47.マクシミリアン

「エヴァンはどこですか!」


 応接間のドアを荒々しく開いてサリアが飛び込んできた。


「え、たぶん風呂だと思うけど…」


 ソファでフォラスとチェスに興じていたメフィストが驚いたように顔を上げる。


「チェ…チェックメイト」


「うそぉ!さっきのちょっと待った!」



「ありがとうございます!」


 返事を待たずにサリアは飛び出して行った。


「エヴァン!」


「うわあっ!なんだよ!」


 サリアが脱衣所のドアを開けるとタオルを肩にかけたエヴァンが浴室から出てきたところだった。


「な、なんて恰好をしてるんですか!」


「それはこっちの台詞だろ!なんだよ急に」


 真っ赤な顔でドアを閉めたサリアはそこで思い出したように振り向いた。


「そうでした!今すぐこの屋敷から避難してください!」


「避難?なんでだ?」


「説明してる暇はありません!早くしないとこの屋敷が…」



「この屋敷の住人に告げる」


 その時、外から大きな声が響き渡ってきた。


 声の主は先ほどのマクシミリアンだ。


「いけない!」


 その声を聞いてサリアが飛び出す。


「お、おい、なんなんだよ、もう」


 呆然とした顔でそれを見送るエヴァンだった。


 マクシミリアンの声が続いている。


「我ら天遍教の司祭が数年前この屋敷にほどこした封印が解かれたと報告があった。我々はそれを悪魔の復活と解釈している。よってこの屋敷を臨検させてもらう。場合によって再封印もあり得ることを了承せよ」


 その言葉には有無を言わせぬ響きがあった。


「お待ちください!」


 サリアが屋敷の外に飛び出した。


 屋敷の前には馬に乗ったマクシミリアンを先頭に十数名の騎士隊、退魔司祭が並んでいる。


 目の前にやってきたサリアにマクシミリアンが訝しげな視線を投げた。


「何だ貴様は…?待て、貴様は先ほど教会にいた下俗僧ではないか。貴様は何者だ。なぜここにいる」


「わ…私は…サリアと申します。私はこの屋敷の者と知己なのです」


 その言葉にマクシミリアンが眉をひそめてサリアを睨みつけた。


「それはおかしいではないか。貴様は先ほど私が尋ねた時に知らぬと言ったはずだ」


 矢のような視線を受けてサリアの全身が強張る。


 それでも必死になって言葉を紡ぎ出した。


「そ…それは…誠に申し訳ありません。ですが…どうかこの屋敷に関しては私に任せてはいただけないでしょうか?先ほども言ったように私はこの屋敷の者と浅からぬ因縁があり、今もなお更生させるべく務めているところなのです!どうか、どうかこの通りお願いします!」


 サリアの地に膝をついた必死の嘆願にもマクシミリアンが態度を変えることはなかった。


「更生?更生と言ったな。サリアとやら、つまり貴様はこの屋敷の者がそうすべき者であると知っていたということか?」


「…っそ、それは……ですが!この者は近隣の苦しむ者たちを助けてもいるのです!どうか、お目こぼしをお願いします!マクシミリアン様!」


 サリアの様子を見ていたマクシミリアンが大きく息をついた。


 それは紛れもなく失望のため息だった。


「天遍教の僧とあろう者が神敵とわかっていながら庇うなど…これだから下俗僧は駄目なのだ」


 そしてサリアを鋭く見据る。。


「サリアよ!貴様も天遍教に籍を置くものならば何をすべきか心得よ!貴様の役目は天に仇なすものを誅することだ!わかったのならその身を引け!」


 しかしサリアは動かなかった。


 額を地面にこすりつけてはいたが、それでもその身を引こうとはしなかった。


 チッとマクシミリアンが舌打ちをする。


「聖騎士であるこの私に逆らうとは、どうやら世俗僧どころか堕落僧まで落ちぶれたいようだな。ならば相応の対応をしてやろう!」


 言うなり腰から鞘ごと剣を抜き去るとサリアの背中を打ち据えた。


「ぐうぅっ」


 サリアがくぐもった悲鳴を上げる。


「これは罰だ!貴様は天遍教の僧でありながらその教義に背き神敵に与している!この痛みでもって貴様の穢れた魂を浄化するのだ!」


 マクシミリアンが更に大きく剣を振りかぶり、サリアの背中に向けて振り下ろす。


 しかしその剣は直前で受け止められた。



「何者だ!」


「何者って…俺を呼んだのはあんたじゃないのか?」


 それはエヴァンだった。



 風呂から上がったばかりの濡れた髪のままでシャツも着ていない。


 身につけているのはズボンとサンダル、腰に吊るした剣だけだ。



「なんだと…では貴様がこの屋敷の主か」


「仰る通り俺ががこの屋敷の持ち主だ。以後よろしく」


 エヴァンは軽く肩をすくめるとマクシミリアンを見つめた。


「で、おたくはこの娘に何をしてんの?一応俺の仲間なんだけど」


「ふん、仲間だと?この女は我ら天遍教の尼僧だ。こやつは我らの教義に反しているから罰を与えていただけだ!」


「そうなのか、てっきりあんたは娘くらいの女子に暴力を振るう性癖でもあるのかと思ったよ」


 飄々としたエヴァンの態度にマクシミリアンの顔がカッと赤くなる。


「私はまだ30だ!このような娘がいてたまるか!」


「30なのか、てっきり俺と同じくらいかと思ったよ。眉間にしわばかり寄せてると老けて見えるぞ」


「きさ…」


 激昂して剣を抜こうとしたマクシミリアンの手が止まった。


 その手首に鞘に入ったままのエヴァンの剣先が触れている。


「そこまでにしといてくんないかな?これ以上やるとお互いただじゃ済まなくなるだろうからさ」


「貴様…」


 マクシミリアンが歯噛みをしてエヴァンを睨みつけた。

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