file5 捜査1:お気に召すまま


◇ 時刻:正午 ◇


 そして、時が来た。広々としたカフェテリアには生徒たちや教師がごった返している。

 その中でフェスタ刑事は、自分のランチセットを確保したまま、じっと先を見ている。


 『女帝』はまさに座席列の中央に、陣取るように座っていた。

 その周辺にはあの付き人の男たちが固まっており、その空間を支配していた。

 テーブルに広げられているのはまさに豪華絢爛な自家製ランチ。高級感漂う装飾が施されたバスケットが箱庭のように展開され、彼女の目の前に鎮座する――まさに、女王に傅くごとく。

 その目の前で彼女は、何ら反応を見せることなく、つんと鼻を高く立てて、背筋をぴんとまっすぐに保ちながら、静かにナプキンを胸にかけ、ナイフとフォークを取り出している。

 当然周囲の生徒たちはざわつきながら彼女らに対して一定の距離をとり、恐れていた。


「おいおい、あいつロブスター食ってんぞ」

『マカリスター家には代々筆頭シェフが居るらしくてね。みんな、都市の高級ホテルから引き抜いてきたらしいよ』

「アレで十三歳だってのか」


 側近の男たちは、ざわつき、畏まりながら周囲を通っていく者たちに対してぎらついた目を向けている。そのただ中にあって、女帝は部下の振る舞いに欠片も眉を潜めていない。

 ただ、その怜悧な印象のままに粛々と――しかし優雅に昼食を進める。その振る舞いには欠片のスキもなかった。あのガキに近づけという任務が、一気に不快な仕事になってくる。

 その感情は、兄を失った少女に対する哀れみとは、別のところで動いているものだった。


『レナード・マカリスターはシティで財を成した、ちょっとした富豪だった。今は未亡人であるミス・マカリスターが総てを仕切ってる。彼女はシティのメガバンクに、莫大な投資をしているみたいよ』

「筋金入りだな。あの振る舞いもそいつに仕込まれたのか」


 そしてそれは、彼女の兄への、呆れ混じりの関心へとつながる――あの妹をそこまで愛していた兄とは、一体どんな奴だったというのか。


「なぁ。ちょっと聞きたいんだけど」


 フェスタは、すぐそばの席に座っていた少年に声をかけた。クラスメイトだ。


「ああ。ウェンズデイくん、だっけ。どうしたんだい?」

「『彼女』……ずっとあんな感じなのかな」


 少年は視線の先を見て、一瞬で察してくれた。彼は眉をひそめて、肩をすくめた。


「そうだね。男子からは恐れられて、女子からは心底嫌われてる。もっとも、彼女は微塵も気にしちゃいないんだろうけど。なんせ、目にも入れてないんだろうから」

「彼女には、兄さんが居たんだよな。どんな感じだったか、知らないか」


 少年は一瞬首を傾げたが、すぐに答えてくれた――当然の関心と言わんばかりに。


「まぁ、あの妹にして、あの兄あり、だったよ。大勢の女の子を服のかわりみたいに侍らせてる上級生が居るって、評判だった」


 そして彼は教えてくれた。今まさに女帝として振る舞っている少女の、兄について。


 ハリー・マカリスター。

 圧倒的な美貌と、文武両道。

 そして何より――天性の色男。彼に魅了され、自らその腕の内側にいざなわれていった少女たちは数しれず。それも、彼からのアプローチだけではなく。彼女たちはおのずから彼に向かっていく。何か特殊なフェロモンでも発しているのではないか、と噂されるほどに……まぁ、モテた。モテにモテまくった。

 すべての学年、すべてのクラスに、彼の『恋人』が必ず存在し。中には『自称』も珍しくなかったが、真偽のほどは、休み時間やランチタイムで彼の傍らに居るかどうかで判断できた。

 彼は少女たちを囲いながら、その歌うような滑らかな声で甘い言葉をささやき、世界の素晴らしさを語ってみせた――曰く、君たちのおかげで、自分は今ここにいる、と。

 当然ながら、そんな若きドンファン候補には敵も多かった。だが、不思議なことに……彼を刺し殺そうと近づいた者たちも、その微笑と言葉を目の当たりにすると、途端に萎縮してしまい、すごすごと退散していくのだった。まるで不思議なオーラで守られているかのように。

 つまるところ彼はカリスマであり、この学園における特異点でもあったというわけだ。そして、その名声は、あの劇的な『椅子事件』を経て、神秘性すら付与されてしまったのだ。


「無茶苦茶だ、漫画かよ」

「でしょ。でも、たぶん僕も彼のことは嫌いじゃなかったなぁ。彼女ほどには」

「『彼女ほどには』……?」

「うん。なんというか、あの子の今の状態って、お兄さんのカリスマを借りてるようにしか見えないんだよね。権威を傘に着てるっていうか。だから結構、その……」


 そこで。思いついた。

 否が応でも――彼女の目を、こちらに向ける方法。


「えっと、どうしたんだい?」

「特技だ。昔からの」


 ……フェスタが取り出したるは、胸元のシャープペンシル。の、芯。

 それを左手の上にのせて、右手の親指と人差指で輪っかを作る。

 焦点を定める。狙いは、『女帝』。

 彼女は今まさに、口にしようとしていた……プチトマトを。

 芯の先端がそちらに向き。


 まもなくフェスタは――右指の輪っかで、はじいた。

 ……それは――貫いた。プチトマトを。

 瞬間。弾けた赤い汁が、すまし顔の女帝の顔に、盛大にぶちまけられた。


 空気が凍りつく。彼女は口を小さく空けたまま、顔を真赤に染めている。ナプキンがボトボトになっている。唖然としている側近たち。ならびに、周囲の者たち。


 驚くわけにはいかず。ましてや、声をかけるわけにはいかず。ただ、美しい容貌を小さな種と赤い液体でびしゃびしゃにした彼女がそこにいるのを、見ているしかなかった。

 ただ一人を、のぞいて。


「貴様……」


 側近の一人、のっぽが……口元をおさえて、笑いをこらえている不届き者を発見し、歩み寄る。とうぜんそれは、フェスタその人だった。


「笑ってたな? 彼女の顔が濡れたのを見て」


 事態に気付いた側近二人が、同時にそちらを見た。

 ……空気が戻り、途端に、一切にざわつきが爆発する。

 ――あいつ、なんてことを。信じられない。終わったな。口々に、そんな声。

 親切なクラスメイトも、いつの間にかフェスタの傍らから逃げていた。そして今、彼の胸元を締め上げる、のっぽの同級生が居る。


「お前もしかして、新入生の奴か。そいつが、彼女のことも知らずに、侮辱した」


 フェスタは答えない。仏頂面で、目をそらしている。それがのっぽの気に触ったらしい。

 後ろを向いて、女帝を見た。側近二人に渡されたハンカチで顔を拭いていた。

表情は変わらないように見えて、僅かにひきつっているようでもあった。彼女はのっぽに一瞥すると、顎をしゃくった。それが合図だった。


「マカリスター家の令嬢に逆らったらどうなるか、見せしめだ、オカマやろう」

『ちょっと君、何したの! どういうアプローチをしたっていうのよ!』


 耳の奥でドクターの狼狽した声。だが、フェスタは――。


「……いやぁ。似合うなぁ、っておもって。それで、笑ったんです」


 そう言った。それから……少女のほうを見て、ウインクした。

 彼女の顔が明確にこわばった。のっぽが愕然として、次の瞬間には。


「てめぇ、舐めてんじゃねぇぞっ!」


 怒りが爆発し、彼に拳をふるった。

 後ろから、側近も駆け寄り、彼に続いた――。


 ……しかし。

 フェスタは冷静にその拳を回避した。戦いの開始を目の当たりにし、食堂から逃げていく生徒たちが見える。そこから更に、後方からの追撃。女帝に与えた屈辱の復讐を果たすべく、体格が面白いほど異なる三人の騎士たちが、襲いかかってきた。


『ちょっと貴方――』


 ……なぁに、見てろ。こういうのをいい機会って言うんだろ。

 彼には策があった。

 拳を避ける、避ける……食卓の皿が巻き添えを食らって地面に落下し、食べ物をぶちまける。テーブルクロスが色鮮やかに染まる。

 ……背中に、椅子の感覚。後ろを見る。追い込まれた。逃げ場がない。目の前に、のっぽの拳。だが――もう一度、後ろを見る。

 カップに注がれたコーヒーが見えた。フェスタは一瞬笑い、イメージをそこに注力させた。

 ほら、次の一撃が来る。だが大丈夫だ。おれには『あの力』がある。さぁ、あの時みたいに。危機が迫って、鉄パイプを動かした、あのときのイメージだ。さぁ、『力』よ、おれによって操られろ。そうして、こいつらに熱いコーヒーを……。


 コーヒーカップは、微動だにしなかった。


「えっ」


 彼に迫った拳が、もののみごとに、炸裂した。

 ――なんで……?

 そんな言葉が宙に浮いたまま、彼は後ろに盛大に倒れ込んだ。


 そこに、騎士たち三人が、一斉にむらがった。


◇ 時刻:午後六時 場所:特対アジト ◇


「ほら、じっとしてて」


 ドクターは、傷がいったフェスタの頬に絆創膏を貼った。彼は身体をびくりと震わせ、目尻にほんの少し涙を浮かべた。


「いやー。凄かったね、大活躍だったよ」

「……うるせぇ」


 カフェテリアでの出来事以降のことは、よく覚えていない。というよりは、速やかに忘れ去ろうとしたというべきか。


 結局あの後、騒ぎを聞きつけた教師たちがやってきて、怒りに震える騎士たち三人を生徒指導室に連行していった。フェスタはクラスメイトに抱き起こされ、傷とホコリまみれの身体に、色々と言葉をかけられた。だがその言葉の大半は『無茶しやがって』の意だった。


 そして、あの女帝について。彼女は散々な有様のカフェテリアで静かに食事を終えて、側近たちが連れて行かれるのも意に介さず、静かにその場を立ち去った。何事もなかったかのように。髪の毛が舞い、すらりと伸ばした背からは、何の痛みも感じられなかった。

 後から聞いたことによれば、あの荒くれ共はこってりしぼられたようだったが、彼女に関してはお咎めなしだったとのことだ。


「散々だったねぇ」

「ああ。だけどな、逆に燃えてきた」


 治療が終わるとフェスタは立ち上がり、伸びをした。


「これであいつは、おれのことを無視できない」


 そう言って、彼は少し笑った。ここに来て初めての表情だった。

 ドクターとフェイは顔を合わせた。


「猛犬の復活……ってこと?」

「かもな。明日からは転んでもただじゃ起きねぇぞ」


◇ 十二月七日 ◇


 フェスタの言葉通り。その日から、彼の本格的な『アプローチ』が始まった。

 つまりは、女帝に取り入るための行動の開始である。


 ――あいつは平静を装っていたが。内心の動揺が漏れてた。おれみたいな反抗を示すやつはきっと出てこなかったんだろう。だから、そこが狙い目だ。


 まずもって、彼が登校した時、取り巻く環境は一変していた。

 席につくや否や、その周囲を、何人かの生徒たちが取り囲み始めたのだ。

 そして彼ら、彼女らは口々に、昨日の行動への驚きを語り、一方ではイカれたやつだと語り、もう一方では、フェスタのことを、英雄であるかのように語ったのだ。

 横目で、『女帝』を見る。側近たちはそんなフェスタの周りの者達に牙を剥き、不快そうに唸っていたが、彼女がそれを制していた。この状況を変える力はないと悟ったらしかった。


 そこで分かったこと――女帝は、生徒たちをカリスマ性ではなく、恐怖で支配している。だから、その本質は孤独であるということが分かる。

 ならきっと、付け入るスキはいくらでもある。彼女の秘密を、握ってやろう。

 その瞬間からまさに、猛犬の嗅覚は鋭く尖り始めた。


「見てろよ。その表情の裏側を暴いてやるからな」

『大人げなさすぎでしょ。絶対私情入ってるじゃない』

「うるせぇ。これがおれのやり方だ」


 ――調査開始。対象は、シャーロット・マカリスター。


 まず、ひとつめ。これは、休憩時間に彼女をストーキング……尾行することで分かった事実。

 彼女は、休憩時間を一人で過ごす。側近の男どもは、なし。

 それに、女友達と談笑しているところを見たこともない。その多くは、中庭のベンチに座り、ドリンクを飲むか、本を読むことで費やしている。

 無論周囲に誰も寄ってくることはないが……そこには孤独が滲んでいた。なにより分かるのは、彼女自身が望んでそうしているということ。


「『備考……男子たちを囲んでいるのは、自己防衛のためか。自ら孤立し、誰も寄せ付けない。その理由には、過去の出来事が絡んでいるのかも』――」

「よう、『お嬢ちゃん』。相変わらず白い肌だな。何書いてるんだ?」


 ぬっと、声。振り返ると、そこには。

 巨漢だ。彼女の側近の一人。彼は後ろから、フェスタのメモを奪い取り。


「こりゃ酷いな。ストーカーか、変態やろう。おれが指導してやる」


 ビリビリに破く。そして、その拳が飛んでくる。

 フェスタはすぐそばに探す。木の枝を発見。ええいままよ、『ちから』よ――起きろ……。

 ……ごっ。鈍痛。

 ダウンすると、巨漢は離れていった。遠くに、彼の声を聞いて立ち上がる女帝が見えた。


 夕方。また、アジトに帰還。手当を受ける。


「またやられたの。無茶しすぎでしょ」

「それでも捜査は進んでんだ。それに、肝心な時に使えない力が悪い」


 ふてくされて言ったフェスタに対し、フェイが傍に寄ってくる。それから言った。


「言ったじゃないスか。能力の使い方を考えろって。あんたのギフトは、あんたの願望から成り立ってるんスよ。あんた、力を使おうとした時、何を思ったっスか?」

「そりゃあ。力を得たときと変わらねぇよ。もっと強く、もっとはやく……もっと若く」

「それは表層っス。『本質』はなんなんスか」

「本質? なんだそりゃ」

「だから、本質っスよ。どうしてあんたは、そうなりたいと願ったんスか?」

「フェイたんー、脳筋に哲学の話したってしょうがないと思うにゃー」

「ああ!? それよかお前、頼んでた件はどうなってんだ」

「仲間探しの件? なんとも言えないね。君の旧知の筋を当たってみても、体よく断られまくってるよ。まぁそりゃそうだよね。誰が好き好んで、こんな色物コスプレ集団の胡散臭い事件に巻き込まれたがるのかって話で――」

「色物もコスプレもお前だろ! おれは違うだろうがっ!」

「はぁー? 可愛いナリでおっさんの喋り方する珍生物に言われたくないんですけどー」

「おれのせいじゃねぇだろ!」

「あのー……すんません……」


 申し訳無さそうな声とともに、来客。一階ホールの警備員だ。そちらを向く。


「上までここの声聞こえてくるって苦情があったんですけど……何やってんですか?」


 ……彼は目に見えてドン引きしていた。

 それはそうだ。白衣プラス扇情的な服装の女が、肌の生白い少年をひっつかんで、至近距離で見つめ合っている状態だったのだから。


「シェイクスピアごっこだけど」

「ああそうだ」

「……あんまり無茶やらんでくださいよ。ただでさえあなた方は……いや、なんでもないです」


 そう言い残すと、彼は去っていった。沈黙の後、二人は離れる。


「――続きやる? シェイクスピアごっこ」

「やらねぇよ!」


 後ろで、フェイがため息をこぼした――捜査再開。

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