弱さ
「弱すぎない?」
熟した柿みたいな橙色に染まる公園の一角。私たち二人はベンチに並んで座っていた。
「当たり前だ。球技のなかでも、ドッジは一番嫌いなんだ」
「けどさあ………」
私は左隣にある横顔をじっと見つめた。高崎の頬は、やけどを負ったみたいに赤く腫れあがっている。
「そんなピンポイントにクリーンヒットするかな、普通」
高崎はその腫れあがったほっぺたに手を当てる。痛がっている、というより恥じらっているような顔だ。
「クリーンヒットさせてきたのは笠懸さんの妹だろ。いくら嫌とはいえ、僕はちゃんと避けようとしたからな」
「その結果がこれなの?」
私は眉をひそめた。高崎は触れていた手を膝におくと、こちらに目を向けず、目の前でドッジボールを繰り広げている葵たちを眺めている。
「………ノーコメント」
* * *
あれは、つい十分前くらいのことだ。
隼の保育園のお迎えを済ませたあと、私は先に帰っていた葵と三人で近くの公園で遊ぶことにしたのだ。
その公園というのが、ここ。
滑り台や砂場、木を基調にしたアスレチックなど、ここには子どもがいかにも好みそうな遊具が揃っている。平日の夕方や休日には、多くの近所の子どもやその親たちでがやがやと賑わう。
「あっちで、もえちゃんとみさきちゃんと遊んでくるねっ!!」
葵は既に友達を発見したようで、一目散にドッジボールに駆け出して行った。
「じゃあ隼は私と—――」
「ぼくは砂場で遊んでくるから」
……隼もすぐに遊びに行った。私を残して……うっ、悲しい。
その後、私は一人ベンチに腰掛けてスマホをいじっていた。公園に来てもいっしょに小さい子と遊ぶことは無い。保育園に何人か知っているママさんがいるけど、その人たちはあまりに私には干渉してこないし、私も無理にその子どもたちと遊ぼうとはしない。
もし、ママさんが話しかけてきたとしても『華子ちゃん、こんにちは』「どうも」これで終わり。
同じ年の子とわちゃわちゃ遊ぶほうが、年上のお姉さんと戯れる(なんか、すっごい曲解されそうな気がする……)よりも全然楽しいに決まっている。
私だってそう思う。
「お姉ちゃーん」妹の声だった。「なに?」と顔をスマホから離すとそこには黒の無地Tシャツにジーンズ姿の高崎が立っていた。
「……よっ」
半分だけ視線をよこして、高崎はそう言った。
「来てたんだね」
「まあ……正しく言えば“来させられた”んだが」
「ねえねえ、お姉ちゃん」葵がTシャツのすそを引っ張る。「お兄ちゃんとドッジボールしてきてもいい?」
一瞬で高崎の顔があたふたするのが見えた。ドッジボール、それも小学校低学年が中心でいてこの反応………。何だか面白くなりそうな予感がした。
「いいよ」
* * *
「まさか開始一分で、もろに顔面に喰らうとはね」
「おい。わざわざ掘り返さなくったっていいだろうが。もう終わったことだろ」
「私のなかではまだ終わってないんだよ」
「はあ? 何を言って—―」
そこまで言って、急に高崎は口をつぐんだ。
前に向き直ると、葵たちが遊んでいる広場の奥のほうに、母親らしき女性二人組が目に入った。
もしかして、私たちの方見てる?
こちらの方をちらちらと見て、怪しげな目を配りながら話し込んでいる。
何だろう?
「……絶対いろいろ勘違いされてる」
「なんで?どこに誤解される要素があるの」
「気づいてないならそれでいい」
「はあ」
いったい何を言っているんだろう。どこも不自然なところなんか無いのに。ただ二人の男女がベンチに座って会話をしているだけ。まあ、男のほうは軽傷を負った状態だけど。
飽きたのか、女性たちは十秒もしないうちに私の視界から外れた。
「行ったか?」
うつむいていた顔を上げる高崎。
「うん。二人ともあっち行った」
「ふわあああああ」高崎は安心したように溜め息をついた。「危うく、恥をかくところだった」
「それ、どういう意味?」
「ノーコメントだ」
また言ってる。好きなのかな、その言葉。
「にしても、笠懸さんって」
「さん付けやめて。なんか敬称だと気持ち悪い」
「じゃあ、笠懸ちゃん?」
「気持ち悪さが増幅されたんだけど。なんでそこで真っ先に"呼び捨て"が思い浮かばないの」
一見おとなしそうに見えて、意外と変な奴なのかもしれない。
「笠懸…ってさあ、なんで僕に秘密を守る条件で『私のためになることを提案して』なんて持ち掛けたんだ?」
近くを飛んでいたスズメが、ぴちゅっ、ぴちゅっと鳴き声をあげて滑り台の上に止まる。私は少し間をおいてしゃべり始めた。
「あれを言ったのは、高崎のためだよ」
「僕のため?」
意表を突かれたのか、高崎の顔が曇る。眉間にしわを寄せて、口は若干への字のように曲がった。
「高崎ってさ、ストレートに言うけど陰キャじゃん?」
「……すっごい傷つく」
「ごめん。でも事実だから」
「うっ、追い打ちをかけるな。僕のメンタルがもたない」
「ともかく、私は高崎とみんなが距離を縮めるきっかけになればいいな、って思ったんだ。歌い手っていう肩書を使って」
「それって、つまり……」
「そう、わざと難題を出すことで、私の望みが通りやすくなるようにしたの」
「………無責任だな」
高崎は吐き捨てるように言うと、足を組んで頬杖をついた。左膝に開けられた大きな穴が広がり、小麦色の肌が
「僕の気持ちを考えずにそんなことをするなんて」
「でも、内心これはチャンスかもって思わなかった? うちのクラスは音楽好きが多いから、うまくいけば千代田とか上野とか陽キャと仲良くなれるかも」
「……………思ってるわけないだろ」
「嘘だね。いま、明らかに間があったもん」
我ながら意地悪にそう言うと、高崎は小さく咳払いをして睨みつけた。やっぱり、ちょっとはクラスメイトのことに興味があるみたいだ。
「仮に、僕がこのまま提案せずに、期限を迎えて笠懸の希望にのったところで、うまくいく保証なんか無いだろ」
「大丈夫、私がサポートするから」
執事みたいに、私は手を胸に当てる。高崎は相変わらず納得していない様子だ。こちらを死んだ魚のような目で見ている。公園には午後五時を告げるチャイムが鳴り響いていた。
「……前は私も高崎みたいな感じだったから」
「ん?今なんて?」
「なんでもない」
私は一つ溜め息をついて、立ち上がった。「そろそろ帰ろうかな」
「高崎はまだいるつもり?」
「帰るに決まってるだろ。もともと笠懸の妹に連れてこられたんだから」
「あのねえ、妹なんて堅苦しいこと言わずに、名前で呼んだらどうなの。『葵ちゃん』って」
「なんか他人の僕がそれを言うのは、抵抗があるな」
「私には、速攻ちゃん付けで呼ぼうとしたくせに」
高崎も立ち上がる。公園を照らしていた橙色はどこかに消えて、代わりに黒みがかった桃色が辺りを包んでいた。広場で遊んでいた子どもたちも、来た時より減っていて、残っている子どもたちも続々と帰り支度をしていた。
その中に、ブレザーの制服に身を包んだ、中学生の女子のグループを見かけた。おそらく部活終わった後かな。全員、テニスラケットを肩に提げておしゃべりをしている。
あ、なんかみんな笑ってる。
「なあ、最後にいいか」
「ふぇっ!?」
「どうした、そんな変な声出して。ボーっとしてたのか? 」
つい、ぼんやりと眺めてしまっていた。私としたことが。
「笠懸の親って今いないの」
「うん、ひとり親だし。お母さんは働いてる」
「そうか………」
不自然な間があく。
「もしかして、私のこと可哀想だとでも思った?」
私は高崎の方を見て淡々と言った。
「そんな、わけじゃないが………」
「嘘つくの下手すぎ。そんなところが私の弱みなわけないでしょ。」
思いっきり伸びをした。
「高崎にとっちゃ、普通じゃないと思うかもしれないけど、今どきシングルマザーの家庭なんかゴロゴロいるよ。っていうか、そういう生活には慣れっこだし、そこから提案しようとしても無駄だからね」
「いや、そういうことじゃないんだが—――」
私は無視して歩き出す。葵と隼を連れ出さなくては。これ以上高崎と話していては、夕飯の支度が間に合わない。
何かモヤモヤしたものが心の中で渦巻いていた。目の前で高崎が笑われたときとは、また違う何か。私はそれを振り払って歩き始めた。
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