あの日に鳴らなかった鎮魂曲(レクイエム)
(……燃えている。この感覚を、俺は知っている)
男が気が付くと、そこは黒一色の空間。忘れていなかったはずだが、今まで思い出すことが叶わなかった。その理由に心当たりがなく、男が顔をしかめる。
(ここに来たのは……あの日に捕まった後、
おぼろげだった記憶が、男の中に次々とよみがえってくる。引きこもりがちだった姉の失踪、追いかけた先で見た、姉が白い怪物になる光景。そして、青い炎……
(ああ、これは……あの時の記憶なのか)
男の目線の先にも、男がいた。倒れて大の字になって、その体に幾つもひびを入れているが、確かに男自身の姿だ。息も浅く天を仰ぐ姿はずいぶんと痛々しい。その唇は、小声で延々と怨嗟を呟き続けていた。
「……殺す、殺してやる。姉さんを、俺を、殺すどころか魂ごと亡き者にした奴らが憎くてたまらない。殺す力をくれ、奴らを呪う術をくれ……」
その目に怒りと狂気が宿っているのを客観的に見て、男が眉をひそめる。この後どうしたか……と思いだす間もなく、黒い空間そのものが震え、物々しい声が
『―――――魂が壊された人間か』
姿が見えないわけではなくこの空間自体が声の主だと、今になってやっと男が理解する。
「奴らでなければ誰でもいい……いいように使え、その代わり、奴らを殺させてくれ、駒でもなんでも、殺すまでは……!」
『ほう……憤怒を核とした魂よ。貴様の復讐は我が利害と一致する』
声と同時に、大の字になっている男の中に赤い炎が侵入し始める。叫びをあげてのたうち回る男には興味を示さず、声が一方的に宣言を始めていた。
『輪廻の輪から逃れんとする白き冒涜者を狩れ。奴らを我が領分に連れてくる“端末”の役目を果たす限り、貴様の復讐を黒き神が許す』
黒き神……その正体を想像することもできないが、与えられている力は規格外であることは眺めている男にもわかる。何度も炭化と再生を繰り返し麻痺し始めたのか、炎に貪られている男があまり叫びをあげなくなっていった。
『だが、生者の世界につなぎとめるには、肉体と魂が必要になる。そして我が炎はあの粗悪な模造品と同じ。貴様の魂をくべて燃える炎である』
燃えている男の真上から巨大な黒い水滴が落ち、心臓付近に吸い込まれていく。その瞬間、胸が泡立ち体内で何かが膨らんでいく。燃え盛る炎とは別の苦痛に、濁音交じりの慟哭が響いていた。
『魂が不完全な貴様は、力を用いれば用いるほど耐え切れずに燃え尽きる。故に、
この一連の流れを追体験している男の意識が、急激に遠のいていく。それと同時に、黒い空間が薄くなりだんだんと光に包まれていった。
(そうか……この記憶の主は…………俺で、は――――――)
―――――
「っ、…………―――」
「……あ、起きた」
男が目を覚ましたのは、休憩に使っているあのボロアパートだった。背中に異物も感じなければ、手足は人のそれに戻っている。男がリーンを連れてきた時との違いは、天井に大穴が開いている事だった。
男が少し首を動かすと、足元に近いソファの背もたれ部分に、リーンが肘を預けていた。申し訳なさそうな横顔は確認できたが、リーンは男の方を向こうとしない。
「ゴメン……仮面の下の火傷痕、見ちゃった。でもそりゃ取るでしょ、血まみれになってたら。代わりに包帯……とりあえず巻いといたから」
男が目元に触れると、自分でやるよりもきっちり巻かれた包帯に指が当たる。礼を言おうと男が少し体を起こした瞬間、リーンの肩が跳ねる。……男が思い当たることと言えば、一つしかない。
「……恐ろしかったか」
「いつも以上に口きけなかったし、それなりに。あの時の事、覚えてるの?」
「おぼろげだが、俺ではない理由にならない」
男が再び背をソファに投げ出す。被せられたコートの穴が、何が起きたかを証明していた。言い訳も無駄だと、男はそのまま沈黙する。リーンはリーンで、肩の震えを悟られてさらにばつが悪くなり、完全に男から目を背けていた。
気まずい時間を割ったのは、とぎれとぎれのため息だった。
『そろそロ現実の話をしテモいいか?状況は正直最アクだぞ』
「ちょっと……なんか、声おかしくなってない?」
『持ってカれかけたかラな。しばらくスりゃ直る』
ただでさえ聞き取りづらいゴーボンレークの金切り声は、聞き取れなくもないがけにノイズが混じっていた。体を横にしたまま、男が話に乗る。
「……戦い方は考えなければ。多分あれでも、勝つには足りない」
『悪イが、あの出力ももう出せるカわからねエぞ。それだケお前はもうギリギリだ』
「ねえ、そもそもなんでああなったの?」
『……っと、ようやく直ったか。それだが、コイツの魂が悪い』
魂、と言われて男が顔をしかめる。言葉にも男の顔にもピンと来なくて首をかしげるリーンに、ゴーボンレークが説明を始めた。
『
色々すっぽ抜けてる、と言われてリーンが男の言動を思い出す。言葉に何らかの意図はあれど、男は思いをほとんど口にしていなかった。何かを考えこみかけたリーンの思考を割るように、金切り声の音量が上がる。
『とにかく、現状はタイムアップ後、
「素人考えなんだけど、せめて今だけ代わりになる何かとかないわけ?」
『俺様の出力が有限な以上、
「ええ……それに今から答えださなきゃ終わるんでしょ、キッツ……」
リーンが頭を掻きむしり、その辺を歩き回る。一人でブツブツ呟きながら虚空に向かって手を振る様に、男がわずかに怪訝そうな顔をする。リーンは自分の世界に入っているようで、殆ど周りは見えていないようだった。
(魂と同等……現世に踏みとどまるための物…………いや、多分普通に考えちゃダメ。肉体以外の意味で死ぬのを考えたらどうなる……忘れられるとか?例えば何を?声とか、思い出とか…………、待って?)
いつの間にか壁の前で足踏みをしていたリーンが、ピタリと止まる。そしてそのまま、ソファに座りっぱなしの男の前に仁王立ちになる。
「…………名前」
『あ?』
「ねえ、名前って魂にとっての何なの?」
『正直ラベル程度の意味しかないが……、そうだな、人間だったら情報に自ら意味を持たせるあたり、曲解ぐらいはできるかもな』
「曲解…………自分の正体の規定、それだ!」
慌ててリーンが携帯を取り出し、電波強度を見る。結界の中に入ってしまっているからか、通信はまともに機能していない。別に持っていたタブレットも、同様。何かを検索しようとしていたリーンが、また早口で呟き始めた。
「~~っ、予想はしてたけどダメか。お金も情報も、やっぱ最後に頼るべきは物理ね。……要するに魂?の補強ができればいいんでしょ。多分行ける。今出鼻くじかれなきゃいける。後は……」
「……何故、俺を助けようとする」
ようやく立ち上がった男が、リーンに質問を投げかける。男を見上げるリーンの目には、肩を震わせた時のような怯えはない。尊大ともとれる表情で、リーンが返答をする。
「……私、あんたの役に立てる自信があるの。あんたがいなくなったら殺されるあたり、これ私の問題でもあるんだから」
言葉を聞いてわずかに開いた男の目に、リーンは希望を感じ取る。リーンにとっても屁理屈まみれの賭けであったが、引く時間がないこともあって腹を決めた様子だった。
「あんた、自分が何処で死んだか覚えてる?あいつがまた動き始める前に、そこに行かせて。……名前探し当てるの、タイムリミットまでに絶対間に合わせるから」
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