file9 こいつが始まり

 床に散らばった破片に目をやると、彼はそこに腕が伸びるのを感じた。実際にそうしているわけではないにもかかわらず、彼はそれらを掴み、あまつさえ、それが身体と同化している感覚さえ覚えた。目を前方にやると、それはまるで腕のように伸びて、相手にぶちあたる感覚。


 それが本質だと感じた。力であると。あの時鉄パイプを動かしてみせたのは、状況をフルに動員して現状を打破しようとしたからだ。今もそうだ。ギフトの正体はこうだ。確信する。

 物質に自身の意思を送り込み、操る。自らの肉体として。

 そうしている間、自分自身の肉体の動きは鈍くなるが、問題はない。散らばるものすべてが、自分の身体になる。

 たとえばそう、こうして、ありったけの『意思』を込めれば。


「弾いてみろよ、その弾力で」


 こうして、大きなソファだって、驚愕するそいつの目の前に浮かせて。


「できればの、話だけどな」


 思いっきり、そいつを投擲して。殴りつける事もできる。

 ――大質量は、男にぶつけられた。

 彼はその勢いでバウンドし、庭に転げ落ちた。更に近づいていく。

 男は嘔吐する、膝立ちになる、こちらを睨みつける。形勢逆転。表情には、怒りと……戦慄。こいつは驚愕しているのだ。今まで、他のギフテッドと戦ったことなどないのだろう。


「そこから狙いをつけて、飛んでみるか。そうしたら、ほら。包丁やらナイフやらが、お前を狙ってる。外に逃げるか。仲間が居るぞ。今度は逃さない。どうする。全身打ち身だらけだろ」

「てめぇにはあるんだな。守るべきものが」


 彼は言った。立ち止まる。顔を上げたゴム男の顔……ぞっとする。

 そこにあるのは、怒り。違う……狂気だ。こいつにはない。語ってみせた『それ』が。


「だったらてめぇは、絶対に、俺には勝てねぇ」

「根拠はなんだ。おれは刑事だ。勝つ勝たないはどうだっていい。お前を逮捕できりゃ――」

「いいやそんなことはさせねぇよ、てめぇは死んで、俺は生き残るっ!」


 咆哮。その時点で攻撃するべきだった。一瞬行動が遅れた。周囲に散らばるものを確認しておけばよかった。だが、くそっ、暗くてよく――。

 ――漆黒の弾丸が、後方に強烈な反動の轍を作り、前方から真っすぐ飛んできた。風を撒き散らし、ガラスの破片を周囲に舞わせた。フェスタは『見て』、ありったけのそれら破片を動かして、大慌てで彼に浴びせにかかった。

 だが遅かった。

 弾丸は、リビングの中に舞い戻り、フルスピードで突っ込んだ。回避、倒れ込む。ばらついたガラスで身体を傷つける、上体を起こし奴を見る、既にバウンドしていた。轟音。奴は。

 リビングの内部、広大な空間を――縦横無尽に駆け巡り始めた。

 同じだ、あの時と。あの袋小路と同じだ。

 目線を巡らせる。各部に、各部に。だが、くそっ。無理だ。奴は部屋をバウンドし、壁に、床にぶち当たり、その度に激烈な振動を巻き起こしながら、視界のあちこちに現れては消え、現れては消える。椅子の破片を、砕けたテレビのパーツを、急いでかき集めて、宙に浮かせて、奴を見て、追尾させる。だが奴は、早かった。あまりにも。

 リビングの中を、黒い嵐が蹂躙する。

 先程までとは、まるで違う。追いつかない。速すぎる、速すぎる――。


「ぐあっ」


 身体を、抉られた感覚。実際はかすめただけだ。だが赤熱したように痛む。今まさに、自分の脇腹を、奴が『通った』のだ。鞭のように。そしてまたバウンド。足がたたらを踏む。くそっ、奴は。奴に狙いをつけろ。駄目だ、追いつかない――。

 もう一撃。頬が腫れ上がる。ふらふらと千鳥足になる。そして更にもう一撃、一撃。

 薄暗い、明かりの消えた部屋で、黒いゴムの弾丸が、刑事の小さな身体を、まるで踊るようにしてなぶり、消えて、またなぶっていく。そのたび壁にヒビが入り、床がグラグラと不安定になっていく。


「お前っ、このままじゃ崩れちまうっ……お前も巻き添えだぞ!」

「知ったことかっ、俺はゴムだ、どこからでも脱出できる……だがてめぇはどうかなぁ!」


 応援を呼ぶか、そうだそれがいい、だがこの状況で――。

 黒い弾丸が、少年の意識を刈り取っていく。そうだ、この状況。もっと早くに気づくべきだった。なんのために玄関を諦めてリビングに行った。それは狭かったからだ。狭いところなら、奴は動きづらいからだ。そして、おれは能力に目覚めて、周りのものを。

 そうだ……そのせいだ。おれはなんてバカなことをしたんだ。繰り返される痛みの中で、自らの失態を反芻する。有利からの一転、急転直下の絶体絶命。自身が招いたミスだ。

 おれは、周りのものを操る力を得た。だが、そのせいで、この部屋を『広くしちまった』。ソファも椅子も、何もかも投げつけて、瓦礫同然にしちまった。もっと早くに刃物か何かを使って、こいつを封じるべきだった。だがどうしろと言うんだ、部屋がこんなにも暗い――。

 声が、やけに遠くに聞こえる。


「てめぇは刑事だろう、俺には分かる、妙に小さくなって、妙に声が高くなって。それでもわかったのは、お前の『魂』が見えるからだ! この力を手にして、ろくに目が見えなくなっても! 俺は冴えてきたんだ! わかるぜ、俺はいま! お前を追い詰めてるってことだぁ!」


 ――待て。

 不意に、現実感が戻ってくる。それは痛みと一緒だった。手荒い歓迎だ。

 しかしそれは同時に……頭の冴えも、自分に戻してくれた。

 こいつは今、『目が見えなくなって』と言った。そしてもっと前には『こんな目になっても』と言っていた。


 事実・確証――こいつは、あまり目が見えない?

 何故。まさか……それが、こいつの対価。そして、それ故に自分は今、致命傷を避けられている。そうだ、そうに違いない。おれを一撃で殺すなら、もっと確実に自分に狙いをつければいい。出会った時から、最初から。しかしこいつは、部屋中を跳ね回って、それで自分の命を少しずつ削っていく方法しか取ることが出来ていない。


 そうだ――そうでなければ、こいつは、ガキになったおれに、もっと動揺しているはずだ。


「……だったら」


 だったら。やりようはある。勝てなくていい。負けなきゃいい。

 その方法なら、今すぐにでも思いつく。


 ……フェスタは、目を瞑り、その場で座り込んだ。

 相手は気付いていない。だから、動きを変えることもない。

 深呼吸をする――意識を、四肢に集中する。時間が停滞する。推理の時間だ。


 おれは、意識を集中することで、身体を延長し、モノを操る。

 だったら、その意識を、自分の身体のどこかに集めたら……どうなる?


 彼はしばし夢想し、やがて実行に移した。ぴくりとも、その身体が動かなくなる。


 ……十数秒後。男は。


「っははははは、動けないらしいな! いよいよ場所を捉えたぞ! とうとう終わりだなぁ!」


 狂喜の中で駆け巡りながら、いよいよ相手を屠るために身体を引き絞り……。


「あ……?」


 違和感をおぼえる。身体が、妙に鈍い。油が足りていないように。疑問に思い、もう一度身体をバウンドさせた。今度はうまくいった。

 だが、奇妙なぎこちなさは変わらない。そのまま何度も部屋を駆け巡る。何度も、何度も。そのたびに身体が鈍くなり、何やら、決まった動きしか出来なくなっていく。なんだこの感覚は、妙だ。奴は動かない。今度こそとらえられているはずだ、なのに。なんだこれは。


「なんだっ、なんだ、この感覚はぁーーっ!」

「……お前。そこまでだぜ」


 そうして、男のバウンドはストップして、地面に転がり落ちて、動かなくなった。

 唖然として、男は顔を上げた。よく見えないが、そこに刑事が居ることはわかった。

 それからしばらくして、ようやく理解する。

 自分の身体が複雑に絡まりあって。がんじがらめの塊になっていると。


「種明かしの時間だ、ハンプティダンプティ」


 フェスタは、自分自身の『感覚』に、精神を集中させた。すると、相手がどこをどのように飛んでいるのか、うっすらと知覚出来るようになった。同時に彼は、自身の身体でさえも、『モノ』として捉えることができれば、操作の対象になることを理解したのだった。

 そこからは簡単だった。その場から動かず、どこから奴が飛んでくるのかを確かめて、その方向に相手を誘導してやれば……奴は、伸び縮みする四肢を部屋の瓦礫のあらゆる場所に引っ掛けていき、どんどん絡まり合っていく。そいつを最後まで見届ければ、完成だ。


「耳と、鼻か。血が止まらない。だが、これでお前は動けない……」


 彼はふらふらになった満身創痍の身体を相手の目元にしゃがみこませて、手錠を突きつける。


「現行犯逮捕だ――住居不法侵入と、それから器物損壊罪。高くつくぞ」


 しかし。奴は動かない。黙り込んでいる――不気味に。


「おい。答えろ――」


 フェスタは、男のバラクラバ帽に手をかけて、その顔を拝もうとして――。


「誰を逮捕するんだ。俺をか。ははは、俺は。『俺達』は……絶対に捕まらない……そうだよなぁ、『兄貴』ィ!」


 次の瞬間――足元の『床』が、噴火した。

 フローリングがささくれて、その真下の建材を露出、足元をすくわれる。

 なんだ、何が起きた。目の前を見る。ゴム男は嘔吐し、目元を充血させて、身体を強引にねじり、ぶちぶちと肉の一部がちぎれる音がするのも構わず、拘束をほどいていく。逃げられる、駄目だ。しかし、周囲を見る。震動する、ざわめく。何が起きている。床がめくれて、崩れて、いや違う。足元。黒い――。


 『床が、腐食している』。


 まもなくフェスタは、ボロボロに崩れて陥没した床の中に落ち込んだ。同時に彼は、開け放たれた窓の向こうに、四肢の自由を取り戻したゴム男が逃走していくのを見た。



 フェイはグロックを構えて、庭から飛び出した蜘蛛のような姿に狙いを付けた。しかし、そいつは暗闇に溶け込むと、夜の谷間を飛び越えながら消えていった。もう届かない。

 彼女が銃を下げると、パトカーのすぐ近くに、イエローのフィアットが滑り込むように停車する。運転席から、髪を振り乱したドクターが出てくる。


「少年は!?」

「いま、出てくるっス」


 周囲の警官たちがどよめいた。

 玄関の門をぎいっと開けて……ボロボロの、青あざだらけの少年が出てきた。

 彼はフラフラと歩き、警官たちには目もくれず、ドクター達のもとに歩いていく。


「……少年」


 フェイとドクターが駆け寄る。


「……あいつらは」


 その問いの意味は、すぐに分かった。ドクターが警官の一人に目配せすると、彼は力強く頷いた。


「大丈夫。いま、保護されてるよ。みんな無事」

「……そうか」


 彼は呟いた。疲労と苦痛が充満しているが、それでもどこか、安堵しているようだった。

 ドクターは彼の肩に白衣をかける。周囲で警官たちが動き出し、どかどかと屋敷に入り込んでいく。フェイは、二人からそっと離れる。


「逃げられちまった。おまけにこの有様だ。始末書どころじゃない」

「でも……収穫は、ゼロじゃなかったんでしょ?」

「ああ……こいつが。始まり、だ」


 すると少年はふらふらと脱力し、ドクターの胸元に倒れ込んだ。

 静かな寝息が、聞こえ始める。

 ドクターは目を丸くしたが、やがて口元を緩め、彼を抱え込んだ。

 それから、青と赤のサイレンを浴びながら、小さく囁いた。


「お疲れさま、小さな刑事さん」



 第二の男は、屋敷から少し離れた場所に立っていた。

 だが、腕を伸ばせば、簡単にその手におさめることができそうだった。


「……馬鹿が」


 彼は、『脱出』の手助けが成功したことを確信すると、再び闇の中へ消えた……。

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