裸と感謝と焦りと

「か、笠懸⁉」

 セミロングで、肩までかかった艶のある黒髪、程よくたれた黒目、その割に若干太い眉毛……。

 しかも学校で見るのと、瓜二つの格好だ。間違いない。普段ほとんど会話をしない僕でも分かる顔。

 同じクラスの笠懸かさがけだった。

 ん?待てよ……。

「なんでここにいる⁉」

 僕は彼女の元に駆け寄る。半開きになった、寝室のドアの内側に尻餅をついていた笠懸さんは、僕を見るやいなや、ぷいっと顔を背けた。

「おい、どうした?」

 心配と動揺が入り混じって、思わず笠懸の右肩をつかむ。すると彼女はみるみるうちに、顔を真っ赤に染めた。

「………っ!!」

「笠懸……?」

「ふ、ふっ……!!」

「ふ?」

 普段の様子とどこか違う気がする。あれれぇ、おっかしいぞぉ?―――と某名探偵の邪魔が入ってもおかしくない程、今の笠懸は学校でめったに見ない表情をしている。頬は鮮やかなピンクに染まり、下を向き、僕の姿を避けるように…………


 —―――――僕の姿?


 その瞬間、僕は今の状況を理解した。

男が女に裸を見せている。



 かはっぁぁぁぁああ。


 自分の顔もますます赤くなっていくのが、目にみえた。すごい恥ずかしい…………これ。

「わ、悪い………今すぐ毛布で隠すから」

 僕は静かにそう告げた。


 *              *             *


 一分ほどして「もう大丈夫だぞ」と感情を殺して言った。こうでもしないと、また顔が赤くなりそうだ。

 両手をさげて、僕の姿を見た笠懸は「ふあぁ……」と全身で呼吸をする。

「着るもの無かったんだね……」

「仕方ない。ここは寝室だからな」

「いや、そうだけど……さ、普通寝るとき服着るでしょ? もしかして、あれ? 女子にわざと裸を見せつけて恥じらった顔を堪能するのが趣味―――」

「断じて違う!」


 そのとき、玄関から少女の声がした。

「おねえちゃーん、入ってもよさそう?」

「いいよー。靴脱いでこっちにおいで」

 おい、笠懸⁇ ここの家主は僕だぞ。お前ただの不法侵入者だぞ? これ以上同類を増やすつもりか?

 そんな僕の静かな憤りに感ずることなく、パタパタと廊下を歩く音が聞こえてくる。どこか軽い足取りだ。

「お邪魔しまぁっす‼」

 ベージュに近い、茶髪の少女が上がりこんできた。髪型は三つ編み。見た目と身長からして小学校二、三年といったところか。

 三つ編み少女は、笠懸のとなりにちょこんと座った。あ、もしかして妹か?この子。

「こちらは妹の葵。今日はあなたにお礼を言いに来たんだ」と、笠懸。

 おれい? この子に何かしたっけ。

「んーと、何のことだ?」

 僕がそう言うと、二人はきょとんとした顔で僕をじっと見つめた。その顔は僕がしたいくらいなんだが。

「覚えてないの?」

「覚えてないもなにも、二人と話すの初めてだし分かるわけ……」

 そのとき、笠懸さんはを僕の前に転がした。それは見覚えのあるもの。間違いない。これは————。

「…………僕の傘だ」

「「思い出した?」」

 姉妹の声が重なった。


 *                 *               *


 そこから話は早かった。

 三日前の夕方、ゲリラ豪雨のなか僕は、この三つ編みちゃん——葵ちゃんっていうらしい——に出くわした。

 傘もささず、ランドセルを頭に被せようともしない、ずぶ濡れの典型を呈していた彼女に、僕はこの黒傘を差しだしたのだった。

 幸い、このアパートが目の前だったから、自分はさほど被害を受けずに済んだ。

 そのときの少女がまさか、笠懸の妹だったとは。

「にしても、わざわざ訪ねてきてお礼を言おうなんて、すごい行動力だな」

「まあ、持ち掛けたのは私だけどね」

 その横で葵は「えっへん」と言わんばかりのドヤ顔をしてみせる。

「当たり前でしょ、こんなこと」

「僕の家への不法侵入もか?」

「それ違う。高崎が鍵かけてなかったのが悪い。不用心すぎ」

「うっ……まあ、一理ある……」

「まあ私もは悪かったかもね」

 若干、いや訂正。相当引っかかった部分はあったが、せっかくお礼を言いに来てもらったんだから、自制した。それに、まだ義務教育真っ最中の小学生の前で言い争いを繰り広げるのは、道徳的によろしくないしな。


 *                *            *


「じゃあね、また学校で」

「お兄ちゃん、バイバ~~イ‼」

 笠懸姉妹はそう言って、僕のアパートをあとにしていった。ていうか、妙にギャップあったな、特に姉。

 一人暮らしを始めて一年半になろうとしているが、いまだに鍵やら施錠やらはよく忘れる。今回だってまさにそれだ。

 まあでも、僕がもししっかり施錠しておいたら、笠懸さんに感謝されるなんてことはなかったろうし、笠懸さんにとっても、妹を助けてくれた(自分で言うのハズい)人も分からずじまいだった……。


 結局、これでよかったのか?


 いや、深く考えるのはよそう。

 第一、強盗や空き巣に入られたらたまったもんじゃない。うん、そうだ。正しい。

 それに、この家に不法侵入してくる奴は、いるんだった。

 僕はそう結論付けて、スマホを取りにさっきの寝室に戻ろうとした。だが、あることに気づく。

「えっ……この部屋開いてた、の、か?」

 それはCD部屋のドアだった。

 ま ず い 。この部屋は———




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