掟から堕落する狂詩曲(ラプソディ)

 地面に下ろされ、ようやく冷静になったリーンが周りを確認すると、あれほど人が多かった大通りには誰もいなかった。せいぜい夕方頃の時間のはずが、空は暗く全体的に青っぽい光源になっている。


「どうなってんの……」

固有結界アンダーチャペルだろ。おそらくさっきのをけしかけた反転聖者インヴァードセイントは、他の個体を従えられるような特殊階級マジックナンバーだな。エネルギーが強けりゃ転生輪への楔ヴェルメルトゥーユに自在に干渉できてもおかしくはねえ。要するに殺すとその白薔薇フェルミオンを連鎖的に焼ける可能性がある。一発でお目当ての奴引くとは結構んな』


 すらすらと現状説明をするゴーボンレークに、リーンは全くついていけていない。内容を理解するかどうかは些細な問題らしく、男……紅き幻影ファントム・ルージュやゴーボンレークからの補足は特になかった。


『まあこれで証明できたな。相手はお友達の姿でおびき寄せる程度には、明確にテメーを狙ってるんだよ。どっからあの女の情報が漏れたかなんて、今の人間様は陰湿でねちっこいから、いくらでもやりようあるんだろ?』

「わかった……事実ってことにしとく。後はアレ、本物じゃなきゃいいんだけど」


 地面の焼き跡を見つめて、リーンが呟く。どうせどちらも慰めてくれる相手ではないからと、最悪のシナリオをなんとか自力で振り払ってリーンが前を向いた。

 改めてリーンが様子を確認すると、周りの様子は依然として変わる気配はない。ゴーボンレークの言葉を思い出して、はっとしたようにリーンが口を開いた。


「……そういえば、今けしかけた奴がいるって言った?まだ他に――――――」

「動くな!!」


ガキィン!


 リーンが声に反応するよりも前に、紅き幻影ファントム・ルージュがリーンの眼前に立つ。拳銃をクロスさせて耐えた先には、白いメイスが収まっていた。この一連の動作はリーンには全く見えず、突然現れた金髪の青年をリーンが捉えたのは、紅き幻影ファントム・ルージュから距離を離した後だった。


「お見事です。さすが、不浄な手垢がついていると簡単にはいきませんか。浄化を受け入れれば肉体はいくらでも再生が叶いますから、私としては体がつぶれていても問題はないのですが……貴方はこの器を守るのですね」


 メイスを手にした、ポニーテールの青年が言う。穏やかな笑みを崩さない分、言動と敵意がよりリーンの心をえぐる。低めで威厳のある声ではあるが、女性の声のようにも聞こえる声は、青年が反転聖者インヴァードセイントであることを示していた。


固有結界アンダーチャペルの発生源か」

『……かなり大物が来たな』

「ははは、そうでしょうね。私は、聖女の園デルタ・ユートピア支部長クライン・バイブルですから」


 支部長クライン・バイブルと名乗った青年の背中から、白い刃でできた光輪が現れた。光輪から噴き出される青い炎を浴びたメイスが空中で変形し、巨大な大剣を形作っていく。銃弾もビームも聞きそうにないと判断したのか、赤いマガジンを装填して遊底スライドを下げ、紅き幻影ファントム・ルージュが逆手剣に双銃を変形させる。青い炎を纏った2m以上はある大剣が完成するや否や、支部長クライン・バイブルが軽々と手に取り、その先を紅き幻影ファントム・ルージュに向けた。


高位神官メージュテラーが貴方の手によって有限の輪に堕とされた殺されたと聞きました。なら補充しなければいけませんね。せっかく作った器ですから、返してもらいますよ」




 先に動いたのは、支部長クライン・バイブルだった。背中の光輪が青い炎を噴き上げ、高速で紅き幻影ファントム・ルージュとの間合いを詰めて大剣を振りかぶる。リーンからできるだけ離れるように、紅き幻影ファントム・ルージュも前に出て勢いをつけて回転し、大剣の勢いを殺すように切り付ける。あたりには赤い炎と青い炎がぶつかった火の粉が散り、ぶつかり合って強い光を放ち続けていた。

 紅き幻影ファントム・ルージュに軽く押されたことで我に返り、巻き込まれたら絶対にかなわないことを悟ってリーンが近くにあった電灯付近まで下がる。背を向けたら今度は何に襲われるのかわからないため、リーンは何とか視界に二人を収めて様子をうかがっていた。


 戦闘は、僅かに紅き幻影ファントム・ルージュが劣勢だった。攻撃のスピードは互角なため、単純な剣戟に持ち込まれると武器の重さで押し切られがちになってしまう。2本ある分紅き幻影ファントム・ルージュの方が手数が多くなる立ち回りのはずなのだが、支部長クライン・バイブルの僅かな剣の傾きだけで的確に勢いを殺されてしまい、なかなか決定打を撃てる太刀筋を見いだせずにいた。

 波打つ剣で大剣を挟んでその場で止まる紅き幻影ファントム・ルージュに、支部長クライン・バイブルが大げさな口調で語りかける。


「しかし、誠に残念です。もう忘れてしまったのですか?」

「……何の話だ」

「貴方の事ですよ。復讐と称して我らに刃を向けた、哀れな幻影の話をしています。胸の傷、焼けただれた顔、浄化の炎ハルウェピエラで消えた赤百合ボソン転生輪への楔ヴェルメルトゥーユ……もしかしたら、今の私の方が貴方の事をよく知っているのかもしれません」


 言葉と共に、クロスするように2回切りつけて紅き幻影ファントム・ルージュの双剣を支部長クライン・バイブルが強くはじく。反動を抑えるために体制を低くした紅き幻影ファントム・ルージュに、支部長クライン・バイブルの背中の光輪から白い棘が放たれ、そのまま左手の甲を貫く。早すぎてまともに二人の動きを追えていないリーンにも、紅き幻影ファントム・ルージュが左手の銃を取り落としたのがはっきり見えてしまった。


「……ぐっ…………!」

「かつて貴方を捉えたのも私、裁いたのも私、完全に滅ぼすために浄化の炎ハルウェピエラに突き落としたのも私です。今度こそ、死んでください」


 体制が崩れたタイミングを狙い、支部長クライン・バイブルが反動をつけて紅き幻影ファントム・ルージュの脳天に大剣を振り下ろした。


ギィン……!


「あっ……!」


 鈍い音に、リーンが声を上げる。右手の逆手剣とハーフマスクで相殺したことで、紅き幻影ファントム・ルージュはぎりぎり切断を免れていた。両手をつき倒れることは防いでいるものの、既に紅き幻影ファントム・ルージュの息は荒く、左手と額からこぼれた黒い血が地面を濡らしていた。対してほとんど傷がない支部長クライン・バイブルは、あえてこちらに向かってくるのを待っているようだった。

 ……実力差がありすぎる。それは、端から見ていたリーンも、戦っていた紅き幻影ファントム・ルージュも感じていたことだった。


「…………」

木偶でくの棒、先に言っとくがそれは契約違反だ』

「……どちらのだ」

『なんだかんだで両方に決まってんだろうが!第2契約を破るのは第1契約を満たさなくなることに等しいんだよ!』

「奴に殺されれば第1契約を一番面倒な形で破るだろうな。お前の本体はそれを望むか?」


 手の甲に刺さった棘を抜きながら、ゆらりと紅き幻影ファントム・ルージュが立ち上がった。支部長クライン・バイブルが武器を構えなおす間にも、小声で交渉は続く。


「変化に10秒、奴の捕縛に10秒、退避に40秒……1分、奴と同レベルにまで引き上げる要請をする」

『……負荷をできる限り体に回す。後はテメーが耐えるかだ。実体をかき消す怨嗟の双銃アフターイメージを刺したら始めるぞ』



 軽く肩を回しながら歩いてきた支部長クライン・バイブルが、ピタリと足を止める。紅き幻影ファントム・ルージュは、双剣を握ったまま下を向いて動かなかったが、そのままゆっくり腕を持ち上げ、おもむろに胸に刃を突き刺した。ギリギリと力を込めて肉を割っていく様子に、リーンが悲鳴を上げる。支部長クライン・バイブルはというと、意図せんことが分かったのか初めて顔をゆがめて舌打ちをする。


「……面倒なことをしてくれたな」


 紅き幻影を中心に、赤い光がガラスのひびのように広がり固有結界アンダーチャペルの青い光源を消して、代わりに赤く染めていく。その間に、紅き幻影ファントム・ルージュの姿は異様な変質を起こし始めていた。


 背中から放射状に黒い棘が飛び出し、歪な翼が形成される。同じものが腕と足からも、服を貫いて生え始めた。腕と足の棘はだんだんと形を成し、巨大な爪を形成する。胸の逆さ十字から赤いひびが伸び始め、体中に模様を刻み込んでいた。


「――――――!!!!」


 変身が終わった紅き幻影ファントム・ルージュの口から出たのは、魔物の咆哮そのものだった。そのまま支部長クライン・バイブルに高速でとびかかり、足元に爪を打ち付ける。支部長クライン・バイブルが目的に気が付いた時には、地面から赤い光が漏れ出し、赤い炎の壁が取り囲み始めた。炎の塊を切りつけようとしたものの、大剣すら炎の壁には通らない。支部長クライン・バイブルを、完全に捉えた形になった。



「な、なにあれ……なんであんなことに」


 この一連の流れの絶望感に、リーンがその場に座り込む。視界の先では、よろよろとこちらに向かってくる炎の魔物が見えた。頭こそ人の形ではあるが、体全体を燃やし、唸り声をあげる姿に紅き幻影ファントム・ルージュの意思は感じない。リーンにとって目前に迫る炎の魔物は、絶望の象徴だった。


「……え、ちょっと、キャァっ!!」


 燃え盛る巨大な手に捕まれ、リーンがもがく。幸い炎は見かけだけで燃やされることはなかったが、リーンは恐怖でパニック状態に陥っていた。手を握りこんで暴れるリーンを動けない状態にして、そのまま炎の魔物が跳躍し、翼を広げる。


 支部長クライン・バイブルを閉じ込めた炎の壁を残して、炎の魔物となった紅き幻影ファントム・ルージュとリーンが高速で飛び立った撤退したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る