NO MONEY, NO MUSIC

「バイト? なんでそんなもんする必要が…」

「なーに、今の状況打破にはもってこいの手段だと思うんだけどなぁ。――わ、サラダ油二割引じゃん。明日買いに行こうかな」

 笠懸の手には、駅直結の大型スーパーの広告が握られていた。

 僕がついこの間食料を調達しに行ったところでもある。数年前に開業した商業施設で他にも映画館や行きつけのCDショップも店を構えている。


「普段からそういうのチェックしてるのか? スーパーの割引とかもろもろ」

「まあね。こういうものはどれだけコスパ良く済ませられるかにかかってるから」

「コスパ、ねぇ……」

「そうそ、コスパ。高崎には馴染みないワードかもしれないけど」

「は?」

「だって普段からロクな金の使い方してないんじゃないの? 家見たけど台所のすみっこ、トランプラワーみたいにカップ焼きそば積み上がってた」


 笠懸は広告から顔を上げずに答える。家に上げたのはあのたった一度きりだがよくもまあ覚えていたもんだ。

 あのアパートに引っ越してからは、親と害虫と以外、部屋には誰も入れていない。

 だから録音部屋はもちろん散らかしたまんまだし、食料もむき出しのまま放置していた。食べたいときにわざわざ冷蔵庫開けて時間を使う、なんていう時間ロスをなくすために。あと掃除をするのもいちいち面倒だ。


 ……まさかコイツに知られるとは予想していなかったが。


「普段からああいうの食べてんの?」と笠懸は広告紙を置く。聞く限り笠懸家では自炊がほとんどらしく、一日三食加工食品頼りの生活は、どうも馴染みがないらしい。


「自炊したり皿洗うのって、結構時間かかるだろう? ゼリー飲料とかカップ麺で済ませないと、音楽に時間割けたんになって損した気分になんだよ」

「えーでも自炊の方がお金かからなくない? 浮いたお金でアーティストのCDとかグッズ買うのに回せばいいじゃん。そっちの方がメリット大きいと思うけど」

「そしたら音録る時間がなくなるだろ。話を聞いていたのか? 」

「面倒くさ…… 」

「は?」

「じゃあ、今のまんまで不満とか無いわけ? 」


 頬杖をついてじっと頭で考えた。

 歌い手として活動を始めてから早一年。

 毎日三食加工食品、親からの入金に対する食費のウエイトは日々膨らんできている。間違いない。

 その証拠に、つい半年前まで月十五枚は買えていたはずのシングル盤が、最近だと十枚買うのでギリギリになっている。あまりに致命的すぎる……、たった二万円弱ぐらいしかアーティストに貢げていない!

 それに、欲しい録音用機材だって山ほどある。

 のちのち全部購入するとなったら今の収入じゃ確実に足りない。もっと良い音響設備で推しの曲を歌えたら………

 これ以上の幸せはないだろう。そうに決まってる。


 だが、金が無いッ!


 かと言って—―。


 毎日自炊や掃除をする生活なんかまっぴらだ。いちいちそんなことに労力をかけていたら音楽に捧げる貴重な時間が失われてしまう。


 突然、あ!と笠懸が目を丸くする。

「動画の広告収入とかも入るんでしょ。 チャンネル登録者十万人はいるんだし、相当もらってんじゃない?」

 笠懸は口をにやつかせて、指で小さな輪っかをつくった。

『お金』のジェスチャーだ。いまどき、高校生がやったら少し古臭い。どっかの対馬在住43歳男性を思い出す。

「登録者数はよく知らないが、広告収入ならもらってないぞ」

「それって動画上げてもお金入ってこないこと? 一銭も」

「そういうことになるな。もっとも僕の歌声なんていうのは、本家はおろか他の歌い手と比較しても下手の部類に入る。こんなもんでいちいち収益化していたら馬鹿もいいところだ」


 RAHATEという存在が、どれだけ歌い手界隈で影響力があるか知らないが、毎日音楽にどっぷり漬かっている生活をしているから嫌なほど分かる。


 僕の歌は下手だ。


 その根拠は、音程がすっ飛んでるからとか、好き嫌いが分かれる声質だからとか、原曲のイメージをぶっ壊して歌っているからとか、そんな具体的なもんじゃない。


 聴いていて、耳で、頭で、そして何より心で分かる。

 今の僕の『声』はなんだ、と。


 歌ってお金を貰えるのは、その声の持ち主に面と向かってでも金を払える価値があるヤツだけだ。

 僕はそのレベルに値しない。


「んぅ…そこまで自虐するほどかなぁ……。ま、なんかあるなら触れないでおくけど」


 そう言うと、笠懸は立ち上がって冷蔵庫から麦茶を運んできた。

 手前に、来客用らしきガラス細工があしらわれたグラスが置かれる。

 やけに慣れた手つきで麦茶がちろちろと注がれていき、大粒の氷のカランと落ちる音がリビングに響いた。


 ………………。


「麦茶じゃなくてジュ」

「我慢して」


 クソッ。ワンチャン、オレンジジュースが出てきたら、久しぶりの果物にありつけると思ったのに。


「で、どこまで話したんだっけ? 」

 麦茶に口をつける。ぐびっと一口飲むと、喉をひやりとした感触がすり抜けた。

「バイトは無理だから現状維持しよう、はい終わり。じゃなかったか」

「違うから。なんでバイトやらない前提で話進めようとしてるの? 」

 珍しくむぅっと、水風船のように笠懸が頬をふくらます。

 そんなにバイトやらせたいのか? だとしたら、その執念は一体どこから湧いてくるのか? 正気なのかこいつは?

「ていうか高崎、嫌だ嫌だ文句言うふりして実は働きたいんじゃないの? 違う? 」

「じゃあ聞くが、お前は僕みたいな高校生がいたら雇いたいと思うか? 」

 笠懸は頬杖をついて目線を逸らした。

 ほら見ろ。いくらバイトをさせようとしても、僕には音楽しか能が無い。

 つまり、バイトをしようたって役に立たない給料泥棒同然! 


「でもなあ、見つけちゃったんだよねえ。君にピッタリのバイト先」


    ★       ★        ★


「うっわあ絶妙に似合ってねえ……」

 従業員用ロッカーに取り付けられた、小さな姿見を見る。

 スタッフの制服なんか初めて着たけども、店のロゴにも使用されている白地に青のラインの入った柄と、竜巻が直撃した後のような寝癖のついたボサボサ髪はミスマッチが過ぎる。


 そういや、こういうのの店員って『営業スマイル』とかやる必要あるんだっけか。一応練習しておいた方がいいのか?

 頬の筋肉に力を込めると、うまい具合に口角は—―――。


 上がらなかった。


 えくぼは中途半端につり上がり、目は夏バテしたライオンのように不機嫌そうに細まっている。


 ……駄目だ、どう考えても上手くやれる気がしない。




「おい、これ……本気で言ってるのか? 」

 笠懸に見せられたスマホ画面には信じられない文面が並んでいた。


【レジ・接客スタッフ大募集!】

 ・未経験、高校生でも大歓迎!!

 ・先輩スタッフが丁寧にサポートいたします♪

 …

 ……

 ………

 …………

 ………………


 詳しくはPOWER RECORDS 金沢店まで!


「パ、パワーレコード……っ!? もしかして」

「もしかしなくてもあのパワレコだよ」


 POWER RECORDS。音楽好きじゃ知らない奴はいない(いたらぶん殴って市中引き回しの刑だ)、音楽好きじゃなくとも一度は聞いたことがあるだろう超大手CDショップ。

 そのパワレコがこんな近くで……バイト募集している、だと!?


「しかも今応募すれば……なになに、おおっ? 従業員割引も特典でついてくるみたいだねえ? 」

「うぶッ」

 自分の眼を限界まで垂れ目にして、笠懸はこっちからじっと視線を外さない。見ているとなんか……胸のあたりがむずがゆい。

 メンヘラ女の出来上がり………って、違う違う。


「お前、僕が仮にそこで働きだしたとして、その…大丈夫なのか? 」

 笠懸の眼がもとのまっすぐな形に戻る。

「僕が働き出したら、これまでと同じように来れなくなりそうだし。まだ隼とかも懐いていないし、葵にしたって、あの子案外寂しがり屋なところあるから、あんま僕自身の事情でそういうの振り回したくねえなって思ったんだけど」


 何も返答がない。

 と、笠懸の方を見る。


 ……は?


「笠懸?」

「………ん? ああ、隼と葵のことね? 私からちゃんと事情は説明しとくから心配しないで。あと、このままお世話続けてうちに居座られるくらいなら、バイトなんか全然序の口だから」




 結局、最後は煽られてうやむやになったけど。

 間違いない、あいつ完全に—―――。


「準備できた? 新人くん」


 ドアの向こう側から声がした。声質的に女性の先輩か、これは。


「は、はい。今行きます」

 何はともあれ、これから初仕事だ。ほんの一瞬の出来事でうかうかなんかしていられない。


 ………絶対に従業員割引を乱用してやる!


「今日からよろしくお願いしま—―」

「っっ!」

 固まった。なぜなのか『先輩』が敵意むき出しでこっちを睨みつけていて、そしてこれもまたなぜなのか赤面している。


「あんたが……」

 白髪の少女の右胸には『倉渕 真白』のネームプレートが付けられていた。




















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