最高厄介なアドバイス

 買物から帰宅して、食材を適当に冷蔵庫に詰め込んで、穴だらけのジーンズを脱ぎ捨てて、部屋着に着替えた。

 白生地に黒のラインが入った、ストライプ柄のTシャツ。まるで囚人服みたいな壊滅的なファッションだが、誰に見せるわけでもないから、これで十分。むしろ、半裸になりたいぐらいだ。ていうか、今半裸になった。

 学校の課題を済ませてから、掃除・洗濯を終わらせると、時計の長針は『7』を回っていた。

 電子レンジでレトルトの牛丼を温めている間、僕はソファに身体をあずけて、天井をぼうっと見ていた。


 前からアイツに弱点など存在しないと思っていた。

 成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、友達も多いし、人気者にありがちな叩くアンチも湧かない。ってことは性格も問題なしの完璧人間。どこを探してもあらの「あ」の字すら出てこない。クラスの端っこからでも目に見える、あの勝ち組のオーラ。

 それが笠懸だ。

 勝ち組とはまさにこの人のようなことをいうんだろう。―――そう思っていた。



 けどまあ。

 これで秘密を暴露されずに済む打開策が見えてきたぞ。

 だが問題なのはこの言葉。



 —――そんなところが私の弱みなわけないでしょ。



 半分𠮟りつけるような言い方で、いやに頭に残る言葉だった。

 ………でも、なんであんな強がってた?

 笠懸は、僕の本性を暴露することで、僕がクラスの連中と距離を縮めるきっかけになると思って、取引を持ち掛けた。アイツの言ってることが正しいならば。

 ならその考えを通したいがために、強気になったのか?

 いや、違う。もしそれが本当なら、そこまでして僕を持ち上げる理由が分からない。こんな存在感ゼロのカースト下位男子に利用価値などまるでないんだから。


 とすると—――いったい何が理由だ?


       *         *         *


 牛丼を平らげると、テーブルの上にあったスマホがブルブル震え始めた。画面を確認すると、生理的に受け付けない名がそこに表示されていた。


《父さん》


 げっ。なんでこんな時間に……!!


「……もしもし」

『んぬおお、久しぶり』

「なんだ、その真夜中に叩き起こされたカバみたいな返事は。つうか今何時だと思ってる」

『二十時二十九分』

「分かってんなら、こんな時間にわざわざ電話をかけてくるんじゃねえよ。何の用だ」

『いやそんな大したことじゃない。お前、まだ返信をよこしてないだろう』

 父さんが淡々とした声で言う。毎度毎度、感情をつかめないビミョーな喋り方をするから毎度話が頭に入ってこない。

「返信? なんのこと」

 ソファから立ちあがり、通話画面のスピーカーモードをタップして冷蔵庫にあった缶ジュースを取り出す。

『……その反応だとさてはお前見てないな? LINEだ、LINE』

 LINE? ああ、そういや自転車で帰るときにウエストポーチが振動してたから、それか。

 で、なんでこの人はわざわざ催促の電話なんかかけてきたんだ? 

 親とのLINEなんか、返信したくもないのに。

 シンクに置いた缶ジュースのプルタブを開けて飲みながら、仕方なく僕はスマホを操作する。LINEを開いて[友だち]の欄に表示されている[父]をタップした。

 やがて、その画像が姿を現した。


 一枚目はどこかの岬の案内看板の前で、仲良く映る両親の写真。


 そして二枚目は……


 黒のビキニのお姉さん。


「う゛ぶっ—―ウ゛ェッフウッフェ」

 僕はたまらず噴き出した。


 なに考えてやがるんだ、俺の父親は!!


『おっ、その反応は見たようだな。じゃあ早速俺と母さんの写真の感想を聞かせてもらおうか。同じプロジェクトに参加している若手に撮ってもらったんだが—―』

「いやいやいや説明しろよ!!!」

『……はあ? いきなり何だ』

「こっちのセリフだわ! なに息子とのLINEで、もろエロ画像みたいなもの投下してんだ!」

『エロ画像って………、この画像の母さんのどこが性的だっていうんだ? 別になにもコンプラに触れるような恰好じゃないだろ。青年誌の表紙に出てる可愛い巨乳の子と大差ないし—――はっ、お前もしやに目覚めたのか』

「勝手に俺を熟女好きに仕立て上げるな。あとそっちの画像のこと言ってるわけじゃねえよ!」

 なんで一日に二度も変な性癖疑惑かけられなきゃならないんだ!

『≪そっち≫? 俺は一枚しか送信してないはずだが……あっ、もしかして鳥海の写真も一緒に送信されているのか? 』

 鳥海? 聞いたことのない名前だった。

「誰だよ、その人。愛人?」

『違う。プロジェクトに協力してもらってる大学院生だ。今日がちょうど海開きだったから、休みにして協力者有志を引き連れて行ってきた。そいつ以外にも結構いるぞ。イマドキ立派なもんだろ』

「へえ。で、なんであんたがその鳥海さんの水着画像を持ってる?」

 電話の向こうで父さんがプッと噴き出す音がした。

「何がおかしい」

『おっ……フフ、お前相当その話がしたいようだな』

「はあ? そんなわけ—――」

 と答えようとしたところで、改めてスマホの画面に目がいった。

 まだLINEを開いていたままだった。

 画面いっぱいに【鳥海さん】の水着姿が映っている。


 よく見たら、かなりの美人だ。


 たれ目に。細い眉毛に、茶髪のショートカット。スレンダーな腰回りに、くっきり鎖骨も見える。けど出てるところは、まあ出てるな。


 バストは……げっ、大きい。それになんか脳がいやに刺激される⁉

 ハーレム系アニメとかで見るようなとまではいかないが、世間一般でいうところの巨乳だ。あくまでも世間一般でだ、あくまでも。


 サイズは……C、いやD? ワンチャンEもあるか――?


『なあ、そこまでがっつり凝視されるとこっちが反応に困るんだが』

「なっっっ—――!?」

『おぉ、その言い方はがっつり見たんだな。ったく、お前の反応はいつも分かりやすいから、思春期の子を持つ親としてはとても助かるよ』

「――――っ!! う、うるせえ! つっ、つかなんで父さんが二十ぐらい年下の異性の、しかも水着画像なんか持ってんだ! 性犯罪者にでもなりてえのか、この野郎‼」

「すまないがノーコメント」

 腹立たしいほどに無機質な声だった。


   *               *                 *


「…………………………」

『どうした、そんな黙りこくって』

 気がつくと、10分以上も話し込んでいた。最初の押し問答のせいで、上手く舌が回っていない。

『もしかして、何か悩み事でもあるのか?』

「…………んな訳ねえだろ。うっせえよ」

 通話口の向こうから、やれやれと言わんばかりのため息が耳に届く。

『言っておくが、そうやって誰にも頼らないでいたら、ずっとそのまんまだぞ。答えが分からない問題なんか一人で悩み極めるだけ時間の無駄だ。誰か頼れるやつに相談した方が何倍も上手くいく』

 一瞬、笠懸の顔がよぎったが、ぶんぶんと心の中で頭を振る。

「そんなやつ周りにいない」

『じゃあ俺でどうだ?』

「僕の【頼れるやつ】候補に入ってるとでも?」

『なに、一番手じゃないのか』

 きもっ。いまどき、そんなクサいことを堂々と言う親がどこにいるよ。

『ふわぁぁぁ~~。さあ、言うなら早く言え。こっちは、24時間対応のカスタマーサービスみたいにずっと応対してられないぞ』



「―――――という訳だ。何かいい方法はないか」


 僕は結局、一連のトラブルを話した。

 笠懸という同級生が、僕が歌い手のRAHATEだということを突き止めたこと。彼女に半ば強引な形で取引を持ち掛けられたこと。そして、彼女がシングルマザーの家庭で、二人のきょうだいの世話をしていること。


 さすがに、笠懸が僕の半裸姿を目撃したことは言わなかった。これ以上いろいろと、勘違いされるのはもう御免だ。


 父さんは、少しの間『むううう』とか『うぅぅん』とか、機嫌の悪い大型犬みたいなうなり声をあげた。


『つまり、どうしたら自分が歌い手だということを暴露されずに済むか悩んでいるんだな?』

 父さんと母さんには、僕が歌い手だということを活動開始当初から打ち明けている。二人とも事業を展開する上でネットの反応や流行性は気にしているらしく、それが幸いしてネットに関する知識――あくまでもビジネス面の話だが——は豊富だった。

 ネット=下品、危険、非常識

 とかいう、一昔前の価値観はひとかけらも持ち合わせていない。

 そのおかげで、今でも特にとやかく叱られることなく、僕は歌う事に熱中している。

「その通り。なにかいい打開策はない?」

 再びうなった後、父さんは静かに、厳しさを含んだ声で告げた。


『お前、そんな心持ちで解決しようとしてるのか』

「……えっ」


 普段からロボットみたいな、感情の読めない声で喋る人だ。そのせいか、僕はこの発言に一瞬頭が追い付かなかった。


『その笠懸……って子だっけ? その子が自分のためになることを提案してくれているというのに、お前は、自分の正体がバラされたくないことだけに執着していないか』

「………まあ間違ってはいないけど、でも僕が歌い手だってことをバラされたくないのは、父さんもよく分かるだろ」

 そう言ってから数秒、沈黙が流れた。

『………わかるよ……痛いぐらい分かる。以来、お前が友達との間に壁をつくったことは忘れていない』

「だろ?だから—―」

『けどな』

 父さんがピシャリと僕の話を止める。


『笠懸って子は、少なくともお前の味方だ。お前を陥れようとする敵じゃない。現にお前が提案を出さずに暴露したところで、サポートするとまで言ってくれているじゃないか。素性の分からないやつにいきなりそこまで言えるやつなんか、なかなかいないぞ』

「……社交辞令に決まってんだろ、あんなの」


 ああいうことを言うのは、たいてい嘘に決まってる。


『お前がそう解釈するのなら、それでいい。……けどな、相手が歩み寄ろうとしてくれているのに、ツンツンした態度でずっといるのは違うと思うぞ』

「…………………………」

『もし、その笠懸さんに提案を通してもらって、暴露を回避したいのであれば、今のお前に必要なのは相手を理解してやることだ』


「……相手を、理解する?」

 父さんが、通話口の向こうでうなずいたように思えた。


『話を聞く限り、笠懸って子は、自分がきょうだいの世話をしていると知られたくないようだな。あんな突き放すような言葉を言ったのだから、そうに違いない。』

「ああ—――えっ、もしかして『これでおあいこだな。お前の秘密は握ったぜフハハハ』みたいなことを言えと?」

『馬鹿か。そんな訳ないだろ』

「じゃあ……どうすれば……」

『知らない。あとは自分で考えろ。それじゃあ、おやすみ』


 —―は?


「おい待て」と言おうとしたが、即行で電話を切られた。全身の力が抜けたみたいに、僕はそのままソファに倒れこんだ。


 一番こっちが知りたいことを言わずに逃げやがって。クソッ、一体どういうことだ?












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