、窓際に彼女は居た。頭にヘッドホンのようなものをつけていた。
「寒くないか?」
問いかけに、彼女――小さな少女は答えなかった。代わりに、『彼』を見て、聞いてきた。
「ねえ。どうして、わたしはビオラなの」
突然の問だった。しかしよくあることだ。少女の思考は天啓と発見で出来ているから。
だから彼は、ふっと微笑んで、頭をなでて抱き寄せる。それから答える。
「お前は、愛されるために育ってきたんだ。ビオラってのは、愛の花言葉なんだ」
しかし彼女は、彼から素っ気なく目をそらし、頭をおさえつけて呻いた後に言った。
「でもわたし、ビョーキだよ。みんなそう言う。だれもわたしをスキじゃないもの」
悲しさも怒りもそこにはなく、終わってしまったことのようにビオラは言う。
そんな様子を見るのがほんとうに辛くて、彼は彼女を抱き寄せる。
「大丈夫だ。お前は、お前は愛される。愛されなきゃいけないんだ」
「本当?」
「ああ、約束する。お父さんが絶対に、そうさせてやる。どんな理由があっても、お前が傷ついていい理由なんて、どこにも――」
右隣で弟が、なにか妙だ、と言っている、無視をする、ビオラに語りかけ続ける――。
閃光がほとばしって、彼の視界の全てを埋めたのは、その直後だった。
……重い時間が過ぎて。
目を開ける。体中が痛かったが、すぐにビオラのことを考えた。
周囲は真っ暗で、時折赤い光が差し込む以外は何も見えない。
「ビオラ、ビオラっ……」
「おとうさん、おとうさん」
かぼそい声。感覚だけで手繰り寄せる。抱きしめる。
暗さに目がなれてくる……見えた。
ビオラだった。だが、両目にガラスが深々と突き刺さっていた。
「っ、俺はここだ、ここにいる、待ってろ、今医者を――」
医者なんてどこにいる。ここはどこだ。妙に暑い。それに、周囲から聞こえてくるのは呻き声だ。痛い。暑い。暗い。何があった、自分は確か――。
「みえないよ、みえないよ。こわいよ」
「大丈夫だ、大丈夫だ、俺が守ってやる、だから、だからっ……」
そうだ。お前はビオラだから。どんなハンデを背負おうと、周囲が何をしてこようと。どれだけ不当な扱いを強いてきても。お前は俺が。ああ、だが、こんなに血が――。
……何かが、伸びてきて、ビオラに掴みかかった。
見た。それは腕だった。無数の、無数の。
顔を、血と焼けただれた肉で覆った亡者たちが、こちらに向けて、怨嗟の声。
「どうしてお前たちだけ生きている」「私達はこんなにも死んでいるのに」
彼らの手は、ビオラを、その無限の地獄の中へ引きずり込み始めた。
彼女は必死にこちらに戻ろうとする。だが彼らの力はあまりにも強かった。やがて、彼は絶叫して、向こう側の闇の中へ消えていくビオラを見た――……。
自分の叫びで、彼は目を覚ます。現実感が戻ってくる。
灰色の、自分の居城がうつる。ビオラが居ない。現在に戻ってきたと分かる。
「またうなされてたぜ、兄貴」
弟のリードが傍にいて、水を渡してくれた。彼――ラスティは、それを一気に喉に流し込む。
「連中は、動き出したに違いない」
水を飲み終えてから、呟く。
「ああ。だけど、俺達の計画に支障はない。そうだろ、兄貴」
「……」
そこで彼は、近くにある写真立てを見た。自分と、妻と、ビオラ。それにリードが映っている。かけがえのない時間。もう戻らない時間。
それが分かっているのなら。他の選択肢をとるだけだ――そのためには。
「お前は、奴をとらえて、消すのに失敗したな」
顔を上げてリードを睨むと、スキンヘッドの三白眼がぎくりという顔をした。
「け、けどよ兄貴、しょうがなかったんだ、あいつ、まさかあんな――」
「『飢えた猛犬』だ。どこまでも追ってくるぞ。それをお前は、殺し損ねた……」
「あ、兄貴……俺は」
「お前は、しくじったんだッ!」
ラスティは叫び、白髪を掻きむしりながら、椅子から立ち上がった。
リードは短く悲鳴を上げて、背を向けてそこから立ち去るべく、四肢を伸び縮みさせようとした。こちらの折檻を予想してのことだ。しかし、兄のほうが早かった。
彼が手を上へ向けると、天井のタイルがバリバリと剥がれ落ちて、リードのもとに殺到した。
下敷きになるリード。ぐええっという声が聞こえる。
ラスティはヒステリックな早足で近づいて、弟を思い切り蹴り飛ばす。何度も何度も。
「お前がッ! お前が俺の役に立つと、そう言ったからだッ、だのにお前はしくじった! 俺が助けなきゃお前は今頃奴らに捕まってたんだッ! この馬鹿が、この馬鹿がぁッ!」
何度も、何度も。兄貴、やめてくれ、というかすれた声。何度も。
……そこで彼は、何かに気付いた。はっと周囲を見て、それから言った。
「いるのか、ビオラ。居るんだな」
彼はどこかを見ていたが、どこも見ていなかった。リードから離れて、ふらふらと椅子に座る。それから、どこにもいない誰かと話す。
「ああ。すまない。お前に見せるべきじゃなかった。お前にとっては楽しい叔父さんだものな。悪いことをした、よくないものを見せた、すまない、すまないすまないすまない……」
「あ、にき、ビオラはもう……」
それからまもなく、白髪の青年は顔を両手で覆って呻き、泣き始めた。
リードはタイルから逃れた。兄に近づこうとしたが……やめた。
その代わりに彼は、兄の、変わってしまった兄の傍に居ることを、改めて決意した。
外では雪が降っている。あの日から変わらないことといえば、その景色ぐらいだった。
「大丈夫だ、俺が兄貴を支えると決めた……だから俺は、平気だ……」
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