贄の手を取る序曲(オーヴァーチュア)

 急な発砲に、信者の一人が高位神官メージュテラーの盾となりその場に倒れる。それを合図に、残りの信者達が銃剣やナイフを手に一斉に紅き幻影ファントム・ルージュの元へ駆け出して行った。

 対する紅き幻影ファントム・ルージュは、向かってくるナイフを垂直飛びで軽々と避ける。その跳躍の高さは、明らかに常人が出せるものではなかった。高さ5mはある天井付近で反転し、真下へ一斉射撃を開始する。


「…………退け。従っているだけの駒に用はない」


ガガガガガガガ!!


「ギャアアアアア!!」


 見た目は普通の自動式拳銃だが、その性能はマシンガンに近い。相当の膂力りょりょくを持つ手首によって固定された秒速75発の弾丸に、真下でもつれていた信者達がハチの巣にされていった。

 マガジン1つ分を打ち切り、紅き幻影ファントム・ルージュが足元の骨を踏み砕きながら空中から降り立つ。その足元には、血で染まった銃痕だらけの白い服と、液状化した信者の肉塊が合わさった醜い湖。紅き幻影ファントム・ルージュが空中へ飛びあがってから地面に降り立つまで、その間わずか3秒であった。


 高位神官メージュテラーの前で転がっていた信者が体勢を立て直した時には、視界の中には紅き幻影ファントム・ルージュしか立っていなかった。信者達とて別に素人の集まりではない。並の人間であれば的確な判断力と武器の練度の前に膝を折らぬ者はいないだろう。

 単純に、速さ・威力・正確さ……全てにおいて紅き幻影ファントム・ルージュが段違いなだけだった。


(おそらく、奴は最初はちゃんとカモフラージュに引っ掛かった。そして愚直に全員葬ってきたのだろう。今頃別動隊は、水たまりに……)


 信者の手が僅かに汗ばむ。鋼のごとき不動の心は教えの下で磨き抜かれたはずだった。しかし理性は圧倒的な戦力差を理解してしまっている。もう助からないが、祈りをささげる暇はない。なら合理的に考えなければ……その思考の下、信者が高位神官メージュテラー紅き幻影ファントム・ルージュの間に立ちふさがる。


「……っ、高位神官メージュテラー様、僅かながら時間を稼ぎます。転生輪への楔ヴェルメルトゥーユを先に進めてくださ……ぃ、あ゛」


 信者が言い終わる前に、その口が銃身バレルで塞がれる。隙をついて高位神官メージュテラーを攻撃しようとした紅き幻影ファントム・ルージュの前に、高位神官メージュテラーが信者を突き飛ばしたためだった。歯をへし折って信者の口腔内を埋める拳銃が、信者の後頭部越しにその後ろの標的を狙おうとさらに捻じれる。至近距離の紅き幻影ファントム・ルージュは自分の事など見ていない……それが、この信者の見た最後の景色となった。


ガガガガガガガ……


 人肉越しの機関銃の弾は幾分スピードを落としており、高位神官メージュテラーが掲げた石板を貫通することはなかった。激しい血しぶきに高位神官メージュテラーの顔と服が血に染まる。その目は勇敢にも自らを盾とした信者への憐憫ではなく、紅き幻影ファントム・ルージュに対する侮蔑で満ち溢れていた。


 ふいに、銃撃をやめて紅き幻影ファントム・ルージュが後ろに飛ぶ。コンマ数秒の後、それまで紅き幻影ファントム・ルージュが立っていた場所に瓦礫が一斉に降り注いだ。瓦礫の山の下に広がった血だまりを一瞥だけして、紅き幻影ファントム・ルージュが息を吐いた。


「……所詮下種げすか」

「フン、同胞の血で私をけがしておいて、言うことがそれか?」

「広義の同類に言われたくはない」


 目線をそらさずに、紅き幻影ファントム・ルージュがマガジンを取り換える。再度構えて、赤い弾丸を高位神官メージュテラーに打ち込む。

 連射力を犠牲にして威力を重視したその弾丸は、高位神官メージュテラーの左胸を正確に撃ち抜きした。怒気を込めた呼吸と共に、すぐさま穴がふさがっていく。白い服の下の高位神官メージュテラーの皮膚は、僅かに虹色の光沢をまとった陶磁器のような、硬質な白色だった。


「子供騙しも大概にしろ……死にぞこないリビングデッド!」


 高位神官メージュテラーの両腕が、叫びと共に変形する。清楚で露出の少ない服を割いて現れたのは、聖なるものと程遠い刺々しい異形の爪。それなりに整っていた女の顔からも口回り以外から棘が生え、その隙間からどんどん花が零れ落ちる。


 高位神官メージュテラーの顔中が棘と花で埋め尽くされる頃には、そのシルエットは逆関節の足に持ち上げられた4mほどの巨体に変貌していた。


「――――――――!!!」


 高位神官メージュテラーだったものの低い咆哮で、空気が震える。淡い光を放つ白い異形が、紅き幻影ファントム・ルージュの方に踏み込み、爪で切り込んだ。その先を銃身バレルでいなし、反動で広間の入り口近くまで後退する。さすがに爪の衝撃が強かったのか、紅き幻影ファントム・ルージュが痺れた手を一瞬見やる。

 その様子に、金切り声が笑いを零す。それなりの音量の高音に僅かに口元を歪めるも、紅き幻影ファントム・ルージュは今度はいさめる様子がない。関係自体はかんばしくないようだが、金切り声は一応紅き幻影ファントム・ルージュの協力者であるらしい。


反転聖者インヴァードセイント……ランクで言うと第59位か。これならクソだるい雑魚掃除にもお釣りがくるぜ。さあて木偶でくの棒……俺様の要望はわかるな?』

「わかっている」


 今度こそ一撃を当てるため、反転聖者インヴァードセイントと呼ばれた異形は反動をつけて一気に距離を詰めようとしている。金切り声に短い返事で答えながら、紅き幻影ファントム・ルージュ銃身バレルと全く同じ色をした赤いマガジンを手にし、両方の銃へ装填した。


 カキン、という装填音と共に、紅い拳銃が炎をまとう。紅き幻影ファントム・ルージュの手も一緒に燃えるが、熱がることなくグリップを握りしめ、左手首をひねって銃口マズルをちょうど銃の位置が点対称になるように合わせる。そのまま、トリガーから手を放して遊底スライドを力づくでグリップの方へと押し下げた。

 手首近くまで遊底スライドが一気に下がって固定されているため、もう双銃からは弾を撃つ機能を失っている。代わりに、紅き幻影ファントム・ルージュ用心金トリガーガードを押し込むと台尻グリップエンドから歪な刃が飛び出した。細身ながらも50cm以上の刃渡りを持つ刃も同様に燃えており、炎の中に黒い影もちらついていた。

 変形してちょうど逆手持ちの双剣のようになった得物を構え、あと数歩で攻撃範囲に到達する反転聖者インヴァードセイント紅き幻影ファントム・ルージュが待ち構える形となっていた。


「……さあ食事だ、実体をかき消す怨嗟の双銃アフターイメージ


 咆哮と共に、爪が大振りで振り下ろされる。その爪と爪の間を赤い刃がすり抜け、反転聖者インヴァードセイントの爪の1本が宙を舞った。そのまま地面にめり込んだ腕の手の甲を踏み台に、今度は叩き落そうとするもう一方の腕へ紅き幻影ファントム・ルージュが切りかかる。掌に深々と刃を突き刺し、そのまま割くように双剣を薙ぐ。自慢の腕を砕かれ、反転聖者インヴァードセイントが絶叫の声を上げた。

 ぐらり、と白磁の巨体が背中から倒れる。反転聖者インヴァードセイントが認識したのは、赤い流星が自分の頭部に向かって一直線に落ちてくる光景だった。


「……そのまま喰われろ」


 2本の燃える刃が花園を穿うがつ。絶叫しながら、白い異形が黒煙を上げて燃えていた。



 そのまま広間を後にしようとした紅き幻影ファントム・ルージュを、金切り声が呼び止めた。


『待て待て待て。お前なんか忘れてないか?物事覚える気あんのか?まだ終わっちゃいねえんだよ、最後にが残っているだろうが!』


 金切り声に怒鳴られてようやく、紅き幻影ファントム・ルージュが再度祭壇を見やる。そこには、いまだ目覚めぬ素体と呼ばれた女性が寝息を立てて横たわっていた。

 ブラウンヘアーをボブに切りそろえているが、毛先はあまり手入れをしていないのかところどころ跳ねている。多少はおしゃれを意識してギャザーが入っているが、シンプルなチュニックに動きやすいスラックス、足元は低めのパンプスを履いている。……つまるところ、どこにでもいるごく普通の女性であった。

 しげしげと眺めた後、紅き幻影ファントム・ルージュが急に女性の左手首をつかむ。手首には、白い薔薇の刻印。ハーフマスクで目元は全くうかがい知れないが、紅き幻影ファントム・ルージュの口元には力がこもっていた。


「…………」

『さあ、どうする?種にはなっちまってるなあ?』

「……する」

『そうそうさっさと……あ?今テメーなんつった?』


 不満げな金切声をよそに、紅き幻影ファントム・ルージュが女性を仰向けのまま抱え、横抱きの状態にする。


「捕獲する。種になった以上、奴らにとってもこの女はだ」

『ほう……資材、ねえ?』

「幹部を撃破したことで降臨先の補充があちらも必要になる。待ち構えるのが効率がいいと判断した。これは


 契約。その言葉を持ち出されて、金切り声は言葉を続けない。無言を肯定と判断して、紅き幻影ファントム・ルージュが女性を抱いたまま、瓦礫を器用に歩いて入口に足を進め始めていた。


『……へえ?そんな判断するようになったのかよ木偶でくの棒』


 急に妙な提案をしてきた紅き幻影ファントム・ルージュの背に、喜んでいるのか悪態をついたのか、よくわからない声色で金切り声が呟いた。耳障りな声色は無音の広間に大層よく響いたが、その言葉に返答は最後まで返されなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る