9.追撃者

「ふう、ここまで来れば流石に追ってこれないだろ」


 エヴァンは軽く息をつくと馬から降りた。


 そこは道から少し外れた森の中にある小川のほとりだった。


 小さな空き地になっていて月の光が木々の影を落としている。



「お゛え゛え゛え゛え゛え゛~」


 メフィストフェレスは馬から降りるや否や一目散に小川へと走り寄って跪いた。



「ひ、酷い目に遭った…地獄の責め苦の方がまだマシだ…」


「おい、大丈夫か?」


 涙目のメフィストフェレスの背中をエヴァンが優しくさする。


「こ…ここはどこだ?」


 ようやく落ち着いたメフィストフェレスが不思議そうにあたりを見渡した。



「ここはさっきの町と隣町の中間くらいだな。途中で迂回して別の道に入ったから後をつけられてはいないはずだ。今日はここで休んで日が昇ってから移動することにしよう」


 エヴァンはそう言いながら枯れ木を集めて焚火を作り、バッグからフライパンを取り出した。


「腹が減ったろ?急いで出てきたから大したものは出来ないけど軽く何か作ってやるよ」


 続けてバッグから取り出した木のボウルに水を汲み、小麦粉をこねて生地を作るとフライパンに伸ばして焼いていった。


 辺りに香ばしい匂いが立ち込める。


「な、なんだこれは?やたら美味そうな匂いがするじゃないか!」


 メフィストフェレスが涎を垂らしながら食い入るように眺めてきた。


「もうちょっとだから落ち着けって」


 エヴァンはキツネ色に焼き上がった生地を皿に乗せ、瓶に入れて持っていた蜂蜜とジャムを塗ってくるくると丸めた。


「ほら、できたぞ」


「んん!?美味い!な、なんだこれは!?」


 メフィストフェレスは一口食べるなり目をカッと見開いて叫んだ。


「こここ、こんな美味いものは初めて食べたぞ!」


 叫びながらも食べる手を止めようとしない。


「だから落ち着けって。これは俺の田舎の名物料理でパンケーキというんだ。まだまだあるから慌てなくていいぞ」


「し、しかし、こんな美味いもの、手を止められるわけがないぞ!もっとだ!もっとくれ!」


「はいはい、口の中を火傷しても知らないぞ。でも悪魔だから平気か」


 苦笑しながらエヴァンは次々とパンケーキを焼き続け、メフィストフェレスはそれをひたすら口に詰め込んでいった。



「まさか地上にこんな美味いものがあったなんてね」


 散々食べた後でメフィストフェレスは満足そうにごろりと横になった。


「地上界に追放された時はむかついたけどなかなか悪くないじゃないか」


「本当は卵と牛乳があったらもっと美味いんだけどな」


 残ったパンケーキの味を確かめながらエヴァンが呟く。


「これ以上美味くなるのか!?」


「今回はダンジョン攻略用に用意したあり合わせの食材だからな。本格的に作ったらこんなもんじゃないぞ」


「おい!いつかそのもっと美味いパンケーキというのを作ってくれないか?それを聞いてしまったら食べないわけにはいかないぞ!」


 メフィストフェレスの目がキラキラと輝く。


「わかったわかった。まずは落ち着く先を見つけてからな。とりあえず腰を落ち着けられるところに行かないと」


「そうか!それは楽しみだな!」


 嬉しそうに叫ぶとメフィストフェレスは立ち上がり、おもむろに服を脱ぎ始めた。


「おいおい、急にどうしたんだよ」


「どうしたって、腹の方は満足したんだから今度はさっぱりする番だろ?せっかく川があるんだから水浴みでもしようと思ってな」


「それは別にいいんだが…俺の目ってもんが」


「いまさら何を言ってる」


 恥じらうことなくメフィストフェレスはするすると服を脱いでいく。


「エヴァン、あたしとお前は魂で契約したんだぞ。言うなれば一心同体みたいなもんだろ。恥ずかしいも何もないだろ」


「それはそうかもしれないけど俺も一応男なわけで…まあ良いっていうんなら良いけど。むしろ大歓迎ではあるんだけど」


 ぶつぶつと呟くエヴァンをメフィストフェレスがじっと見た。


「そういえばさ…」


「ん?どうかしたのか?」


「なんであたしを助けたんだ?あんたにとってはあたしを置いていった方が都合がよかったんじゃないか?もっとも置いていかれたとしても追いかけたけどさ」


「そういえばそうだな…」


 言いかけて急にエヴァンは口を閉ざすとメフィストフェレスの方に駆け寄った。


「な、なんだ?まさか我慢できなくなったのか?」


「しっ!早く服を着ろ!もう追いついてきたぞ」


 背中にメフィストフェレスを庇いながら聖剣アブソリウムを抜き放つ。


「そこにいるんだろ!出て来いよ!」


 エヴァンは聖剣アブソリウムを構えながら目の前に広がる闇に向かって叫んだ。



「ククッ、まさか気付かれるとはね。隠形を使っているのに大したもんだよ」


 闇の中から笑い声と共に声が聞こえてきた。


 それはエヴァンもよく知る声だった。


「ザックロン、やっぱりあんたか」


 エヴァンが呆れたようにため息をついた。


「それはこっちの台詞だよ」


 闇の中からザックロンの姿が浮かび上がってきた。


 その手には既に抜身の剣が握られている。


「まさかとは思っていたけど、本当に悪魔に魂を売っていたとはね。だったらギルドで見せた強さにも納得だよ」


 その眼はエヴァンの背後にいる半裸のメフィストフェレスに注がれている。


「それで、それがわかってどうするつもりなんだ」


「知れたこと、この国じゃ悪魔と悪魔憑きは問答無用で死罪さ!エヴァン、あんただってそんなことくらい知ってるんじゃないのか?」


 ザックロンは嘲るように哄笑するとエヴァンを睨め付ける。


 その眼が凶悪な光を放っている。


「やっぱりそう来たか。そうだろうなと思ってはいたんだよな」


 エヴァンはため息をついた。

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