file7 捜査3:彼女について
マカリスター夫人の案内に従って、というより言われるがままに、屋敷を案内される。
高級感あふれる調度品に、広々とした屋内。シャンデリアにカーペット、ワインセラー。そのいずれも絢爛豪華で、フェスタは開いた口が塞がらない。
だがそれでも、それらは嫌悪感を掻き立てることはなかった。金満であることを誇示するようないやらしさはなく、総てが空間に溶け込んでいるようで――なんというか、警察長のそれとは違って、センスが良かった。余暇でここがリゾートホテルとして与えられたのであれば、悪い気はしないかもしれない。
そんな間抜け面に気付いた夫人は、目を異様に輝かせながらフェスタに近づき、まくし立てた。ここは建築家だった主人がデザインしたのよ。ほら、あの庭だって、それから……。
フェスタは気圧されるままに頷くしかない。横目で、シャーロットを見る。
浮かない顔をして、時折、異常に張り切っている母親の顔を見て、ため息をついている。
やがて彼女はバタバタと落ち着かないまま食卓に二人を案内。掃除をしていたハウスメイドを呼びつけ、テキパキした口調で、来客におもてなしを用意するように言った。
それからしばらく。
なんだかすっかり萎縮してしまったフェスタの前に大量のお菓子と飲み物が並べられて。
「さぁさぁ、召し上がりになって。シャーロットのお友達なんだもの。大事なお客様よ」
容赦なく突き出されたそれらを、それなりの態度で平らげることを要求されたのだった。その間もずっと、夫人は……ずっとハイだった。何か、酩酊状態になっているかのように。
フェスタが苦笑いを浮かべながらクッキーを咀嚼している間、シャーロットはずっと俯き、時折母の顔を見る。そして、その後方には、広い屋敷の内部が広がっている。その空間が、やけに空虚に、寂しく……灰色に見えたのは、気のせいだろうか。
腹がすっかり満杯になって、後は玉袋に詰め込むしかなさそうになっても夫人はまだ菓子を勧めてきた。まるで変わらぬハイテンションのまま。
流石に断ろうと思ったが、そこで、不意にシャーロットが立ち上がった。
「お母様。私、自分の部屋を、案内しようと思うの」
「ああ、でもお菓子と飲み物は……」
「もう満杯よ。彼、苦しそうじゃない。気付かなかったの?」
やや尖った物言いだ。それを受けると夫人は、まるで射抜かれたように静かになって、それから火の消えたような、力のない笑顔を向けて言った。
「ええ、ええ。そうね……言ってらっしゃい」
言葉の最後までしっかり聞き届ける前に、シャーロットはフェスタの腕を強引にひっつかみ、階段を駆け上がった。
「お、おい……」
二階のドアを開けてフェスタをその奥に押し込めると、シャーロットはドアを後ろ手で閉めて、部屋に入った。
かわいらしい小物が散りばめられ、薄いレースの付いたカーテンやベッドがある。清潔な、少女の部屋。
しかし、どこか寒々しい印象。窓から差し込む藍色のせいだけではないだろう。
「ごめんなさいね。すごく遅くまで付き合わせちゃって。もうすっかり夜だわ」
「それは、いいよ。うち、放任主義者だって……」
「――ごめんなさい」
彼女は再度、謝った。こちらの言葉を遮って、ドアにもたれたまま。
影が、色濃い。そのまま溶け込んで、存在が消えてしまいそうなほどに。
「お母様……、ずっとああだから。もともと、父が死んでから不安定だったんだけど。兄が居なくなってから、もう完全におかしくなっちゃって」
「君の、兄さん……」
「私のストーカーさんなら、知ってるでしょ。兄が居たこと。それで今、どうなってるのか」
返す言葉もない。彼女は無表情に顔を上げた。ウソをつける状況ではなかった。
……フェスタは無意識に、インカムの電源をオフにした。
「あなたがきっと知ってる通り。私は女帝。そう呼ばれてる。みんなを足蹴にして見下して、慕ってくる男たちを取り巻きにしてる。みんなからは恐れられて……嫌われてる」
彼女は、まるで他人のことのように言ったあと、ふっと自嘲気味に笑った。
「だけどそれは、なりたくてそうしたわけじゃない。私は、兄が居なくなってから、絶対にそうしなきゃならなかった。そうじゃないと……何かが壊れそうだったから」
十代そこらの少女がするには、あまりにも陰影の濃い顔だった。こちらが何も言えないまま、彼女はドアから離れて……ベッドの傍の壁についているカーテンをめくった。
そこは本棚だった。古めかしい木目の棚。並べられているのは……絵本だ。
「それは……」
「お兄様が小さい頃、ずっと私に読み聞かせてくれてた絵本。ずっと数年前に父が死んでから、かたむきはじめた家の中で……不安と戦うための力を、私に与えてくれたもの。兄が読んでくれる絵本の世界は、どれも素敵で……聞いてると、兄に守られてるような気がしていた」
絵本の一冊を手にとって、めくりながら語る。その表情は柔らかくなり、遠い昔を懐かしむようになった。視界を、教科書のならぶ学習机の上にやると、そこに小さな写真立てがあった。幼い頃の、兄妹の写真。二人は笑っていた、無邪気に。どこまでも無邪気に――。
「だけど。それも、兄が消えるまでだった」
彼女は、バタンと本を閉じた。ホコリが舞って、瞳が再び下を向いた。
「私を守ってくれる人は、もう居なくなった。兄が消えた理由は、警察も知らないって言ってた。だけど、何となく感じる。兄はすごく、危ない目にあったんじゃないかって。兄は昔から、本音を隠す癖があった。女の子たちをたくさんそばに置いてたのも、ほんとうの自分を隠して、偽物の仮面をかぶるためだったんじゃないかって思う」
浮かび上がる――軟派な、という情報よりも、もっと深く複雑な、少年……ハリーのことが。
「私はもう、一人で戦わなきゃいけなかった。一人で母を支えなきゃないから。無理やりにでも、強くなるしかなかった。だから私は……兄の立場を利用した。どこまでも、嫌な女になろうと思った。そうすれば誰も近づきやしないから。そうすれば、こわいものはなにもないって」
――事実。それが、シャーロット・マカリスターの真の姿。仮面の内側は、ただの少女だった。多感な時期に、不安に怯える一人の少女。
「ごめんなさい。私、何言っちゃってるんだろ。貴方に出会って、まだ間もないのに……今日のことは、気まぐれと思ってね。実際そうだもの。明日からは、無関係の他人に――」
フェスタは、無意識に行動に出ていた。
そっと傍に近づいて、ぬぐっていた。彼女の目に光る、涙を。
「何を……」
「最初からそういうことだったんだな。そんな気はしてた。君は実のところ、話し相手を欲してたんだ。それで、うまい具合に、日常の『異物』になってたおれをマトにした」
「……どうしてそこまで分かるの。聞いたわけでもないのに」
「いや……おれ、ストーカー……だから。分かるし。それに、泣いてほしくないんだ」
彼女は呆然として……それから、また、小さく笑った。
「なによそれ。変な人」
「ああ、よく言われる」
そこでフェスタも、下手くそに笑った。
――事実。こんな少女を泣かせたハリーとかいう奴は、とんでもなく罪作りな奴だ。それでいて。きっと途方もなく、おもしろいやつだったに違いない。
カンと言われればそうだ。しかし、彼は感じたものを信じる事ができる。
そこから、何を言うべきか迷って。
「……っ」
シャーロットが、フェスタとの距離に気づき、後ろに下がった。それからぼうっと、頬を赤くする。それに対しても、どう答えるべきか迷っていた、まさにその時――。
――――みぃつけた。
彼女の部屋の窓ガラスが粉々に砕け、外から黒い影が飛び込んできた。
◇ 十数分前 特対アジト ◇
「なんですって……」
ドクターは、アジトに置かれた固定電話の子機を握りしめて言った。
「センセイ、一体なにが」
……彼女は緊張を孕んだ表情で、それを受話器に叩きつけると、フェイの方を向いた。
「街頭監視カメラが捉えたって――『黒尽くめの、身体がゴムのように伸びる男』」
「……まさか」
「今回が初めてだよね。よっぽど焦ったと見える。少年がヤバいかも」
……意味を理解したフェイは、すぐさま頷いて背を向け、装備の準備にかかった。
「いよいよだね、刑事さん。穴に向かうウサギは、見つかったらしい」
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