夢にすら見ぬ貴方へ

拝啓


 お元気ですか、とは愚問かと思いますので省かせていただきます。楽しく過ごしておられるでしょうか。此方はぼちぼちやっております。ようやっと母に恩を返せるかどうかといったところではございますが、貴方が見ていた頃から恐らく変わらずマイペースに進んでおります。

 貴方が私にお与えくださった腕も、のんびりと継続し柔らかな速度で力をつけております。最近は職場の方にお褒めいただく機会があり、少々調子に乗っていると自覚をしておりますので、驕らず励んでいきたいと考えている所にございます。

 貴方とは深い話ができるほど知能が発達する前に離別してしまいましたから、この場を借りてお話したいと思います。誠実とは言えぬ方法かもしれません。切にお詫びいたします。

 さて。どうやら私は、貴方の性格を色濃く受け継いだようです。私はこの世と、この世に準じて生きる己を酷く卑下する傾向にあります。そしてそれと相反するように、他の人間を強く愛するらしいのです。自分ではない全てを、自分と反比例するように、強く愛するらしいのです。これに一層拍車がかかると貴方には似つかなくなりますが、それは一つ置いておきます。

 いつぞやか母から聞きました。貴方は世をはかなんでいたと。手記を読みました。貴方は世界と、特に異性に対して、抱え切れないほどに大きい疑問を抱いていた。理解が出来なかったのですね。痛いほどに分かります、私も同じ考えを持っていた。否、今でも消えたわけではありません。私は大多数の異性、或いは同性に対してもですが、それらに対して強い不信感を抱いています。惜しむらくは、貴方とそれを語らう事ができたなら幾分良かったでしょうか、それが成し得ないことであります。しかし、似た思想を持っていたことは確かです。私と貴方の繋がりは、身体的特徴の他にはその程度しか、私には浮かばない。それもまた一つ惜しいところですね。しかし、その一つで十分に繋がりを理解できるほどに強く継いだこともまた事実。幸か不幸かとは、今はまだ少し、触れないでおきます。……否、幸せな事だったでしょう。貴方の存在を想像できる事柄が、あっただけで幸せなのです、きっと。ですから、何を不満に思うわけでもありません。

 ただ、一つだけ。願わくば、貴方とちゃんと、話をしてみたかった。育つ過程に、父という存在を、認めてみたかった。他人に羨望する事が、あまり多くはなかった私ですが。父の話をする同級生には、いつだって、嫉妬したものです。もちろん、母に気取られた事はありません。そう見せられているだけかもしれませんけれどね。

 私とて、純朴な子供でした。あの頃の私には、貴方がそう選んだ理由が、想像できませんでした。生きる過程に、想像するに値する心情を学びました。やはり自分は貴方の子なのだと、考え得るに足る心情を。生きるというのは難しいものでした。特に、幸せに生きるというのは。しかし私にはやはり、貴方がそう決断したことを、良しとは言えません。貴方の子である人間を、一人育てたから、と。片方には何もしないで遠くへ行くのはあまりに、悲しいことだから。姉が、母が話す思い出を、その言葉にしか知ることの出来ない私は、幼心に。貴方に見捨てられたのだと思ってしまったから。

 私は貴方のようになるつもりはありません。天寿を全うする為に、どうにか努力するつもりです。貴方が得られなかった疑念への解答を探りながら。貴方が見なかった世界の観察をしながら。貴方をもう一度見る時には、「悪くない世界だったよ」と言えるように。努力するつもりです。

 長くなりました。伝え聞いた通り、今でも貴方が、其方で煙草と酒を楽しんでいることを、願っています。


敬具

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