邪音ありきの高崎くん

麦直香

プロローグ

 僕の両親はを求めて旅立ってしまったから、2LDKの賃貸アパートには僕だけが取り残された。

 父さんと母さんがこの家を出て行ったのは、約一年前のこと。

 ちょうど僕の高校入学と同じタイミングだった。

「俺たちな、来年から対馬に引っ越すことにした」

「あ、そう」

 父さんと一対一で飯を食うなんて、一度もなかったから、なにかあったんだろうと直感的に察した。中学三年の秋だった。

 僕の塾終わりを見計らってたらしく、駅前の雑居ビルの陰から出ると、父さんはその二ブロック先のサイゼリアに僕を連行した。

 そのときは三時間近く、受験期特有の良く言えば緊張感のある、悪く言えば殺伐とした授業をやり抜いたせいで、妙に頭がくらくらしてた。おまけに、当時ブレイク間近だったインディーズバンドの曲を夜通し聴いていたせいで、睡眠もろくにとれてない。


「あれ、驚かないのか」

「なにが」

「俺と真知まちが対馬行くことだ。せめてなぜ引っ越すかぐらい、気にならなくはないか?」

「いや、一ミリも興味ない」

 僕は即答した。父さんが不服そうに氷の入った焼酎をぐびっと飲んだ。

 

「どうせまた新しい事業でも始めたいんだろ。好きにやったらいいじゃん」

 両親は二人とも起業家だ。僕の生まれる前から、日本国内、時々海外さえも飛び回る生活をしていたらしい。各地でビジネスを立ち上げたり、支援したりで忙しい。

 これまでも、それが理由で転校することは幾度もあった。

 今回もまた同じような理由に違いない。それに、いちいち親の仕事内容にワクワクと好奇心を揺さぶられるほど、関心もないし、興味もない。15年しか生きちゃいないが、もう親離れには十分な年だった。

 父さんは珍しく苦笑いを浮かべた。

「実は、新たにプロジェクトに参加しようと思ってな」

 そう言って、目の前に掲げられたのは一枚の企画書。

 表題は


 黒の筆文字で、でかでかと書かれた表題兼キャッチコピー。

 少しダサい気はするが、まあ印象には残る……のか? こういう類の広告はよく見るけど。

「見て分かると思うが、島産の魚介類を全面的にアピールした飲食店――アイランドキッチンといったほうが洒落ているか……、まあ地域おこし事業の一環だと思ってくれればいい」

 手に取って、パラパラとページをめくると、対馬や五島列島の特産品や歴史、若手漁師へのインタビュー記事なども掲載してあった。島部は人口減少がここ数年著しく、それにともない、島内産業や伝統行事の衰退もじわりじわりと始まっている。そこで島部全域に観光客ひいては、移住者を獲得すべく、今回の計画が協議されたらしい。

 最後まで流し読みした上で、僕は冊子を閉じたまま父さんのほうを見つめた。少しためらったが、この質問は絶対しておかなければ。

「どれくらい仕事するつもり?」

「…………………」

「長いんだ」

「まあな。少なくとも二年はそこに行くことになる」

「……」

「下見ついでに色々視察してきたが、良いところだぞ。海は綺麗だし、外国も近いし、何しろ器量の大きい人ばかりだ」


 もう、僕には一生縁のない言葉のように聞こえた。

 から半年が経とうとしているが、いまだに背負った傷は回復の兆しがみられないほど深い。そして鋭い。

 考えているうち、おぼろげにあの日の光景が目に浮かんだ。

 教室の真ん中。机を挟んで、二人の人影が浮かび上がる。一方はケタケタと気味の悪い笑い声をあげて、そしてもう一方は—————。

「一緒に来るか、由新」

 父さんの言葉で一気に現実に戻される。いつもの父さんには似合わない、力強い雰囲気だった。

 だが。

 これで、やり直せるのか。

 もう一度、リセットできるのか。

 たとえ僕の周りを取り巻く人や、景色や、環境が変わろうと、僕は何も変わらないのかもしれない。いや、そうに決まっている。

 かつての僕がそうだったように、これからの僕が変えられる訳がない。

 どれだけ自分を良く着飾っても、性格を曲げても、実績を残そうとも、本来の自分はそのままずっと残り続けるんだ。


 だったら。

 だったら、せめて今の僕にできる行動は。

 

 口を開くのにそれほど躊躇はなかった。

「いい。金沢に残る」


 *           *          *


 インターフォンの音がひたすら家の外で鳴っていた。


「ん……誰だよ」


 目を覚ました。こんな時間に訪問者とは珍しい。

 いや、というのはおかしい。うつ伏せでギリギリ視界に入ったデジタル時計は【11:27】と表示されている。昨日寝たのはいつだったか思い出せない。

 今日は土曜日だ。この時間まで寝てても誰も叱るまい。いや、そもそも叱ってくれる人がいないか?


 キンコーン、キンコーン


 ああ、本当にうるさい。枕で頭をホールドして、横寝の体勢に体をモゾモゾと動かす。

 上半身裸の高校生が今出てもどうにもならないに決まってる。無視だ無視。

 数年前にリフォームしたとはいえ、築十五年のアパートの一室は音がよく響く。ここに残ってから何度文句を言われたことか。

 部屋は好き勝手に使えるからいいが、こういうところが気に食わない。

 けど、2LDKは一人暮らしの男、ましてや高校生にはけっこう広いものだ。

 そのうえ家賃も親に全額負担してもらっている身だ。文句なんてとてもじゃないが言えない。

 にしても……何分いるんだ?

 手探りで枕元に置いてあるスマホをひっつかんだ。『君の名は。』のポスター画像が映るトプ画には【11:34】と白文字で表示されている。

 え、怖い。怖い。すごく怖い。

 他人様ひとさまの玄関ドアの前に普通七分もいる? いや、いない。とっくに諦めて帰るに決まってる。

 だとしたら一体何のために居座ってるんだ? 新手の宗教勧誘? もしや某N〇Kの集金人? ウチにはテレビなんか無いぞ。


 いつのまにか二度寝してしまったようだ。そろそろ起きないと時間感覚が狂ってしまう。僕は漫画みたいに身体をぐるぐると回転させ、ごろんと床に転がり落ちた。

 膝立ちをしてから足裏を床に着けて立った。思いっきり、伸びを一つ。

 お腹を思いっきり反らせたせいで、ぐぎゅるるるるぅと音が鳴った。よくよく思えば約半日何も食べていないな。

 何かしら食べなければ、セルフ餓死してしまう。濃紺のカーテンを開けて日光を全身に浴びてから、僕は自室のドアに手をかけた。


 そのとき微かにドアの向こうで「ひっ」と小さく悲鳴が聞こえた気がした。


 ああ、疲れてるな。早くダブルソ○ト食べなきゃ。そう自分に言い聞かせてドアを開ける。


 だが―――



「うわああああああああ!?」

「ぎゃああああああああああ!!」



 僕の目の前にいたのは、艶のある黒髪をした同級生だった。

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