望みを歌う詠唱(アリア)

『……念のために言っておくが、奴の目当てはあの女だぞ?』

「同時に行動すれば、戦闘が発生したらあちらを詰められて終わる。時間稼ぎには賛成だ」


 数分後、男は聖女の園デルタ・ユートピアのオーセルクヴァック支部を名乗るアジトにいた。リーンは既に奥に進んでいるため、男の役目は入り口での支部長クライン・バイブルの妨害だった。結界の気配はやや薄い事が男にもよくわかる。内側から削りきられるのは、時間の問題だった。


『さて、気にする奴がいなくなったところで本当の話をしようじゃないか。……次に炎をまとった瞬間に、お前は怪物に堕ちきるだろうよ。暴れて体も燃え尽きるのが、テメーの最期だ。そうなりゃ俺様も弾かれる』

「……ああ」

『あとこれも言っておくか。……テメー、わざとあの女を自分から離しただろ』


 ゴーボンレークの言葉に、無言で男が肯定を返す。得物も触らず、ただ拳を握り締めて男が入り口を見つめている。どうやら、支部長クライン・バイブルを囲んでいた結界が破られたらしい。


「……仮の話をする。魂が戻るのならば、一番守るべき契約は続行で構わないな?」

『構わないが、そもそも成功すると思ってんのか?』

「信じるしかない。魂を預ける選択をしたのは、俺だ」


 高速で飛んでくる強い気配を前に、一瞬だけ自分の眼前の炎を目視して、男が目をつぶる。麻酔をかけられたように、ぐら、と視界が揺れ、男の意識がぼやけ始めた。


『そうかい。……じゃあな、


 ゴーボンレークの声を最後に、男は意識を完全に手放した。自らの喉から響くは、男の耳に届かなかった。



―――――



 祭壇にほど近い、人が一人隠れられそうな太さの柱の裏。リーンはようやくアジトにふさわしくない異物……中途半端に燃やされた肩掛けバッグを発見していた。パスケースを開くと、知らない女性と並び立つ男の写真が入っており、リーンが生前の男の荷物であることを確信していた。


「……ダメ、電子機器全滅。なんか証明書とかは……えっ、どこ?まさかこの燃えてるやつ?」


 ただそこから先、名前を特定できそうなものが全く見つからないことにリーンが焦りを感じていた。ギリギリ無事だったのは、ファイルに入れられた1冊のノートのみ。中身も煤だらけで解読はほぼ不可能だったが、単語を拾う限り、どうやら誰かにインタビューを取った時にメモらしい。


「インタビュー……あいつ、生前ジャーナリストかなんかだったの?……それならどっかに名前の一つぐらい―――――」




―――――ドォン!!


 衝撃で、ノートごとリーンが壁まで吹き飛ばされて体を撃つ。あまりの痛さに悶えるリーンの少し遠くで、さっきまで開いていたノートのページが床に擦り付けられて粉々になっていた。慌ててノートを手に取ろうとして、リーンは砂埃とともに現れた影を目視して、固まってしまう。


 一人は、金髪のポニーテールを振り回す白い服の青年、支部長クライン・バイブル。背中の光輪は欠けて、今は光を失っている。青い炎を噴き上げる大剣にはひびが入り、多少ダメージが与えられているらしい。

 もう一人……一体というべきだろうか。その姿を見て、リーンが愕然とする。支部長クライン・バイブルをそれ以上のスピードで追っていたのは、全身を燃やした異形の怪物だった。溶けた金属が鎧のようにまとわりつき、人から離れた逆三角形のシルエットを形作っていた。赤熱した鉤爪周りは、蜃気楼で揺らいでいる。赤い仮面をそのまま引き延ばしたような角を持つ頭部からは、細くたなびく炎が何本も上がっていた。

 相手を、リーンは一人しか知らなかった。


(間に合わなかった?……いや、最初からこうなるつもりだったってこと?)


 支部長クライン・バイブルの2倍はある体格の怪物が、力任せに大剣ごと支部長クライン・バイブルを地面に縫い付ける。威嚇のように吼え、支部長クライン・バイブルの背中の元光輪を乱暴に引きはがす様には、殆ど知性を感じない。そんな怪物の白濁した瞳に、支部長クライン・バイブルはむしろ勝利を確信しているようだった。


「はは、そこまで堕ちれば、私は耐えるだけです。その体、あとは溶けていくだけでしょう?化け物になるのはわかっていたでしょうに、自らなるとは物好きな」


 振り下ろされた鉤爪は大剣の表面を砕きはするも、支部長クライン・バイブルには届かない。怪物の装甲は、既に自らの炎で溶けかかっている。支部長クライン・バイブルの笑みは、怪物に向けられた嘲笑だった。



 でたらめに殴る合間に、いら立ちのような叫びが怪物から漏れる。その声に、リーンはわずかな共感を覚える。炎で塗りつぶされた先、かすかに残った意思に、リーンの意識が引き戻された。


(……違う。あいつ、なんだ)


 ふつふつと沸いた執念に押され、リーンがノートまで這う。瓦礫ですれて血がにじんだ腕が、ノートにようやく手が届く。


(そこまで信じられてるのに、諦めるわけにいかないでしょ……!)


 リーンが開いたページは、ちょうどノートの中央。その中には、1枚の便箋が挟まっていた。幸運なことにほぼ無傷な便箋を開き、「姉さんへ」から始まる書き出しとその結びを見て、ようやくリーンが笑う。


 立ち上がって怪物に近づこうとするリーンに、支部長クライン・バイブルが怪物に殴られるのを防ぎつつ話しかける。


「おや、そんな近くにいましたか。もうこれは魂を燃やし尽くした後でしょう。それとも、たかが人間がまだ何かできるのですか?」


 支部長クライン・バイブルに絶妙に神経を逆なでされて、リーンが怒り交じりの笑顔を向ける。その表情に合点がいかず、支部長クライン・バイブルが不思議そうな顔を浮かべていた。


「……燃やし尽くした?これ呼ばわり?あんた、自分が何に恨まれてるか相当どうでもいいみたいね。ちゃんと見てみなさいよ、自分に酔って節穴になるとか、ほんと笑えないから!」


 ……次の言葉は支部長クライン・バイブル以上に伝えるべき相手がいる。不快感を浮かべる支部長クライン・バイブルは見ず、リーンが上を向きできうる限りの大声で叫んだ。


「そこにいるのは、=なの!」




 リーンの言葉の直後、怪物の白濁した目に赤い灯がともる。それを合図に、赤熱した金属が怪物の体から離れ、角のように引き延ばされた仮面が元に戻っていく。

 何層も金属がはがれた中から現れたのは、背が高く黒い長髪を持つ、赤い仮面をかぶった男……アガット=クラークその人だった。

 巨大な手から解放されて体勢を立て直した支部長クライン・バイブルだが、その顔からは驚愕の色が隠せていなかった。


「魂が再形成された……?たかが名前程度でか……!?」

「ええ、その名前程度なんだけど。人間の意地、見るの初めて?」


 にやりと笑うリーンの横に、いつの間にか金属を周りに漂わせたアガットが立っていた。目は仮面で隠れているが、アガットの口元が笑っている。最初に出会った時の仏頂面を思い出して、リーンがわずかに噴き出していた。


「……噴き出されながら出迎えられるとはな」

「しょうがないでしょ、今までが今までなんだから……。文句はたくさんありすぎるからあとで言うとして、おかえりであってる?」

「多分な。初めましてでもないだろう」


 割と軽快な軽口をたたきながら、アガットが銃を取り出す。背中に背負った金属がそれぞれ左右の肩の後ろに移動し、支部長クライン・バイブルに切っ先を向け始めた。


「……これで約束はきっちり果たしたからね。いけそう?」

「ああ、最高のバトンタッチだ」


 前に踏み出しながら銃を手元で回すと、アガットの足元に炎が舞う。オーラのように薄く広がる炎に撫でられ、髪が赤く変色し始めた。支部長クライン・バイブルを見て、アガット……基、紅き幻影ファントム・ルージュ口角を上げる。


「―――――さあ、今度こそ復讐反撃開始だ」

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