file10 役者は揃った


◇ 十二月十一日 時刻:午前十時 ◇


 戦いの後、フェスタが受けた傷は嘘のようにあっさりと癒えた。


 ドクターに言わせればそれは想定内のもので、『ギフト』が、身体の様々な機能を『意思』に集約したことによるものだという。彼は現役時代、何度も包帯姿で入院先から抜け出し、仕事に戻ったのを思い出した。


 とはいえ、それで警察長のお叱りを免れる筈もなく、ハドリーの嫌味をまじえた上で、今回の事件による物的被害についての訓示を、ドクターと二人で延々と聞かされたのだった。

 そうして二人は、最悪な気分で我らが地下の居城に戻る……。


 そこには、留守番のフェイだけが居るはずだった。しかし、知らない奴らが数名居た。


「はい……?」


 フェイは、その連中のあいだに座っていたが、立ち上がった。それからフェスタを華麗にスルーしてドクターのところへ。


「留守番してたんじゃないの、フェイたん」

「してたっス……でも、でも……」

「やぁ、君がドクター・ウォシャウスキーか。父上のことは聞いてるよ」


 そう言って立ち上がった男。

 ロマンスグレーの髪をたっぷり後ろに撫で付け、ツイードのスーツを着こなしたメガネ姿のナイスミドル。シガリロを指で挟んで、こちらにダンディな笑みを向けてくる。

 そいつを、フェスタは――かつてのアダムは、知っていた。


「あいつが。あいつが、無理やり入ってきて、それで……」

「それにしてもここは臭いな。ガンボスープの匂いだ。湿気も多い。おまけに――」

「……フェイたん、あの人に何を言われたの」

「う、ううっ……」


 男はゆったりと歩いてきて、ドクターに手を差し伸べてきた。


「アーロン・フィッシュバーンだ。ここの刑事部長をやってる。よろしくな」

「こいつっ……この男、最低の鬼畜でっ変態なんス……う、うわあああん!」


 そしてフェイの顔から滂沱の涙が溢れ出し、顔をドクターに思い切り押し付けた。慌てて抱きしめるドクター。フェスタはじっとりと顔を『アーロン』に向ける……。


「あんった、フェイたんに何言ったの、この子はね、素っ気ないように見えて……」

「……君は」


 後ろでドクターが喚いているのを完全無視の上で、アーロンはフェスタの顔を覗き込む。この時代にあってその男はシガリロの紫煙を隠そうともしない。


「んんんんん…ふむ…………」


 フェスタは、そのねめつける油断のならない目に、思い切り睨み返す……。


「『この世で一番まずいもの』」


 アーロンが口を開いて、言った。続いて、フェスタが続ける。


「『それは正午の食堂のポークチョップ』」

「『この世で一番ゴミな音楽』」

「『受付のジミーの鼻歌メタル』」


 …れからしばし、アーロンは訝しげな表情をフェスタに向けたが、やがて。


「はっはっは、はっはっは! こいつは最高だ、まさかお前、本当にそのサイズになったのか!」


 心底愉快そうに、腹を捻じ曲げながら爆笑した。ドクターは口をぽかんと開けている。

 フェスタは頭をかいて、忌々しげに説明する。


「ドクター、こいつは。おれの警察学校時代の同期だ」

「なんと」

「そういうことだ、ミス・ウォシャウスキー。そして改めて紹介させてもらおう、くくっ、ははは……信じられん……私は今回、この『特対』とやらに追加人員を送り込みに来た。いわば橋渡しだな。よろしく……お前、その格好でナニは出来るのか? ははは……」

「まぁ、こういう奴だ。良いのは見てくれだけ……許してやってくれないか」


 ――そういうことだった。

 しばらくして、観念したドクターはアーロンをソファに招待すると、彼はまるで自分のものであるかのように悠々と座り、シガリロを瀟洒に吹かせてみせた。フェイはドクターにひしっとしがみついたまま、白髪の紳士を泣き腫らした目で睨みつけている。


「それで、追加人員ってのは。嬉しいことだけど、いきさつが分かんないな」

「なに簡単だよ。警察長の『友人』が、マカリスター夫人と親しい仲でね。それで色々と、手垢のついたカネが動いたというわけだ」


 なるほど、恐ろしいほどシンプルな話だった。とうてい、愉快とは思えない。


「で、その『追加』は。さっきから一言も喋らないそいつらか?」


 フェスタは口を挟んで言った。そう、彼の周囲には、数人居る。ソファに寄りかかったり、離れた場所に立っていたり。素性の知れない、怪しげな連中。


「お前。本当にアダムなんだな。頭がおかしくなりそうだ」

「いいから答えろ。そいつのために来たんだろうが」

「ああ、分かったとも。みんな、集合だ」


 アーロンが指を鳴らすと、バラバラに散っていた彼らは集まった。


「紹介しよう。私がかき集めた捜査協力者だ。癖は強いが、骨太だぞ」


 それから彼は、ソファの後ろに集まった者たちを、一人ずつ紹介した。


「まず、キム・ウェドン。情報分析が得意だ。こちらが目をかけなきゃ捕まってる実力だ」

「……ども」


 フードを目深に被った女だった。こちらに、ろくに目を合わせない。一体どんな手段で連れてきたのか。あまり想像したくなかった。


「続いてはドク・ドミニク。シティ市立大の副教授だが、夜な夜な人目を盗んで『正義の発明品』に勤しむ危険人物だ。たまたま完成品を目にかける機会があってな。連れてきた」


 のっそりと背の高い白衣の男。モジャモジャの髪が海藻のように目元に貼り付いている。


「僕はッ、こここ光栄に思ってるんです……いやぁ僕も信じていた、『ギフテッド』について! その対策……夢じゃない、そうだこれはドラマなんかじゃないんだ、よろしくっ」


 せわしなく語りながら、彼はわきわきと腕を動かしながら、対面のドクターに顔を近づけた。彼女は興奮気味の眼前の青年に気圧されながら、苦笑いを浮かべた。


「それから最後は。こいつは少々物足りないぞ。ローレンス・ダグニー刑事」

「言わんでください。俺がまともなだけですよ」


 最後に紹介されたのは、ダークスーツの無骨な黒人男性だった。


「現役時代の活躍ぶりは刑事部長から聞いてます。未だに貴方に起こったことは信じられませんが、やれることをやります。足を使う捜査は任せてくださいよ」


 彼はにこやかに握手を求めてきた。フェスタはほっとして、それに応じた。


「というわけで。今から彼らが、君たちの手となり足となる。私に出来るのはここまでだ。後は、たまにハドリー官房のジョークを聞きに行くぐらいかな」


 アーロンは満足げにそう言って、ゆったりとソファに身を沈める。

 フェスタは、彼らを見て、懸念を口にする。


「本当に大丈夫なのか」

「素人ばかりで不安か? なに、彼らはあくまで協力者。メインで頑張るのは、お前だ」

「違う。お前の目利きは信用してるが……こいつはただの事件じゃない。おれの顔を見ろ。絆創膏で済んでるのは、おかしな身体になったからだ。常識は通じない。だから――」


 そこでアーロンは……シガリロを咥え、その顔をフェスタにぐっと近づけた。

 笑っていない。射抜くような、剣呑な視線がそこにあった。逃げられない。


「舐めるなよ、アダム。先の連続殺人事件で忸怩たる思いをしているのはお前たちだけじゃないんだ。相手が誰だろうが関係ない。私は警官として、最善を尽くすだけだ。分かったか」

「……わ、分かった」


 フェスタは、目の前の男が苦手な理由を思い出した。こいつは、そういう奴だ。


「ならいい。お互いスマートに行こう」


 そうしてアーロンが再びソファに身を沈め、コーヒーと灰皿を要求し、ドクターの後ろに隠れて小動物のように唸っているフェイが拒否し、その役割をローレンスがにこやかに買って出て、キムとドミニクが、おのおの散らばりはじめた矢先。


「ちょっと、ここ、部外者は――」

「下がりなさい。私は部外者じゃないわ。一兆%関係者よ」


 騒がしい声が聞こえ始めた。一階からだ。

 フェイとローレンスが警戒し、入り口に向かった時……正体は分かった。


「ちょっと、押したらあぶな……どわああああああ、」

「きゃあああああっ」


 部屋に数人、転がり込んできた。

 フェスタ含め、皆が一斉に近づいて……驚愕する。


「お前、なんでここに」

「貴方こそ。何がうちの親は放任主義者よ。とんだペテンじゃない」


 紛れもなく、シャーロット・マカリスターだった。


「ちょっと、どうなってんのよ!? なんでお嬢ちゃんがここに……」

「知りませんよ。訳の分からない黒服達がどかどか入ってきて、どういうわけか誰も止めないし……上に聞いても知らんぷりで。俺はもう知りませんからねっ!」


 若い警官は逃げるように一階に戻った。

 同時に、腕組みで凛と立つ彼女の周囲で起き上がる者たち。三人の取り巻きだ。


「行方を調べさせたらフェスタ、貴方がここに居た。どういうことか説明して貰おうかしら」


 ――『女帝』の命令だった。後ろを見ると、黒服達がそっと詰めているのが見える。


 振り返る。アーロンは肩をすくめた。

 これまでか。フェスタはため息を付いて、女帝に対する説明責任を果たすことになった。


「……そう。そんなことに、なってたのね」


 ソファに座り、フェイに渡されたブランケットを肩からかけたシャーロットは、流石に動揺が隠せなかった。温かいココアを啜りながら、両肩をかき抱く。

 彼女は途中何度も聞き返した。あまりに荒唐無稽な事実の連続だったからだ。しかし、やがて説明が兄の件とリンクするに従って、その動揺は脇に追いやられた。若い少女としての、あまりにも純粋な、感情の取捨選択だった。


「すまない。全部、おれが騙してたようなもんだ。仕事とはいえ、悪かった」


 向かいのフェスタが頭を下げるが……彼女が手で制止する。そして、違うことを言い始める。


「家には帰れないわ。当分はセーフハウス暮らし。それに、母はあの後ショックで寝込んで……今は病院にいる。無理もないわよね。だから、残りは私だけ」

「シャーロット……」

「私、父が死んで、兄が居なくなってから、ずっと逃げてた気がする。だけど、もう、それも無理なのかもしれない。だったら逃げないわ。私はもう無関係じゃいられないもの。兄が、あの恐ろしい化け物となにか関係があるっていうなら。私だって知りたい。兄が、何をしていたのかを」

「だが、それは……」

「いいの。どうせもう、何もかも変わっちゃった。それに、マカリスター家の令嬢の言うことに、そう簡単に文句はつけられないでしょう」


 彼女は真剣そのものだった。言葉とは裏腹に傲慢さはなく、本気だった。

 フェスタは、後ろを向いて、アーロンを見た。彼は肩をすくめて言った。


「私は構わないさ。何かあれば、お前たちに詰め腹を切らせて、手を引く」

「お前、何歳の人間に……」

「いいんです、警察の人。全部ぜんぶ、覚悟の上。今からシャーロット・マカリスターは……あなた達と協力して、事件の真相を、絶対に暴いてみせるわ」


 立ち上がった。大人たちが目の前に居た。困惑する者、口笛を吹く者。だが彼女は一切物怖じしなかった。フェスタは――少女が、本当に女帝になろうとしている瞬間を見た。


「お前は子供で、ほかは大人だ。危ないと思ったら、即、手を引かせる。分かったな」

「分かってるわ。仕事の邪魔はしない……それに」


 そこでシャーロットは、その顔をずいいっとフェスタに近づけて……両頬に、手を当ててきた。唇が、吐息が、目の前にある。


「私は、貴方が無関係の他人だと言ったけど。あんなことがあって。私の涙を拭って抱きしめて。そんなことをする『同級生の男の子』なんて、ただじゃ済まさないわ。責任とってもらう」


 フェスタはいつの間にか、頬が赤くなるのを感じた。それは屈辱か羞恥か、なんなのか分からなかった。

 だから彼はただ、まさに十四歳の少年のように、頷くしかなかった。


 ――それから後に、シャーロットは付き人の少年たちを紹介した。そして、彼らの非礼をわびた。元々はお前がこいつらを従えてたせいだろ、という言葉を呑み込んで、説明を聞く。


「俺はカート」「デイヴ」「クリス」


 上からのっぽ、ちび、巨漢である。


「悪かった。お前、お嬢様を守ってくれてたんだな。これからはお前も、俺達の仲間だ」


 のっぽ――カートは興奮しながらフェスタの手をとって、ぶんぶんと上下に振った。


「いや、おれは……」

「遠慮するな! これからは四人でお嬢様をお守りするんだ、わっはっは!」


 それから肩を組んで、少年たちは笑い始めた。

 フェスタは、彼らみんなを捜査員として『承認』し――役者は揃った。

 同時に彼は、シャーロットに嘘を重ねることになった。小さな嘘。


 ――


◇ 十二月十三日 時刻:午前十時 ◇


 シティには、あいも変わらず雪が降っている。

 街の通りには、ある『イベント』の開催を知らせる広告が至るところで目立っていた。

 ――『あの悲劇から五年によせて。セレモニー開催のお知らせ』。

 人々は直視を避けるかのように俯き、寒さの中で通り過ぎていく。


「ええ、ええ、では当日の警備がお任せください。なんの、何も起きませんとも。例年通りですよ、市長……はい、では失礼します」


 シェルビー警察長は冬空を窓いっぱいに眺めながら、受話器を置いた。


「……再来週ですな」


 ハドリーが言った。シェルビーは鷹揚に肩をすくめて言葉を返す。


「当日の賓客についての自慢を延々と聞かされたよ。こちらの苦労も知らずに」

「批判は多くなるでしょうな」

「だろうよ、惨劇をイベント化するなだのなんだの。しかし、今のこの街にとってあの出来事は、剥がせないカサブタのようなものなんだ」


 シェルビーの見ているパソコンモニターには、その惨劇の舞台となった場所の空撮が見える。かつて赤茶けたクレーターを晒していた場所も、今となっては資料館を傍らにすえた大きな広場となっている。その変わりようを不謹慎だと謗る者は、絶えない。


「悲しみも憐れみも、時が経てばビジネスだ。それが街の基盤となっているのなら、受け入れるしかないじゃないか」


 ハドリーは窓の外を見ていた。シェルビーは彼とは目を合わさず、そっとため息をつく。


「なぁ、ウォシャウスキー君。君の思ってる以上に、この街の春は遠いんだ」


 諦めの匂いが漂う彼は今、それとは真反対の連中のことを考えていた――。

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