なまけもの
家族
「ただいまぁ」
「おかえり、葵ってえ—――っ! ? 」
一瞬の間に見た掃除機の電源を切り、玄関に駆け込んだ私は絶句した
そこに立っていたのは、ショートカットの黒髪から靴下までずぶ濡れになった、妹だった。
「ずぶ濡れじゃん! ああ、もうっ。ちょっと待っててそこで! 」
そのまま洗面所に直行する。
洗面台の下棚から、真っ白のボディタオルを引っ張り出して、それを妹に向かってドッジボールの要領でぶん投げた。
「今すぐそれで髪拭いて! 風邪ひくでしょ!」
「ん、ありがと」
次いで、妹のランドセルに手をかけた。茶色——―と言ったらふてくされる、チョコレート色のランドセルには、雨水がこれでもかという具合にびっしりと付いている。
えー肝心の中身は……っと。
教科書、ノート類、連絡袋に給食セットその他多数。
ひとつひとつ、ランドセルから取り出し、自分の手で湿り具合を確かめていく。毎日学校に持っていくものばっかりだから、濡れてたらかなり厄介だ。
その後処理で私の仕事が増えるから、そうはなってないといいんだけど。
—―よし。とりあえず濡れてはいない。
若干湿っぽいものもあるけど、何もしなくても明日には乾くレベルだ。
だけど。
所持品は無傷でも、妹は見ての通りの重傷だ(濡れ具合)。
「んん」
妹はパーカーのフードみたいに、タオルを頭からかぶっている。隙間からかすかに見える前髪は、艶を帯びていた。
「お風呂沸かしとくから、ピーピーって音鳴ったらすぐに入ってね」
「やったぁ」
「そこは『やったぁ』じゃないでしょ。お姉ちゃんが葵のためにやってくれたんだから? なんて言うんだっけ?」
「…………ありがと」
「よし、入ってよろしい」
「やっっったあぁぁ!!」
相変わらずな妹に、私は小さくため息をついた。
リビングに戻ると外の景色に思わず目を奪われた。
「ひゃあああ……すごい雨」
窓にはびっしり水滴がこびりつき、横殴りに降る雨がはっきり見えた。まちがいない、ゲリラ豪雨だ。町工場でパチパチと弾ける火花のように激しい。
北陸はたしかおととい梅雨入りしたんだっけ。どこの局か忘れたがニュースでそう言ってた気がする。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
この声は妹ではない。振り返ると隼——私の弟で、六歳になる――が見上げていた。
「大丈夫だけど、どうかした?」
私は優しい口調で問いかけた。
「べつに。なんか悲しそうだったから」
「そんな顔してたの?私」
返事の代わりにコクッと小さく縦に頭を振った。
なにそれかわいい、小動物みたい。
「ぅふふ」
「え、本当にどうしたのお姉ちゃん」
「な、なにが……?」
「……いやなんでもない。テレビ見るね」
そう言って、隼はL字型ソファにポスッと座る。ちょうどテレビで『デザインあ』がやっている最中だった。隼から「わあ……!」と思わず声がもれ出る。
しばしの幸福感と引き換えに、私はむなしい気持ちになった。母性愛とでも言うべきか、隼と喋っているとなぜか照れて笑ってしまう。
たぶん、世間一般でいえばショタコン呼ばわりされるだろうけど、私は妹よりも、弟の方が大好きだ。
その歪んだ(私は断固として認めない。友達がめっちゃディスってくるだけだ。そう信じてる)愛のせいなのかは分からないが、度々さっきのような出来事で、一時的に距離を置かれてしまう。
どうしたものか。
——その時。
キッチンのオーブンに置いてあったスマホが鳴り出した。音からして電話だ。
画面を見ると[お母さん]の文字。
嫌な予感がした。
「もしもし」
『もしもし、華子?ご苦労さま』
電話口の向こうから穏やかな声が聞こえてきた。
「お母さんこそ。今どこにいるの?今日は帰れそう?」
私は矢継ぎ早に質問する。
『ああ、そのことだけど…………ごめんね。今会社にいるんだけど、長くかかりそうでだから』
「分かった。
『ありがとう。毎度助かるわ、ごめんね』
「いいよ。謝罪なんかしなくたって。ともかく無理しないで仕事頑張って」
『分かったわ。じゃあ……はい、関係資料ですか?先程渡しましたけど……はい、分かりました…………』
数秒の沈黙。
『じゃあ仕事戻るから。あの子たちに言っておいて』
「うん、じゃあ」
[終了]をタップして、通話を切った。「はあああ……」と長いため息が出る。
毎日のことながら、つらい。寂しい。
* * *
「ねえ、ママ今日も遅いの?」
夕飯前。葵が主菜の大皿——今日は肉じゃがだ——を置いた私にたずねる。
「そうね。さっき電話があった」
「はぁぁぁ」
「いつものことだもん。葵姉ちゃん」
「でも……私さみしいよ。お母さん帰ってこないんだよ、他の友達はそんなことないのにぃ」
「葵」
「お姉ちゃん……?」
「今は我慢して」
私は怒りと悲しみを押し殺して、そう言った。肉じゃがを口に含むと、隼も食べ始めた。数十秒経ってようやく、葵もおそるおそる箸を握った。
今の状況をボヤいても、何も変わらない。
そう。行動を起こさなければ何も。
* * *
翌日私は、奇妙なブツを発見した。
「え……なにこれ」
それは見覚えのない男物の傘だった。
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