悪意を秘めた諧謔曲(スケルツォ)
喫茶店を出た後、リーンは携帯を片手にできるだけ人の多い大通りを歩いていた。幸い携帯からタブレットの位置を探すことができたのだが、タブレットの電源が弱いのか、電波がどうもぶれてしまう。
(まあ、あの自称悪魔の文言が気にならないわけではないんだけど……いや、普通に周りに人いるし、大丈夫でしょ)
昼過ぎからは減ったが、常に視界に十人以上は収まる程度にリーンの周りには人がいた。基本的には携帯に視線を移しているので断言はできないが、リーンの目からは特に危険な人物は見当たらない。単独行動も早く終わるに越したことはないだろうと、リーンは足早に大通りの人ごみをすり抜けていった。
(確かこの辺で失神したはずなんだよね。一人にさせられるとすれば、ここから勝手に路地裏に進んだ時ぐらいじゃない?そこに行かなきゃいいだけの話じゃ――――)
ドン!
リーンが最後にタブレットを触ったと思われる店の周りに差し掛かった頃、前方不注意のフラグを見事に回収して、リーンは前を歩いていた女性に思いっきり肩をぶつけてしまう。まさか肩をぶつけるとは思っておらず若干混乱しつつも、ワンテンポ遅れてリーンが相手に駆け寄った。
「っ痛……あっ、す、すみません、大丈…………え?」
「あたた……いやリーン、こんなところで何してるの?」
じわじわと痛む肩を押さえて見た顔は、最近連絡が取れていなかったリーンの友人、ケニーだった。大きめのシャツにハーフパンツというリーン以上にカジュアルな服装に、強いウェーブがかかったアプリコットの髪。そして3サイズ全てが欲張りサイズ気味のケニーは、リーンが書く記事の熱心な読者の一人として知り合ったのが最初になる。記事を書くために変な所にどんどん首を突っ込んでいくリーンの奇行を一番理解している、リーンにとっては、親友と呼んでもいい間柄であった。
「えっ、ケニー……?あ、いや、ほんとゴメン……探し物してて……」
「探し物?えーまたなんかなくしたの?」
「またって程じゃないでしょ……タブレット忘れたから探してるだけ」
「いや結構高いのなくしてない?!あたしも暇だしなんか手伝おうか?」
まっとうなツッコミを伴うケニーの申し出に、リーンは一瞬
「……あー、ちょっと言いにくいんだけど」
「おっ、タブレットすぐ近くにあるってなってるじゃん」
「え?いや地図はずっと見てたけど、そうだったかな……」
「だってそう書いてあるし。ほら」
いつの間にか携帯を覗き込んでいたケニーに微妙な顔をしながらも、彼女らしいと思ってリーンはその振る舞いを流す。この位置だとこっちが近くて……と勝手に進めるケニーの様子に、いつもの現実に引き戻された感覚になりリーンが安堵の息を吐いた。
しばらくして、携帯を覗き込むのをやめてケニーがリーンの前に回る。
「場所は決まったことだし、ほら、行くよ」
「はいは……、…………ん?」
問答無用で手を引くケニーに、なぜかリーンが引っかかりを覚える。ただ、それがうまく言語化できずにくすぶってしまっていた。その間にも、ケニーはリーンを連れてどんどん先に進んでしまう。
(…………今の変じゃなかった?風邪?いや、やっぱり明らかに……)
ケニーに引きずられながら、リーンは自分の中に沸いた疑問を反芻する。あった当初は全く気にしていなかったが、手を引いた一言にのみ強烈な聞いて分かる違和感がのしかかっていた。
「早めに探しちゃおうよ、すぐ見つかるとは限らな――――――」
「―――――!待って!」
その何かに気が付いたリーンが反射的に手を引き、そのまま数歩歩いたケニーと距離を取る。離れてもそのまま振りむこうとしないケニーに、リーンが体をこわばらせる。息交じりで殆ど音を成していない、「噓でしょ」という呟きがリーンの唇から漏れた。
「ケニーあんた……そんなに声低かったっけ?」
「えー、そうだよ?」
ケニーに見えていた人影の声は既にケニーの物ではなく、男性と女性の中間のような低い声になっていた。「怪物になった者は、中性的であろうとするため男が女、女が男のような声で喋る」……そんな情報を与えられていたことを、今更ながらリーンが思い出していた。
「だって、浄化してもらったんだもの」
ようやくリーンの方へ振り向いた顔には、目と鼻の代わりに巨大な穴が開いていた。その穴からわさわさと白い枝が伸びていき、集まって触手になるのを後ずさりしながらリーンが見つめる。手のように分かれる触手の先は、まっすぐリーンの方へと向いていた。
(……無理、あんなの逃げられない!殺される…………!)
そのまましりもちをついてしまい、下から触手を眺めたリーンが逃げることをあきらめてしまう。パキパキと枝の音を鳴らし、細い触手が自分の方へ向かってくるのを見て、リーンが目をつぶって縮みこまった。
――――――キィン!
その触手はリーンに届かず、根元から撃ち落とされる。
1発の銃声の後にリーンが目を開くと、眼前には黒いコートをはためかせた黒い長髪の男が立っていた。両手に赤い拳銃、こちらを一瞥する顔には、赤いハーフマスク。あのボロアパートにいた死体と呼ばれた男が、そこにいた。
「え、あ……なんで…………」
「動けないなら動かす」
「いやそうじゃなくて、動か……っ?!」
投げかけられる言葉を最後まで聞かず、男がリーンを抱きかかえて横に飛ぶ。その一瞬後に、それまでリーンが座り込んでいた場所に白い触手が一斉に突き刺さった。固まるリーンを器用に左腕で抱え直し、男は開いた右手でさらに銃弾を見舞う。自分を掴んでいる男の手の冷たさに、リーンが別の意味で人知れず肩を震わせていた。
触手の主は、穴からパイプオルガンのような和音を出すだけで言葉を発しない。いつの間にか、首から下は白い修道服のようなものに変わっていた。
ふくよかな手が軽く前に突き出されるのを合図に、四方八方から男の方へ触手が素早く伸び始めた。
確実に当たる触手のみを打ち落とし、それ以外を男が側転やスライディングなどを織り交ぜながら回避していく。これが男だけの話であればよかったが、ジェットコースター以上の激しい急上昇と急降下を繰り返して、リーンが若干酔いかけて悲鳴すら出せなくなっていた。
『さっさとやった方がいいだろうが、少しブーストいるか?』
「……一発分でいい」
『へいへい……つまみ程度にもならなさそうだから、食事はパスでいいぜ』
男の胸元から、金切り声の提案が響く。力?とリーンが聞く間もなく、男が大きく跳躍し、触手の主から距離を取った。距離を取った先で、男が腰を落とし、まっすぐ銃を構える。銃だけではなく男ごと、赤い光に包まれていくのがリーンにも見えた。
(……熱い?)
急に体半分に熱を感じ、リーンが男を見る。流れる黒髪が、炎を
運命の転機となったあの日、喫茶店で聞いた
(ああ、だから名前が………)
完全に髪が真っ赤に染まったと同時に、銃の前に赤い光の弾が現れる。リーンが目をつぶっても感じる強い光に、
「……消し飛ばせ、
光が止み、無音になった頃リーンがようやく目を開ける。その頃には、友人の姿をしていた何者かは石畳の黒い影になり果てていた。
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