彼女の事情と僕の答え

「わっ、びっくりした。なんで来たの」

「当たり強いな……。 僕らまだ関係築いて二週間足らずだぞ」

 ファーストコンタクトは微妙だった。横から彼女に近づいた僕は、ベンチに座る笠懸の隣に腰かけた。白地に、青い英文字がプリントされたパーカーを着こみ、下はジーンズというラフな格好だ。周りにいる保護者や小学生たちに比べたら少し浮いて見える。そもそも高校生、僕らしかいないけど。

「今日は妹の付き添いか?」

「そうじゃなかったら、こんな海沿いまでわざわざ来ないでしょ。うちとは真逆の方向なんだから」

「わざわざ来るほど、と」

「まあね。ちっちゃいころからの馴染みだから、特にあそこの遊具はね——」

 葵ちゃんと名前不詳の弟くんは、ここから見て右手の砂場で遊んでいる。ちょうど弟くんが、ぎこちない動きの両手を駆使して、お山をつくっているところ—―――あっ、今葵ちゃんがその上にダイブした。

 うわ、全身砂まみれ…………ってなんで、あの子はきゃあきゃあ笑ってんだ。弟くんはといえば、死んだ魚のような目をしてるし。

「ねえ、聞いてるの?」

「えっ、あ、悪い」

「もう。ずっと私の話聞かないで、葵と隼のこと見てたで……」と言いかけたところで、笠懸は「うん?」と首を傾げた。だがやがて何かを察したかように、じとりと僕を憐みの目で見る。

「……あ、ごめんね? 高崎がを持ち合わせているなんて知らなかったから。まあ、人のそれは千差万別だと思うし、そりゃあ一線超えたらダメだけど」

「違う。勝手に人をロリショタコン認定するんじゃない」

「じゃあ、小児性愛?」

「それも違う! つうか言ってること変わってないだろ‼」

 すでに、この前まで僕が描いていた『笠懸=完璧陽キャ勝ち組美少女』というイメージはとっくに崩壊している。いっそのこと『変人』と片づけたほうがしっくりくるようになった。

「まあいい、今日はお前に謝っておきたいことが、その……あってな」

 笠懸は少し驚いたように、目を大きくしてこっちを見つめた。

「謝っておきたいこと?」

 僕の言葉を反復する笠懸。

 あの電話の一件からずっと、といってもたったの三日だが—―僕は四六時中考えていた。


 笠懸はなぜあんな強がるようなことを言ったのか。

 犯罪者予備軍(仮)の父さんが言った『相手を理解する』の意味。

 そして、暴露を免れる提案。



「………あのとき、さ、お前本気で言ってたんだよな? 私のためになることを提案しろって、最初は何言いだしてんだこいつって思ったんだ。あまりに交換条件偏りすぎだろとも思った」

「とても正直な意見だね」

「けど」

 からかいの言葉を制止して僕はベンチから立ち上がる。

「」

「すまない、お前のことを知らないばかりに」

 目の前の笠懸に深々と頭を下げた。数秒間、僕が聞こえたのは周りにいた園児たちわあわあとした声だけだった。

「だろうね」

「…………えっ?」

 思っていたよりも軽い反応で呆気に取られている僕を尻目に、笠懸はふっと小さく笑った。

「気づいてないとでも思った? 本気で私のこと思って考えてくれてるなら、あんな支離滅裂な提案するわけないよ。なんだっけ………ほら、あれだよ。アイドルヲタクがよくする行為」

「もしや『貢ぐ』?」

 パチンと指を鳴らす音。

「そう、貢ぐ!!!」

「待て待て、公共の場でそんなこと大声で言うな!」

 ったく、さっきの小児性愛といい、本当に外見詐欺だなこの人。

 おかげでベンチの周りにいた、数名の保護者から困惑と疑惑の交じった視線を感じる。また僕が勘違いされる羽目になったじゃないか……!!


 笠懸は急に、ぼそっとつぶやいた。彼女のほうを向くと、やけに寂しげな顔をしていた。西陽に照らされて、右半分が影になっている。

 満を持して、僕は話を切り出すことにした。

「笠懸。ヤングケアラーって言葉、知ってるか?」

 笠懸は首を振る。

「何それ?」

「……すごく簡単に言えば、未成年で家族のケアとかしてる子どものことを指す。最近は親がいない環境が当たり前になっていて、当事者が気づかないケースが多いらしい。」

「へえ、初めて知った」


 もう少し細かく言えば、本来大人がやるべき家事や家族の世話を、代わりにやっている子どもを意味する。僕自身も昨日初めて知ったコトバだった。


「で? 結局それが何なの?」

 こちらを警戒する野良猫のような目つきで僕を見つめる笠懸。さっきよりも、話しすには重たい空気が流れている。

 けど、ここで怖気づいてはいられない。笠懸のために、もちろん僕自身のためにも。


「お前もさ、その一人なんじゃないのって思って」

「…………」

「ほら、あれだ、学校ある日の夕方にきょうだいの付き添いとか、クラスの女子に遊びに誘われても、毎回断っていたりとか、あと母親に昼休みのたびに電話をかけ——――」

「ちょっと待って」

 何かに反応したかのように、笠懸が話をさえぎる。わずかに声が浮ついているように聞こえた。


「………どこで聞いたの、その話」

「え?」

「私がお母さんに電話をかけてるなんて、高崎には一言も言ってないんだけど。誰かから聞いた話でしょ? 教えて」

 もしや、怒ってる………? 僕が歌い手だと知った時以上の反応だ。笠懸にとってデリケートな話だから、覚悟はしていたがここまでとは——――予想していない。

「聞いてるの。ちゃんと答えて」

 いつも見る表情とはかけ離れている。眉毛はV字のようにつり上がり、いっそう睨んだ目で僕を見澄ましていた。今にも胸倉をつかんできそうな迫力で、僕は思わず顔をこわばらせる。

「く、倉渕ってやつに聞いた……」

「真白?」

 天敵と対峙する野良猫のように笠懸のまなざしが、キリリと強くなる。

 まずい。これは、聞く相手が悪かったのか? いや、そもそも笠懸のお母さんを話題に出したことに怒ってるのか? 詳しく聞きたいところだが、今この状況じゃ絶対口に出せない。

 いずれにせよ、もう後戻りできないことは確かだ。

 

「一応聞くけど」


 耳にかかった黒髪をかきあげる笠懸。そして一歩前に踏み出し、僕との視界に顔を近づける。



「真白に、私がヤングケアラーだってこと、言ったりしてないよね?」



 無意識につばを飲み込んだ。

 何も言ってない。

 やましいことなど何一つない。

 正直に言うだけ。

 言えば誤解は解ける。

 なのに。


 妙に静かな威圧に、声はかすれた。

「………い、言ってません」

 そう言うと、笠懸は急にうつむいた。艶のある黒髪が垂れて、顔が絶妙な身長差で見えない。

 もしかしてまだ怒ってるのか、これは? 何も言わな——


「ふはああああぁぁぁぁ」

 


 —―――――は?



 電池が切れたロボットのように、ぼてっとベンチに座った笠懸。

 僕が呆気にとられていると、笠懸は上目でこちらを向いて申し訳なさそうにつぶやいた。

「いやぁ、ごめんね? 真白に言ったと思ったら、ブレーキが利かなくなっちゃって。悪気は全くないから安心して?」

「……あっ、へぇ……そうですか………」

 なんか、普段とまるっきり違う笠懸だったからギャップ、いや、そんな生優しい言葉じゃ表現できない。

 この女、やっぱり変人だ。

「倉渕以外、誰にも話せないのか」

 我に返ったように、笠懸がこっちを向く。

 こりゃ、もしや踏み込み過ぎたか? 謝った方がいいんじゃ——。

 だが、その思考が体を動かすよりも先に、笠懸は「当たり前でしょ」と膝を組んでその上に右腕をついた。

 見る限り話したくない程、嫌な話題という訳ではないらしい。今の電池切れがいい証拠だ。でもまあ『嫌な話』に変わりはなさそうだが。

「想像してごらん。友達が突然、深刻そうな顔つきで、しどろもどろに、ヤングケアラーの話なんかしてきたらどう思う?」

「どう思う……って、言われても」

「想像だよ、想像。よく考えてみて」

「考えるもなにも、友達いないから分かるわけないだろ」

 彼女は『言わない』じゃなくて【言えない】と口にした。何があったんだか知りたいところだけど、他人にはそう簡単に“言えない”ことなんだろう。ここはむやみやたらに問い詰めない方がいい。仮に問い詰めても、僕がなにか得をするような話では絶対にないだろう。

「―――お母さんが職場復帰して、だんだん私が担う家事が増えてきてさ。洗濯とか食事の用意とかきょうだいの世話とか……。最初はすっごいお母さんにムカついてさ、八つ当たりしてたんだよね。なんで私ばっかりがこんな目に遭わなきゃならないのって、毎日ケンカばっかりだった」

「………………………」

「けどさ—―――それはお母さんも同じ思いを経験しているんだって気づいたんだ。それも私が抱いているものよりも、ずっとずっと大きなもの。私やきょうだいのためにお金を稼いでくれてる。これ以上、ありがたいことなんてないよ。だから私もそれに応えようって思ったんだ」

 んー、と手を組んで笠懸は伸びをする。それから、急に腕をほどいてだらんとしたと思ったら、右膝に腕を立てて顔をのせた。

「でも、なかなか上手くいかないもんだね。」

 僕は何も言えない。彼女と同等の立場に立たされなければ、絶対に分からない悩みだと思ったからだ。

「初めの頃は、お母さんも私の分担を手伝ってくれてたんだ。でも、私が高校生になってからは、仕事も長引く日が多くなって………」

 すごく聞いてはいけないことを聞いている気がする。

 上手く言えないけれど、触れてはいけない本に触ってしまったような、そんな背徳感で僕の脳内は支配されている。

「けど、お母さんには迷惑かけてるから、私がその分頑張らないと。妹も弟も大好きだし……、私がいなくなったらあの子たちが一番迷惑がかかる。でもやっぱキツい」

「周りに、頼れる大人とかいないのか。親戚とか近所の人とか」

「親戚はいないけど、近所ならいくらでもいるよ。うち、住宅街の中だから」

「え……? じゃあその人たちに頼れば——」

「でも嫌だ」

 嫌? ずいぶん極端な言葉に、僕は一瞬たじろいだ。こういう自分一人じゃ解決しようがない問題は、大人に相談して対応を待つのが。自分が苦しんでるくせに何を言ってるんだ。

「………それはまた……どうして」

「全員に同情されそうな気がしてならない。結局相談してもさ、何も変わらないでしょ」

「そんなことない」

 半分、説教のような口調で言った。僕は両ひざにおいた拳を強くにぎった。


 ああ、そうか。簡単に家族のことに踏み込まれたくなかったんだ。笠懸は。

 何も行動を起こさず、ただ同情されるのはたしかにつらいに決まっている。自分は痛いぐらい言われたことがわかるのに、言った相手は何も気にせず、そればかりか他人を勇気づけたと思って、変な優越感さえ心に芽生える。

 それがたまらなく、笠懸にとって嫌なことなんだ。


 だから……だから……反射的に笠懸は強がるようなことを言った。


 頭のなかを昨日の言葉が駆け巡る。


『笠懸って子は少なくともお前の味方だ。お前を陥れようとする敵じゃない』


 僕の周りは敵だらけだった。

 味方と呼べるやつなんか、いやしなかった。


 だがお前は——————はっきり分かる。


 僕は味方になる。


 だからこそお前に伝えたいんだ。


「お前の人生だろ。だったら…………もう少し欲張りになったっていいんじゃねえの」

 これが正しいアドバイスなのかは分からない。もしかしたら物凄く的外れで、かっこ悪いことなのかもしれない。けど、久しぶりに僕の心がじんわりと熱くなっている。

「欲張り?」

「自分のしたいこととか、考えていることとか、好きに周りにさらけ出していいんだよ。家族が大好きなのは分かる。けど自分より、大切なものなんか、無いはずだろ」

 目の前の笠懸が不思議と、輝いて見える。

 彼女を包んでいた何かが溶けていくような、そんな感覚。呆気にとられているのか分からないが、じっと僕を一点に見つめている。

「………………ありがとう」

 ずいぶん、言ってから時間が経った気がした。

 笠懸は温かな……いや、違う。急に違和感が。まさか、いやそれは予想してないぞ。


 数秒後、嫌な予感は的中した。


「でもさ、それってじゃない?」






 …………なんてな。これを二週間前の僕に言ったらこれ以上何もできなかった。

 だが———今の僕には。



「おい、今から二週間前に笠懸が言ったこと、覚えているか」

「え?…………あ」

「『私のためになることを何か提案して』と言ったろ? だから……今言わせてもらう」

 短く息を吸って。砂場のほうへ振り返り、僕は指をさした。



妹弟あのこたちの世話をさせてくれないか」


 言えた。やっと、言えた。

「僕は笠懸を助けたい。本気だ。お前の傍にいさせてくれ」


「――ぶぷっ。ぷははははははは!!」



「ふひっ、ふ、はあ……はあ。分かった分かった。よ—――く分かった!」

 今までにないくらい、つりあがった口に、真っ赤に火照った頬。そして僕を見る猫のようなまなざし。

 ネガティブを全部吹っ飛ばしたような満面の笑みで、彼女は僕をぴしっと指さした。

「君を世話係に任命しよう!!」






















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