file6 捜査2:屋敷 

◇ 十二月八日~九日 ◇


 事実二つ目。シャーロット・マカリスターは、誰よりも早く登校している。そして、万全の状態で始業に備える。それからの姿勢は常に一定、授業態度は極めて良好。


 そこから分かること――彼女は決して空っぽではない。女帝として君臨するに相応しいだけの『優等生』であること。少なくとも成績は非常に優秀で、体育での活躍も目覚ましい。


 備考:メモはトイレの個室にて記入。ただし、丁度となりの個室から出てきたばかりの側近の一人――ちび――下痢だったらしい――と遭遇。発見、襲撃を受ける。掃除用具を操れぬものかと奮闘したが微動だにせず。からがら逃げおおせる。


「『フェイの言っていた、“本質”とはなにか。それを考える必要がある』――」


 捜査における情報収集では、『何故』のリンクが重要になる。

 そこで。ここまでで見えてきた、彼女の人となりについて。


 彼女はただ傲慢なだけではない。その内面は、こちらの想像よりもずっと複雑だと考えられる。何故、彼女は兄の跡を追うように『女帝』であろうとするのか。そのうえで、なぜ兄のように、自分から誰かを惹きつけようとはしないのか。その秘密を探る必要があった。


 そして、見つけた。

 ……フェスタは、『それ』を知った時、意外なほど、シャーロットに悪い印象を持たなかった。

 というわけで、事実三。


◇ 十二月十日 時刻:午後四時半 ◇


 放課後。校門に向かう廊下でざわつきが起きている。

 その理由といえばもちろん女帝である。側近たちは周囲に目をギラつかせている。その中央を、彼女が完璧なモデル歩きで通っていく。生徒たちが自然と脇へ寄り、道を開けていく。更にその先、夕暮れの光の中には……彼女の乗る車が待たせてあるのだ。


「すごい光景だな、全く」

『ねえ、本当にそれやるの』


 フェスタは、階段のカドからその様子をこっそり見ている。


「ああ」

『大丈夫なわけ……?』

「おれのカンだ。外れたのは、弾丸がゴムに弾かれた時だけだ」


 そうして耳をすませると、遠ざかる彼女たちの背中から会話が聞こえてくる。


「……それで俺は言ったんですよ、それはワニだって。俺はそいつに掃除を、」

「ええ。そうね」

「……で、しかも。そいつはいきなりライスに汁をですね、ザバッとかけて……」

「大変ね」


 笑い声。そこではじめて、女帝の肉声を聞く。怜悧で澄んだ、想像通りの声。そして、側近達の話には、適当に相槌を打っている事がわかる。彼らはそれに気付いていないのか、愉快そうに話しかけ続けているが……彼女の反応は冷たいままだった。心は、ここにないということ。

 ……ならば。よし、と意気込んでから、フェスタはその角を離れ……。


「あああああ、と、トイレっ……尻に、尻にジャージー・デビルがああああああ」


 絶叫しながら両手を振り乱し廊下を疾走する変態と化し、女帝に向かって特攻をかけた。あまりのことに誰も正しい反応ができず、ぎょっとしたまま通り過ぎるのを見る。誰も、危ない、とは言えなかった、そして。

 フェスタは、女帝にぶつかった。側近たちすら押しのけて。後ろから。さも、途中で転倒した、とでも言うように。


「……っ」


 彼は、廊下に倒れた。

 同時にバラバラと、スクールバッグの中身が床に散る。

しかしそれは、フェスタのものではなかった。いま、女帝は姿勢を崩して、尻もちをついていた。彼女のバッグから、こぼれたものだった。


「っ、また貴様かぁーーーーっ、新入生っ!」


 のっぽがフェスタのところにのしのしと駆け寄ってくる。女帝は側近達に心配されながら、自力で起き上がる。それから、自分で中身を拾い上げる……。

 ……ざわめき。皆の視線が注がれる。女帝は、少し動きを硬直させる……。

 皆は、それを見ていた。落ちた、バッグの中身。そのうちのひとつ。

 絵本だった。対象年齢三歳ほどの、表紙がボロボロの絵本が落ちていた。


 事実三。シャーロット・マカリスターは、度を越した絵本好き。毎日朝早くに学校に来て、お気に入りの一冊を読んでから始業に向かう。その際、二度の頬ずりを欠かさない。


 側近たちも、当然知らない。彼らは顔を青ざめさせていた。


「何事だ」


 校舎出口から、どかどかと入ってくる大人たち。黒いスーツの者たち。『女帝』お付きの『正式な』側近である。彼らは彼女が観衆に見られながらその姿を晒しているのを見つけた。

 そして、騎士を気取った少年たちを跳ね除けて、令嬢に近づいて声をかける……絵本は既にバッグに収納された。だが、皆の目にはしっかりと焼き付いた。彼女は、少年を睨んだ。


「君。お嬢様に何をしたのかな」


 フェスタの肩をがっしりと持った一人が言う――訳はこうだ。『お前はとんでもないものを見てしまった。今すぐ忘れろ』。

 だが、少年刑事はそこで、自分のバッグから取り出した。


 ――絵本。彼女が持っていたのと、まったく、同じものだ。

 シャーロットの目が、丸くなった。男たちも、呆然としている。


「あの。それ、お好きなんですよね。実は僕もなんです。だから、その。仲良くなれないかなって……それで、ずっと、その……」


 そこからは、渾身の名演技だ。ご丁寧に顔を赤らめて、絵本を鼻の下まで持ってきて、上目遣いをキメる。インカムの奥でクスクス笑いが聞こえる。こめかみがひきつるのを感じる……。


「お前まさか、それでずっと……それだけのために、ストーカーまがいの……」


 側近の少年のうち一人が、唖然としたまま、言った。

 女帝――シャーロットは、そのまま、開いた口を閉じて……恥辱に震えて、怒り狂う。

 と、そう思われていたが。


「……くすっ」


 彼女の口元が、ゆるみ。


「ふふっ……あははははは、はははははははははははは!」


 笑いが、弾けた。とびっきりの笑顔で、瞳がくしゃっとなり、身体を震わせながら。


 呆然、第二波。硬直――『女帝が笑った』。

 男たちもどうすべきか分からない様子で、所在なさげに立ちすくんでいた。

 そうこうしているうちに、彼女はフェスタのそばまで来た。それから。


「面白いわね、あなた。そんな風に私のことが気になる子、はじめてよ」


 最高に愉快だと言わんばかりに、絵本を、強引にバッグにしまいこませた。

 そこでフェスタは気づく――笑うと、驚くほど兄に似ていた。


「お、お嬢様」

「ねぇ。この子、私の友人よ。今から買い物に行くから、付き合わせてもいいわよね」


 急展開。黒服たちは顔を見合わせているが……女帝は強引に話を進める。


「あなた、おうちは? 今日は遅くなるってあなたのママに伝えて」

「あ、ええと」

『勝手にどうぞ。楽しんでね、このスケコマシ』


 何故不機嫌なのか。それはそうと、警察の地下に寝泊まりしてますなんて、言えない。


「大丈夫だと、思う……うち、割と放任主義だから」

「そう。ひどい親もいたものね。まぁいいわ、ついてきて」


 それから彼女は、フェスタの腕をぐいっと掴んで、廊下をずんずん進んだ。その後ろと横を、黒服たちは慌てて追いかける。人々の垣根は、事態が理解できぬまま放置される。


「ちょっ、ちょっと、お、俺たち、俺たちはーーーーーーっ!?」


 残されて、叫ぶ少年たち。だがそれを無視して、シャーロットは校舎を出ていった。

 その先にはぴかぴかに磨かれたマカリスター家の車が横付けされており、かくしてフェスタは、女帝と接触するどころか、奇妙なデートに同伴することとなった。


 ――事実四。凍りついた仮面から解放された女帝は、奔放そのものだった。


 フェスタ少年はその後、彼女の命令するがままに動く車に乗って、いくつもの名前の知らない服飾店に付き合って、大量の買い物の荷物持ちをさせられて、試着の感想を毎度求められ、そのたび『似合ってる』と言おうものなら途端にへそを曲げられて。はしごをするたびに、彼の持つラッピングの数は増えるばかりだった。


「私は彼女の世話を十年やってきたが」


 黒服のうち一人が、先をどんどん進む彼女を見ながら、フェスタに耳打ちをする。


「こんなに誰かに心を許してるのは、初めて見るぞ。飽きられるまでは、頑張れよ」


 喜ぶべきか。まぁそうなのだろう。少なくとも彼女は今、こちらがくらくらするほど、意味不明なまでに上機嫌だった。


「何してるの、雄牛さん。はやく来ないと、置いていっちゃうわよ!」


 それからも彼は、たっぷり買い物につきあわされるのだった。


◇ 午後六時 ◇


 彼女の自宅の前まで来た。広い庭のついた豪華な邸宅。思わずため息が漏れる。

 車のトランクから荷物を取り出すと、屋敷から別の黒服がやってきて、てきぱきとそれらを抱えて敷地内に戻っていく。


「買った買った、たっぷり。これ以上はお母様に叱られるから、今月はもうお預けね」


 そう言って彼女はフェスタを見て、ウインクをこぼす。

 本当に、昼間までの印象とは、全く違う。そしてこれが、氷の溶けた本来の彼女の姿。


「あなた、おうちはどこなの。送って行かせるけど」

「いや、いや、いいよ。ここからだと近いし。歩いて帰れるよ」

「でも、危ないわよ。ねぇ、どこなの。遠慮しなくたって……」

「あら、シャーロット!」


 そこで、声が聞こえた。

 邸宅の門が開いて、玄関ポーチから一人の女性が駆け寄ってくる。

 ゆるいケープに身を包んだ、妙齢の女性。


「……お母様」


 声の主を見た。黒服たちが彼女を見て、少し下がって頭を下げている。

 くすんだ栗色の髪の、美女。なるほど、彼女が――この屋敷の主。


「その子は?」

「えっと……」

「分かったわ! お友達なのね! シャーロットにお友達! なんてこと!」


 美女は目を見開いて両手を合わせ、大きな声を出した。底抜けに大きな。思わず、少し驚く。


「こんなこと今までなかったわ、これは大変、大変だわ。大事件よ、我が家の……」

「お母様、あのね、」

「どうぞ、招待して差し上げなさいな。ハリーにも教えてあげなくちゃ……」


「――お母様。お兄様はもう居ないでしょう。思い出して」


 そこで、空気が止まった。彼女を見た。

 ……その瞳は、空虚だった。何か、大事なものがごっそり抜け落ちているかのような。


「ああ、そうね。嫌だわ、私ったら。ごめんなさい……ええと、お友達さん」


 彼女ははっとして我に返り、取り繕うように言った。

 シャーロットから視線を感じる。彼女を見ると、バツが悪そうな顔をしていた……。


「ごめんなさいね。この子ったらこんなに買い物して。汗もかいたでしょう。よければ、冷たいお飲み物だけでもお召し上がりになって……ね?」


 ……フェスタに、断る理由はなかった。

 頷くと、彼女の母親は再び両手を合わせて笑顔になる。そして軽やかな足取りで屋敷の奥へ。

 ……シャーロットの方を見た。彼女は表情で語っていた。『ごめんなさい』と。

 なんと答えるべきか迷った。だから、ただ微笑みを返して、母親の背中に続いた。


◇ ??? ◇


 屋敷に入っていく少年の後ろ姿を、離れた高所から観察している者が居た。

 黒づくめにバラクラバ帽――そいつは、壁沿いの排水パイプに、『身体を巻きつけていた』。


「驚いたぜ。本当に『あいつ』なのか……どうなってるのかは分からねぇが、始末するなら今だ、ああ分かってる。今度は逃さねぇよ。計画を妨げる奴は誰だろうとな……」


 そいつはマスクの内側でにやりと獰猛に笑うと、パイプから離れた。

 身体がなめらかにバウンドしながら――屋敷に向けて、跳躍した……。

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