第3話  童貞 友と語る

3

グランドでアキラを探す。しかしまだ来ていないのか、そこにアキラの姿は無かった。どうしても先日のお礼を言わなくてはならないと、雑似はいつもは参加しない朝練に顔を出したが、どうやらアキラも大分前から朝練には参加しなくなったようだった。だれもアキラの所在を知らない。仕方ない、アキラに会って話をするのは放課後の部活の時だな。そう思って雑似はグランドを後にした。


「え?雑似さん、アキラって誰です?」

放課後の部活時に後輩はそう言って、尋ねた雑似に目を丸くした。

「は?アキラだよアキラ、ほらあの、いつも練習に来てるイケメンの」

後輩はさらに驚いたように言った。

「イケメンって…いまのサッカー部にはそんな男いませんよ。苗字はなんていうんです?ポジションは?」

雑似はその言葉に面食らうと言った。

「ば、ばか!アキラは …アキラは…あ、あれ?」

雑似はアキラの顔は思い出せたが上の名前とかサッカーのポジションとか具体的な話になるとどうも思い出せなかった。

「ちょっと先輩疲れてるんじゃないですか?今日はもう帰ってゆっくりした方がいいですよ」

そう言って後輩は雑似に帰宅を促した。

家に帰っても雑似は納得いかなかった、誰もアキラを知らない事はもとより自分自身がアキラの名字やポジションすらはっきり思い出せなない事が尾を引いていた。

アキラ? あいつの名前は・・・・あいつはチームの・・・うーーーーーーん。

そもそもアキラってなんだ?俺にひたすら優しい頼りになる親友、それはもはや恋人や伴侶のような存在ではなかったか。


家に帰っても心が落ち着く事はなかった。雑似は自分に必要以上によくしてくれていたあのアキラのことを忘れるはずがないのに、なぜか名前以外ことを思い出せなかったのだ。


ーそうだ!あのアキラがバイトをしていたシェイクシェイクに行けば何か解るかもしれない。

雑似はスニーカーを出すとそのままいそいで店に向かった。


店はもう閉店間際で客もなく店員もまばらだった。カウンターに近づき閉店準備をしているバイト仲間に聞いた。

「あのすみません、アキラっていうバイトの人ここで働いてますか?」

バイトの男はマジマジと雑似を見たが いや、ここにはいません… とだけ言うとまた閉店作業を始めた。

そんなはずはない。あの日シェイクシェイクのピザと共に映画チケットを持ってきたのは、他ならぬ彼だったはずだ。意気消沈したまま店の前の商品待ち客用の白いベンチに腰かけると、雑似はなぜか去年行った九州旅行のことを思い出した。九州と言っても久留米に行った丈だが、あまりの駅前の寂れように雑似は列車を降りたあとも暫く駅のベンチに座りぼーっとしてしまったのだ。小倉の原爆博物館へ修学旅行のため向かったのであったが、博多の放射線量がまた上がったということで鷹ノ巣空港から急遽久留米観光に行き先が変更になったあの日だ。あの日感じた焦燥感を今になってなぜか雑似は感じた。雑似は物心が付くまえに一度九州最大の大都市であった博多の街並みを見たかった。福岡駅ー赤坂ー天神、そして中洲……図書館でみたこれらの町は非常な繁盛場であるらしかった。そこに日本人が溢れていたというのだから国内が中国人だらけの今ではまったく信じられない話だった。


「よう、センターフォアード!」

放課後グランドでいつものように球蹴りをしていると後ろから話しかける者がいた。雑似が振り替えると知った顔がいた。

「アキラ……。」

そこに立つのはアキラだった。

「どうしたんだよ、元気ないぜ。ももりなとのデートはどうだったんだよ、進展あったか?」

女として生まれていたとしても美人だったろうと思われる程美形のこの男を雑似は久しぶりにみた気がした。

「あ、アキラだよな?お前がいるんだよな。」

アキラは雑似の挙動のおかしさにすこし距離を空けて言った。

「お前本当に大丈夫か、熱でもあるんじゃないか?」


「は?なにそれ。」

帰り道、雑似の話を聞いてアキラは思わず叫んだ。

「雑似、お前頭にボール受けすぎて脳震盪でもおきたんじゃねーのか?病院行った方がいいぜ」

そう言ってアキラは深刻な顔をして雑似の肩を叩いた。

「いやいや、ちょっと聞いてくれ。お前は本当にアキラなんだよな?」

しばらく黙っていたがアキラは答えた。

「ああ…そうだよ」

「じゃあ苗字、上の名前は?あとサッカー部のポジションはどこだ?」

「……あのなぁ。」

「いいから答えてくれ。」

「真柄アキラ。ポジションはミッドフィルダー、先月変わったばかりだろ。なんの真似だよ。」

「ミッドフィルダー?」

「そうだろ?センターフォアードくんにいつも絶妙のタイミングでボール繋げてんの俺だろ、忘れたのか?」

「前は」

「サイドハーフだったろ。それまで雑似もセカンドトップの無得点王だったじゃねーか。……俺たちは最強のコンビじゃねーか!忘れちまったのか? なわけねーねよな、何でそんな試すような事俺に言うんだよアアン。ははあ、とうとう惚れちまったってかこの俺に、ウンウン。」

そう言って肩をバンバン叩くアキラに雑似は言い返す言葉もなかった。


「なあアキラ」

雑似は言った。

「俺は病気かもしれない……」

アキラはウンウン頷いた。

「だろうな、俺に名前を聞く位だから相当重症だと思うぞ。」

「いやちがうちがう、その事じゃなくて、ももりなの事さ。」

「なんだうまくやんなかったのか。」

ダンマリしていた雑似は重い口を開く。

「ああ駄目だった。」

アキラは両手を上げて万歳のポーズをする。

「なんて事だよ、映画の券まで用意した俺が馬鹿みたいじゃないか。何が原因なんだ。」

「近づいて見たこと。実際話した夢のこと。」

「え?」

「俺は確かに ももりなに惹かれていたがそれはグラウンドを走る陸上部の無垢な彼女だったんだよ。遠目にみる彼女のシルエットや仕草がたまらなく可愛らしかっただけさ。」

「そんな彼女と丸1日お近づきになれたんだから、楽しかったんじゃないのか?何が不満だ。」

雑似は静かに首を振った。

「違うんだよ。実際近づくと彼女薄化粧をしていてなんだか不自然なんだ。額に汗もかいてないし。話す言葉のイントネーションも俺が想像するのと違った。グラウンドで後輩に指示をする彼女の凛とした中にも穏やかさがあるあの話し方が好きだったんだよ。あの日感じたのはどこにでもいるデレッとした女の子だった。俺には無理なタイプだ。」

アキラは呆れて言う。

「無茶いうなよ。めちゃくちゃだな。」

「俺さ、病気なんだよ。童貞病。」

「立たないのか?ありゃーインポだったのか……」

雑似はその言葉をがぶりをふって否定した。

「ちがうちがう!xvideoだって毎日見てるし俺は元気だ。」

「でも、病気なんだろ。どんな病気だそれ」

「ああ、童貞病はな…すごく難しい病だ。何しろ自覚所見はあっても他覚所見はないからな。その症状は現実の女と交際できない事にある。脳内にある種の女性像がインプットされていてるが故に現実の女とは上手くやれない。」

アキラは腕組みをすると言った。

「つまりは……妥協できない?理想を追い続ける?」

「ああ。その表現が一番近しい。世の中のいい年した童貞野郎の大半はこれが原因だと思うぞ」

「じゃな何で世の大多数の人間は童貞じゃないんだよ?」

雑似は黙っていたが、こう答えた。

「スクリーニングされるからさ」

雑似によれば若い内はその比較できる経験に乏しいので思い込みや直感を信じて平気で飛び込んでしまうらしい、これら「かわいい異性」に。

「ばかいうな。経験に乏しいのはお前もだろ。」

「いやそこでさっき言った夢の話になる」

「その話し、長くなりそうだな。ちょっと摘まんでくか?」

雑似の様子がどうも違うことに気づいたアキラは雑似を飯に誘った。

むかしはよく行っていたあのシェイカーズの看板が丁度目の前に見えたからだ。

シェーカーズの中はひどく空いていた。軍人感謝祭も終わり水兵たちの多くがこの地を離れたことも大きかったが、最近の不況で日本人さえも滅多に外食をしなくなったのだ。前にニュースで見たばかりであった。

受付でバイキングのチケットを購入しようとするとアキラがさっと日本ドル札を出した。

「いいって、おまえ病んでんだろ。おごるぜ」

ふたりで並んでピザの取り皿をピザで満たしていくと俄然昔の二人に戻った気がした。

「おい雑似、おまえこの前ももりなとどこに座ったんだよ?」

つまらない質問をするものだと雑似は思ったが、アキラにあの隅っこの席だよと指し示すとアキラはにやにやしてそこ座ろうぜと雑似の肩をポンとたたいた。

店の壁には米国ソニーサザランド製の高級薄型テレビが掲げられていた。ちょうどフットボールの試合を流していたがかつてのブームの過ぎた今は誰も見る者はなかった。

「やっぱりサッカーは欧州式だよなあ、あんなのフットボールじゃないよ」

液晶ビジョンを横目にアキラが呟いた。テーブルの上には山盛りのピザと揚げポテト、タコスチリソース、コーラとお茶が無造作に置かれていた。

「さあ、食べようぜ」

2人はまるで昔に戻ったようにピザらを次々に平らげた。

「やっぱ うめえな、ひさびさに食うと」

「アキラお前、シェイクシェイクでバイトしてるんだろ、ピザなんかいくらでも摘み食い出来るんじゃないのか?」

「冗談言うなよ、あんな米国仕込みの不味い宅配ピザなんて豚の餌にもなりゃしないさ」

そう、ここのピザは違う。外装もメニューも米国資本に見えるが実は生粋の日本人が経営している数少ない店なのだ。あのシェイクシェイクは米国人が本土で経営するチェーン店で、ピザも本土の工場で生産された冷凍品を解凍して届けているだけであった。だからもともと日本人の口には合わない不味いのだ。

「おぼえてるか、アキラ」

「ああ?」

「中止になった北九州行きさ、俺は絶対に小倉で九州うどんを食べたかったんだ。」

「あれは残念だったな、お前はじめて食べるうどんにわくわくしてたしな」

「もう四国行くしかないかな」

「中国本土に密航かよ、もうあそこじゃうどんなんて誰も食ってないらしいぜ、中国人ばっかでさ」

「うどんってどんなものなんだろうな」

「パスタみたいなものだろ」

そう言って皿の上のピザを平らげるとアキラはガブガブとコーラを飲みほした。

「で、この席でももりなとどんな話をしたんだ?」

身を乗り出すようにしてアキラは雑似に聞く。やけにももりの事ばかり聞いてくる。実は気があるのではないかと雑似は思った。

「別に・・いろいろだよ。映画の感想とか、あと学校の事とか家の事だな。」

ももりなはあの日早く家を出たいと雑似に話しをしていた。どうも家族とウマが合わないらしく彼女が部活で活躍することをこころよく思っていないらしかった、そんな自分の悩みを打ち明けながら雑似に体を近づけ足なんてもう密着させてきた彼女だったが、それらは彼女の名誉に関することなので他言は出来なかった。雑似は死ぬまで誰にもこの事を話さなかった。

「へえー、それで話盛り上がらなかったの?今度のデートの約束とか、告白とかしかったのお前?」

「ああ・・・。」

雑似はだまってお茶を飲んだ。彼はコーラが嫌いだった。

「よし、じゃあ。俺がももりなだ。」

「え?」

「だからここに座っている俺はいまももりなだ。だから思いのたけを言ってみろ、何が悪かったんだ?お前の意気地のなさか、何が駄目だったんだ?『わたし』の化粧か?」

「無茶言うなよ、おまえコーラで酔ったか?」

「いいじゃねーかバーチャルなんだから、話してみろよすっきりすんぜ」

そんな風に真顔でアキラに言われると、雑似自身実にバカバカしい事だと思いつつもすべてを話したい気持ちが湧いてきた。そうだ、なぜあの時自分はももりなを気に入ることが出来なかったのだろうか?いろいろ面倒な理由をつけて彼女を断った理由は何だろうか?あの散々グラウンドで見て来て憧れていた清廉なカモシカを諦めざるを得なかったたった一つの理由に雑似はうすうす感ずいていた、そしてその時ここでそれを話し始めた。

「なあアキラ、俺たちは前にどこかで会ってるんじゃないのか―」

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