file2 昨日より若く

「うわあああああああ、どうなった、どうなっちまったんだぁっ!」


 叫び、鏡の前から逃げ出した。だが、鉄パイプに足をすくわれて倒れる。


「願い事、したんじゃないの。それで叶えられた。ちがう?」


 願い事。思い出す。それらしきこと。『もっと若く』――。

 ……それが聞き届けられた? そんなバカな話があるか。


「それで納得するわけがねぇだろ、くそっ、こんなのまちがいだ、顔を洗って……」

「フェイたん」


 センセイが再び指を鳴らすと、黒服の女が、いつの間にか後ろに回り込んでいた。それから、羽交い締めにする。


「がっ……離せ、離せっ! どうする気だ――」

「獲って食いやしないよ。まぁ、食べごろの少年だとは思うけどネ」


 センセイはそこでくすりと笑って、両肩を寄せた。大きな胸の谷間が強調される。元の体ではきっとそそっていたであろうそれも、今となってはなんだか脅威に思えた。それに彼は、逃げ出そうと四肢を振り乱した。しかし、なんてことだ。足が、地面に届かない!

 その事実が彼を、逃げようもない真実へと向き合わせる。自分は本当に、少年に、ガキに、なってしまったのだ。あの時、やけっぱちなことを考えたせいで、それで殺されかけて……。


「ううっ」


 くそったれ、涙まで出てきやがった、情けなくてしょうがない、いっそのこと。


「フェイたんどうしよう、泣き顔が死ぬほどかわいい」

「センセイ、つまんないっス。はやく椅子の用意を」


 そうこうしている間にパイプ椅子が目の前に置かれて、彼はなすすべなく、そこに下ろされて、フェイに、ロープで拘束された。実に手慣れた動作だ。


「さてと」


 フェイが、どこからかもう一つ椅子を持ってきた。センセイはそこに、彼の向かい側に座り、スラリと長い足を組む。ポケットからアークロイヤルの箱を取り出して、煙草を一本取り出す。


「センセイ、子供に副流煙は」

「おい、おれは子供じゃ」

「えー。いいじゃん。煙草にむせるショタっていう図、よくない?」

「センセイのこと、嫌いになるっスよ」

「それは困るなぁ。やめやめ」


 センセイは口を大袈裟に尖らせて煙草をしまい、改めて向き合った。


「えーっと。それじゃ、質問していいかな。ええと」


 フェイが、センセイにカルテのようなものを差し出した。書類をファイルしてある。


「アダム、ええっと、なんだ、本名は普通ね。普通すぎて忘れちゃいそう」

「ふつうで悪かったな。今すぐ忘れてくれ。それでおれをもとにもどしてくれ」


 これではっきりした。こちらの情報は、向こうが握っていること。

 最悪だった。実に最悪だった。もはや恨むべきものが多すぎて、パンクしそうだった。あのゴム男も、おれを本気で殺しにかかったサイコ女も、ガキに欲情する変態もみんな最低だ。でも、何より最低なのは――ああ、鏡に映った姿。どういうわけか、パジャマ姿だ。こいつが着せたのか。ありえる。くそっ。


 銀に近い髪に、やわらかく、色白の肌。華奢な四肢。澄んだ瞳の色。何もかも腹が立つ。こちらが顔をしかめると、鏡のガキも同じ顔をした。今すぐ叩き割りたい……!


「そいつは無理だにゃー。少なくとも今のところはね」


 そう言いながら、変態女はこちらの顔をじっと見てくる。


「見るんじゃねぇ。かゆくなる」

「私がかいてあげよっか、むふふ」

「おい。誰かこいつ殺してくれ」


 ……がちり。銃口。すぐそばに。

 フェイの顔が真横にあって、こちらを睨みつけていた。殺気に満ちていた。

 彼は押し黙って、センセイの次の言葉を待つばかりとなった。


「とりあえず、確認ね。あなたの、これまでの経緯を教えて。あなたがその姿になるまでの、ざっと数日間の流れを」


 女の顔を見た。笑顔。だが、『答えなきゃそのままだ』と言っているようにも見えた。

 彼は、諦めた。

 それで、危険な女二人に、自分の顛末を話した。


 自分は、刑事部強盗殺人課の一級刑事であったこと。

 そのなかで、ある連続殺人事件を追っていたこと。

 必死の捜査で、犯人の居場所を割り出せたまではいいものの、孤立し……そこで、あの奇妙なゴム男と対峙する羽目になったこと。

 そして、記憶が正しければ、銃弾が跳ね返って自分にあたり、意識を失ったこと。


「なるほど。それで貴方は、気付いたらその身体になっていた、と。そして、おかしな力も身体に宿っていたということね」

「さっきからそう言ってるじゃねぇか。いい加減、この奇天烈な状況について教えろ」

「せっかちだなぁ、でもしょうがないか。よし、よし」


 彼女はメガネを押し上げて、それから語り始めた。


「刑事さん、この言葉に聞き覚えは。『便』」


 どくん。心臓が強く跳ねる。


 その事件。五年前のクリスマスに起きた惨劇――通称『ヴァニタスの悲劇』。


 『あまりにも突飛な内容』の脅迫が警察に届き。その異常さゆえ、ろくに動けないまま。


 予告された当該旅客機は、乗客を載せたまま、シティの外れに、まっすぐ墜落した。

 機体は『垂直に』地面に突き刺さり、黒焦げになって、炎上した。


 だが、それだけではなかった。

 周辺が総て爆発して、消え去った。その機体から、何かが放出されたかのように。

 後にのこったのは、焼け野原と……後遺症に苦しむ、わずかな生存者のみ。


 忘れるわけがない。自分が、間に合わなかった事件。何度も回想し、後悔した事件。


「アレが、どうかしたのか」

「あの旅客機にはね。某国の強力な化学物質が、極秘裏に積み込まれていたんだよ。それも、人類に作用する可能性のある、キョーレツなやつ」

「な……そんな話、初耳だぞ」

「だから極秘裏にって言ったじゃん。だけどそいつは、撃墜されて、地面に衝突。炎上したことで激しい化学反応を起こし、地面丸ごとをえぐり取るほどの大爆発を引き起こした。ここまでは知ってるよね?」

「あ、ああ」

「だけどそれは、いくらか残った。そればかりか、大気中に拡散して、街中に広がった。そして、知らぬうちに、人体に作用するようになった」


 ――化学物質が、人体に。まさか。


「そのまさか。それが、貴方の対峙した『ゴム男』のような超人を生み出した。その物質はね、どういうわけか、人間におかしな能力を与えるの」


 続けて、彼女は説明した。その『化学物質』――今は『ギフト』と名前を付けたらしい――の特性について。分かっている範囲で。


 『ギフト』は、人類の潜在能力を極限まで引き出して、異能の力として現れる。ゴムのように弾力のある身体になったり、近くにあるモノを動かしたり。それら異能は必ず、その人間が秘める『欲望』『要求』をエネルギーとしているというのだ。そしてそれは、生存本能が高まる極限状態に置かれる時に、はじめて顕現する。


「火事場の馬鹿力ってやつかな。刑事さん、さっき鉄パイプ動かした時、何を思った?」


 思い出す。その時の感覚を手繰り寄せる。


「『おれはまだ終わっちゃいない。もっと若ければ、もっと早ければ』――」

「じゃ、それが力になったんだよ。きっと」


 そうだ。鉄パイプ。それを取ろうとして、できなくって、だけど、その代わりに、自分の腕がその代わりになったみたいに真っすぐ伸ばしたら、いつの間にか、鉄パイプが。

 あの感覚を、言葉にするのであれば。

 鉄パイプは、おれの思ったとおりに動いた。おれの一部になったみたいに。


「あれはおれが、やった。おれの、『ギフト』。おれも、その化学物質を浴びた……」

「そう、そういうこと。あるいは今まで、潜在してたのかも」

「それじゃあ、この身体はどう説明するんだ。ガキにしてくれなんて頼んじゃいないぞ……いや、その、頼んだかもしれないが。それはモノのたとえであって……」

「副作用だね」


 あっさりと。彼女はそう言った。顎が外れそうになる。


「伴って起きる現象が『薬効』との因果関係を否定できなければ、それは副作用になるの。少なくともデータとして、分かる。だから貴方の場合は、貴方の願望を実現するために最適な環境を作り出すため、やむを得ずその身体が子供になったと解釈するのが自然かもね」


 ――無茶苦茶だ。あまりにも。


「なんでそこまで、知ってんだ」

「ドクターだからねぇ」

「ふざけやがって……」


 途方も無い、あまりにも、途方も無い現実が、どっと押し寄せる。

 それは、あの『ゴム男』との戦いから、いや、あるいは五年前のあの日から、ずっと地続きのような感覚だ。酒で痛みと疲労を誤魔化しながら日々を駆け抜けていった頃から、自分が自分でないような恐怖をおぼえていた。

 それが今こうして、夢みたいな状況として現れた。出来ることなら、今すぐ否定したい。しかし、これはリアルだ。そして……生きている。


「あんたが『ドクター』だってなら、教えてくれ。なんで、おれなんだ」

「わかんないよ、そんなの」


 ひどくあっさりと、言われる。


「『ギフト』を持った者同士が接触すると、ある特定の磁場が生まれる。その事実を突き止めたのが、ほんのつい最近のこと。私はその痕跡を追って、それから貴方を見つけた。それだけのことだよ。気付いたら貴方は、ぶかぶかのコートの下、倒れてた」

「……」

「だけどさ、刑事さん」


 彼女は――近づいて、言った。


「貴方、生きようとしてたよ。体が動いて、無意識に先へ進もうとしてた」


 はっとする。驚き。

 ……自分は、生きようとしていた?

 既に、死んでいるようなものだとばかり思っていたのに。


 そうだ。あの時、自分の弾丸を自分で喰らった時。思ったのは、『もっと生きていたい』という思いではなかったか。


「生存本能が極限まで高まって『ギフト』がそれを汲み取った。そう考えるのが自然かもね」

「おれは……」


 だとしたら、自分にはまだ、燃え尽きていない何があったことになる。にわかには信じがたいが、自分はまだ、思考の中で、壁の向こうに消えていったあの男を、追っている。

 ひとりの、刑事として。

 おれは、ただの子供になってまでも。先へ、進もうとしていた。


「くそっ」


 なんだそりゃ。定年前のロートルに与える罰としては、あまりにも突飛すぎる。

 ――希望。そんな二文字がちらつく。最悪だ。そいつは、絶望よりたちが悪いぞ。

 しかし。しかし、自分は。


「おしえてくれ。あんたらは、誰なんだ」


 問うと、女は不思議そうな顔をした。


「ありゃ、意外。もっと聞きたいこと、あると思ってた。なんでおれのことを知ってるんだ、とか。ここまでどうやって運んだんだ、とか。この服はなんだ、とか」

「当たり前だ。聞きたいことが多すぎる。そもそも信用すらしてない。だが。知らなきゃいけないことの優先順位ぐらいは、わかる。今、わかった」


 しかし。自分が刑事であるということが、これから先も続くのであれば。

 ――そいつには、無責任ではいられない。


「やっぱ、凄いね。『飢えた猛犬』」


 『センセイ』は苦笑した。気のせいだろうか、どこか寂しげな表情にも見えて……。

 フェイと頷きあった。自分に向き直り、そして、言った。


「紹介しよう。ここは、悪の異能者に対抗すべく与えられた最後のとりで」


 両腕を広げて、まるで演説をぶつように。物置小屋にしか見えない灰色の地下室。部屋の隅にわずかなオフィススペース、それから雑然としたがらくた。


「私はドクター・ウォシャウスキー。ずっと前から、あの事件が生み出したものについて、その手がかりを探してた。そして、貴方が来た」


 隣で、フェイが頷いている。ウォシャウスキー……どこかで聞いた名だ。


「ずっと待ってた。もう、お荷物部署でもなんでもない。これより大人二人が、子供に無理難題を押し付けて、事件を解決し、人類を破滅から救う」

「おい、ってことはここは」

「そう、御名答。ここはシティ警察本部刑事部・科学捜査課分室・特殊状況犯罪対策係……通称『特対』の居城。私は今から、君をそこの戦力として仕立て上げるつもり」

「なんてこった……」


 なんてこった――結局警察だ。停滞と諦観のメッカ。自分はそこに鎖でとらえられているのだ。逃げられない運命のように。生まれ変わっても、なお。


「無茶苦茶だ」

「そうだよ。無茶苦茶だよ。警察に居なけりゃ、悪党だね。うちも、フェイたんも」


 しかし、どこにも行けずに、透明になって、本当に死んでしまうのと、どちらがマシなのか。


「無茶なことを言ってるのは、分かってる」


 そこで、女の声に、陰りが混じる。

 急激に。表情が暗くなり、そこに、なんだか弱々しい影がさす。

 罪悪感と、それから、なんだろう。まだ知り得ない、何か。傍に寄って、支える、フェイ。


 泣き落としだ。ペテン師の顔だ。その可能性だってある。むしろそっちが正解だ。

 しかし彼は、感じたものしか、信じられない。

 答えは、彼女の表情にある。


「あいつは。あのゴム男は。おれの追ってた、殺人犯で間違い無いんだよな。放っておけば、まだまだ罪を犯す。普通の捜査じゃ、絶対に追いつけない方法で」

「ええ、きっと。ただの人間じゃ、『ギフト』を持った人間……『ギフテッド』には勝てない」

「それにあんたは。物質は大気中に拡散すると言った。まだ、奴みたいなのが現れるかもしれないってことだよな」


 ……彼女は、頷いた。

 彼は、考え、それから要求する。返答を。


「元の、おれの立場は。どうなった」


 そこでドクターは、ためらいがちに言った。


「早くとも明日の新聞の欄には、載ることになる。『アダム刑事、殉職』って」

「なるほどな……」


 そこで。とっくに別れて、遠くで暮らしている妻と、娘のことを考えた。二人は、おれの弔いに来てくれるのだろうか。答えは多分、ノーだ。

 しかし、不思議なことに、それを思うと、心の中の重りが、外れた気がした。


「じゃあ、他にやりようはねぇよ」


 服のポケットを見る、膨らんでいる。まさか、と思う。

 ドクターがフェイに目配せをした。それで、ロープが緩められる。

 自由になった手でポケットをまさぐる。


「それは、あなたのコートに入っていたもの……」

「コート自体は、まだ置いてあるのか」

「必要?」

「いや。もういらん。あれはクソ重くって、かなわん」


 取り出したのは、小さな紙切れだ。


。おれが奴を追う中で、ヒントを送り続けていた『誰か』が居た。おれはこいつのおかげで、奴の存在にたどり着いた。コピーを取っても、捨てられなかった」


 血と、泥が滲んでいる。


「はっきり言って、何もわからん。あんたらが完全な味方だとも思ってない。だけどな」


 ためらいがちに、しかし、今度は間違いなく、しっかりと発音する。


「おれがこいつを持っていて、どんな形であれ、おれが生きてることが、重要らしい。おれは、なんで生きてるんだろう。なんのために、こんな苦労を背負わなきゃならないのか。おれは、そいつを知りたい。むしろ、知らなきゃならない。そんな気がする」

「ってことは」

「あんたらに協力する。少なくとも、このもやもやした感情が消えるまで。おれが死に損なった理由を知るまでな」


 そこでドクターは、ぱっと花開くような笑顔になって、フェイと顔を見合わせた。

 なんだ、そんな可愛い表情が出来るんだな。


「ありがとう、本当にありがとう」


 ドクターは感激しきりで、そのままこちらに抱きつかんばかりだった、が。


「だが、その前に教えろ。ひとつだけ、ある意味一番肝心なことだ」

「なにかな」

「今からのおれは、どういう立場になるんだ。社会見学に来たガキか?」

「変わんないよ」

「は?」

「警察内部では、君はアダム刑事のままだね。子供を新卒採用するわけにはいかないでしょ」

「じゃあ何だ。そのまま押し通すつもりか。『おれが色々あってガキになりました』って」


 ドクターは目をそらした。その傍らで……フェイが少し、吹きそうになっている。


「わかったことがあるんだが」


 これだけは言っておかなきゃならない。



「お前ら。地下室行きで当然だ」

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