第9話 イーリス・デン・アウデン男爵令嬢

 翌日、母上の機嫌は落ち着いたようである。良かった。このまま父上が帰って来るまでおとなしくしておこう。火に油をそそぐようなまねだけはしないようにしなければ。


 そんな今にも爆発しそうな母上のご機嫌を取りながら過ごすこと数日。何やら外が騒がしくなってきた。父上が帰って来たようである。すぐに玄関へと迎えに行った。玄関にはすでに母上の姿があった。さすが母上、素早い。

 鎧を身につけたままの姿で父上が急ぎ足でこちらへと向かって来た。やけに急いでいる感じだけど、どうかしたのかな?


「お帰りなさいませ」


 俺たちは声をそろえて出迎えた。母上も父上の急いだ様子に気がついたようであり、不安そうな顔をしている。


「喜べ、テオドール。お前の新しい婚約者が見つかったぞ」


 ヒュッ、と俺は息を飲んだ。父上はうれしそうな顔をしているが、対する俺はいまだに前回の失恋が尾を引いている。完全にトラウマになっているのだ。今は女性のことは考えたくない。ミケのおなかに顔をうずめてハアハアしていたい。


 そんな俺の様子に気がついたのか、隣に座っていた母上が、バシン、と俺の背中をたたいた。


「しっかりしなさい。あなたはもう、以前のあなたとは違うのよ」


 母上は笑顔で言った。確かにそうだ。以前とは明らかに見た目は変わっているはずだ。でもね、中身は同じなんですよ。豆腐メンタル。それが今の俺にふさわしい二つ名なのかも知れない。


 ミケに癒やしてもらおうと手を伸ばしたら、シャッっと引っかかれそうになり、プイッとそっぽを向かれた。……もしかして、俺の新しい婚約者の登場に嫉妬してる? それはそれで困ったなぁ……。


「父上、その方とは政略結婚なのでしょうか?」

「ああ、そうだ。だが、向こうからの申し出だぞ。ぜひテオドールの妻に、と」


 ……確か前回も向こうからの申し出だったよね? 父上は自信ありげな顔をしていたが、こちらは非常に不安である。

 この国では政略結婚が当たり前。むしろ恋愛結婚をすること自体がありえない。そのことは良く分かっている。分かっているが、それでも前回婚約破棄されたんだよねー。あ、また心の傷が開きそう。ミケ~、痛っ!?


「そんな不安そうな顔をするな。相手はアウデン男爵の長女、イーリス嬢だ。先日のテオドールの活躍を聞いてな、「ぜひとも婚姻を」とアウデン男爵が言ってきたのだよ」


 アウデン男爵が? 先日の戦いでは、俺はすぐに帰らされたため、アウデン男爵に会うことはできなかった。しかし、父上から俺の話は聞いていることだろう。……もちろんアウデン男爵領の一部を破壊してしまったことも。


「あの、本当に大丈夫なのですか?」

「ハッハッハッハ! 森の一部を破壊してしまったことを気にしているのか? その心配は要らんぞ。むしろ使える領地が広くなったと喜んでいたくらいだ。魔物の脅威も減ったことだしな」


 ハッハッハともう一度父上が笑った。どうやらあちら側は怒ってはいないようである。


「それに、我がモンドリアーン子爵家とアウデン男爵家のつながりが強くなれば、万が一のときに双方で援軍を送ることができるからな」

「それに、アウデン男爵と一緒に気兼ねなくお酒が飲めるようになるからでしょう?」


 母上がチクリと言った。そう言えば父上が「アウデン男爵とは旧知の仲」とか言ってたしな。なるほど、酒飲み仲間だったと言うわけか。父上の視線が泳いでいる。どうやら図星だったようである。


 アウデン男爵の考えは間違っていない。モンドリアーン子爵家は非常に魔法を使うことにたけた一族である。そのため、王宮の魔導師団にも何人もの親族が勤めているし、その戦力を求めて、多くの家と婚姻関係を結んでいた。


 今回もその中の一つと言うわけだ。ごく普通のことであり、何も後ろめたい気持ちになる必要はない。だがしかし、政略結婚であることが分かったとしても気が重かった。

 また婚約破棄されたらどうしよう。今度こそ立ち直れない気がする。そのときはミケと結婚しようかな?



 婚約者がモンドリアーン子爵家に顔見せにやって来る日がやってきた。

 セバスチャンから「もう少しで到着する」との知らせがあったので、俺とミケは玄関に面した部屋に急いで移動した。そしてその部屋のカーテンの隙間から婚約者が到着するのを待った。

 それほど間をあけずに、一台の馬車が門から入ってくる。


「あれがイーリス・デン・アウデン男爵令嬢が乗っている馬車ね」


 ミケがそうつぶやくと、俺はその馬車から出てくる人物を食い入るように見つめた。

 馬車の扉が開いた。最初に降りてきたのはアウデン男爵だろう。父上と同年代のような人物が降りてきた。

 その後ろからシルバーブロンドの長い髪をなびかせた人物が降りてきた。おそらくイーリス男爵令嬢だろう。


 動きがどことなくぎこちない。かなり緊張してるのだろう。その目には……ガラスのコップの底のような、すごく厚みのあるメガネがかけられていた。


「……何アレ、すごく地味」

「……ミケ、本人の前では絶対にそれを言っちゃダメだからね」


 確かに見た目はかなり地味である。だが、だがあのおっぱいはすごいぞ。思わずガン見してしまうくらいに。隠れて見る分には良いかも知れないが、本人を目の前にして見るのはさすがにまずいだろう。あの誘惑に耐えられるのか?


「ふ~ん、テオはあんなおっぱいがいいんだ」

「え? ちょっとミケさん!? もしかして、心の中が読まれてる!?」

「……いや、あれだけしっかりと見てたらだれでも分かるよ。そっか~、あんなのがいいのか~。ボクが彼女にしっかりと伝えておいてあげるね」


 ミケが目を三日月型にして口角をあげた。笑っていらっしゃる!? でもその緑の二つの目は全然笑ってない!


「お許し下さい、ミケ様!」


 俺はその場でひれ伏した。頭上で「どうしよっかな~」と言う声が聞こえる。許して、お願い。


「テオドール様、お客様がお見えになりました……」

「分かった。すぐに行くよ」


 俺がミケの前にひれ伏しているのを見た使用人がギョッとした目で俺を見ていた。

 ミケを連れて玄関に向かうと、すでに俺たち以外はそろっているようである。

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