真白はいい子?
「ほい、これ」
唐突に大量の色紙を渡された。
「ポップ書いとかないとそろそろマズいから。そこ座りな」とマキさんは端にある丸椅子を顎でしゃくった。言われた通りに座る。
これはさっき言われた『業務』の一つか。
「曲は聞いたことある?」
「ああ、はい。このへんなら」
目の前には3枚のCD。どれも最近リリースされたばかりの、有名なアニメ映画や人気ドラマのタイアップ曲ばかりだ。
普段から音楽を聞かない人でも、サビぐらいは一度聞いたことがありそうな。
「んじゃ、描くか」
腕まくりをしたマキさんの細い腕が露わになる、と同時に一切の迷いなくポップを描きはじめた。
速い。
上手い。
しかも、丁寧。
まだ描き始めて数分も経たないうちに、楽曲のタイアップ先であるアニメキャラと派手な色使いの文字が浮かび上がる。
「お前」
……お前?
ずっと視線を合わせないでいると、マキさんは手を止めてこちらを見た。
「ここには二人しか居ない筈なんだけど」
口調からは若干の優しさを含んでいるような心地がした。
「バイトすんの初めて? 」
「あ、はい」
「そう。ていうかさ」
と、言葉を切って僕の耳元に口を寄せる。
「さっきの何?」
「なんのことでしょう」
とぼけるなよー、とわざとらしくマキさんは口を尖らせた。
「俺が売り場行くとき、ここで真白ちゃんに首根っこ掴まれてたろ。昔のWWEみたいなことしてどうした」
ああそのことか。
「びっくりしたわ。二日酔いで、初対面の子がいきなり同僚に殺されかけてる状況に遭遇したんだぞ? おかげで酔いは覚めたけどさ。はっきり言って他の人間から見たらただの暴行そのものだろ」
たしかにぐうの音も出ない正論だ。
と、同時にこんな仕打ちをしておいて何の謝罪もしてこない倉渕に無性に腹が立ってきた。
「僕、何もしてないんですよ。ちょっと、その休憩入ろうとしたら急にアイツがブチギレて――」
これまでの出来事を洗いざらい話すと、マキさんは何かを悟ったように立ち上がった。そのまま、自分のロッカーからコーヒー缶を取り出す。
「そうか…そうだな……お前、真白ちゃんとは今日が初対面だっけ?」
「そうですけど」
同じ学校だから廊下ですれ違うくらいのことはあったかもしれないが。
「なら、真白ちゃんのことは知らなかったってことか。わかった。今回のことは俺からよーく注意しておくから、新譜の整理を頼むよ」
「……お願いします」
そう言って売場に出てから、言われるがままに新譜の整理の作業に取り掛かりだした。
売り場を歩く人は多少減ってはいるものの、目で見てはっきり分かるほどでは無い。あとから合流したマキさんから新譜の並べ方を教わりつつ、商品補充をする。
「ポップはもう出来たんですか」
「まあな。これくらいの作業なら慣れれば楽だよ」
「僕でもですか」
「音楽が好きなら誰でも」
そう喋っている合間でも、テキパキと手際よくCDを並べていく。
「アイ…倉渕とは仲良いんですか」
作業の手が止まる。
「俺はね」
ちょうど、次の方どうぞーとレジに居る倉渕の声が響く。
「あっちが俺をどう思ってるかは知らないけど」
「さっきあれだけ仲よさげだったじゃないですか」
倉渕が、僕を絞めるのをやめたとき、マキさんを視界に捉えたときの表情はまるで幼児が年上の兄を見つけたときのような顔をしていた。
「だって〜、年下の女の子なんて一番何考えているか分からないでしょ? 平気で嘘ついたり、普通に接しているかと思ったらコソコソ陰で叩いてたりしてさ」
そう言って少し乱暴に『か』行の棚に新シングルが突っ込む。同年代が居ないものだから、立ち位置的に寂しいねと眉尻を下げる。
「てかもしかして気になってるの、真白ちゃんのこと」
気だるそうにこちらを見てきた。空になった段ボール箱を持って立ち上がる。
「え?」
「学校ならまだしも、一緒に働く程度なら、シフト変えたりなるべく別仕事に徹したりすれば、気にはならないんじゃないの。あと学校ほど、自分さらけ出す必要ないから」
「いやでも、少しでも素性知っておいた方がいいとは僕はいいと思います」
「嫌なら距離取ればいいだけだろ? 無理する必要はない」
「大丈夫です。確かめたいだけなので」
バイト初日は5時間シフトを組んでいたから、終わったあとはどっと疲れが降ってきた。
「今度入る時は時間減らそう……」
店員用エプロンをロッカーに畳んでしまって、バックヤードから出れば今日の勤務は終了だ。学校と買い物以外、外に出ることがなかった自堕落生活のツケが今になって回ってきたようで、身体の至るところで筋肉痛がする。ロッカーの扉を閉じるだけで、腕にズキンと痺れたような痛みが走った。
「うお、今日はもう上がり?」
バックヤードに入ってきたマキさんは小ぶりの段ボール箱を抱えていた。長時間作業を続けているのか、店指定の濃青のエプロンには皺が寄っている。
「今日のとこは18時までなので。これから家に直帰です」
ロッカーから底のすり減ったリュックを取って、そう答える。
一応高校生は22時まで働けるだが、初日で夜まで潰して働く根気がないのと、笠懸家の世話業に影響が出るのを考えて、ちょうどいい時間帯を選んだ。
荷物を下ろしたマキさんはぐぐっと背中を伸ばした。
「いいなぁ、学生はそんな早く帰れてよ。こっちは夜までシフト入れちゃったもんだから今日も遊びに行けねえんだわ」
「どこに?」
「片町のハコ。行ったこと無いか?」
ハコ――ライブハウスのことか、と音楽用語の知識を引っ張り出す。
同時に、壁に貼ってあるポスターが目に入った。
7.19 18:00 START @EgisGate KANAZAWA
7月19日。
昨日開催されたライブだ。出演アーティストは二組で、どちらも目にするのは初めてのグループだ。
「シフト入ってたけど、これ行ってたせいで昨日は店長にシメられたんだよ。ひどいよなぁ本当に」
「妥当だと思います」
「は?」
「……え?」
正気かこの人。よく解雇されなかったな。
僕は横に立つ大男の涼しげな顔を見上げて、改めて恐れおののいた。見た目は白肌で長身で黒髪マッシュで近頃のK-POPアーティストみたいな出で立ちなのに、性格は存外やんちゃな性格らしい。
「高崎くんはこういうライブ行ったこと無いの? 」
「一度も。そもそもここら辺でやってる場所があるなんて、知らなかったので」
わざわざ、地元の小規模なハコで知らないアーティストを聞きに行こうとは思ったことがない。
それより、自分の録音環境を向上させるために金をつぎ込んだり、歌唱力を上げることの方に今は興味がある。それにライブで聞こうが、サブスクで聞こうが、実質的には聞く曲に変わりはないのだ。だったら金を抑えられるサブスクの方が色んな面で良いに決まっている。
「まあでも」とマキさんは続ける。
「一度はライブで聴くのを勧めとく。もし本気で音楽で成功したいと思ってるなら、なおさら価値のある経験だからな。お前はなんかそんな気がする」
そう言ったマキさんは、やけに引き締まった顔をしていた。
今度こそ店を出て、駅近くの駐輪場へと足を進める。
思い返せば、自分が今まで手出ししてこなかった音楽の楽しみ方だ。人混みが嫌いだから今まで興味が湧かなかったけど、地元のライブハウスならだいぶマシになるかもしれない。
「ねえ次プリクラ撮ろ」
「はい、はい今鼓門に向かってるところです」
「あー、マジ今から女子校に転校しようかな」
ああ、しんどい……。
駅直結のコンコースから、自転車置き場に向かうまでのエスカレーターは帰宅ラッシュのせいで、身動きができないほど混みあっている。これがまだ食品売場ならまだマシな方だが、
そのまま階下が近づくと、不意に視線を感じた。
誰だ?
フロア一帯に目を凝らす。すると見覚えのある人影が、こちらからずっと視線を外さずにいるのが見えた。
ボブの白髪、
ぱっちりしたツリ目、
身長の割に大きめのヘッドフォン。
――倉渕?
と思った瞬間、突然逃げ出すように遠ざかり始めた。
同時に階下に足がつく。彼女はエスカレーターとちょうど真反対の方向へと行ったようで、既に視認できなくなっていた。
少しの間、階下を歩き回っても彼女は発見できず諦めて笠懸家へと急いだ。
邪音ありきの高崎くん 麦直香 @naohero
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