第2話 人間、やめました

「先ほど、フェルベーク伯爵から手紙がきてな。テオドールとカロリーナ嬢との婚約を破棄させて欲しいとのことだった」

「な……」


 重苦しい空気の中、父上がフェルベーク伯爵家の家紋がついた封書をテーブルの上においた。あまりのことに声が詰まる。それを聞いた母上は思わずと言った体で立ち上がった。


「何ですって!? 今回の婚約はフェルベーク伯爵からの申し出だったはずですよ! 我がモンドリアーン子爵家の戦力を当てにしたいと……」


 母上はそこまで言うと力なくソファーに座った。家格はあちらの方が上である。あちら側が嫌だと言えば、それを覆すことはできないだろう。


「あなた、どうしてそのようなことに?」


 青菜に塩をかけられたかのような状態になった母上は、それでも理由を問いただした。父上の顔がますます渋くなった。


「それが、カロリーナ嬢が嫌がったと……」

「嫌がった?」

「うむ。テオドールでは嫌だと……」


 父上と母上がこちらを見た。きっとそこには、丸々と太った息子の姿が映ったことだろう。しかし二人は何も言わなかった。


「テオドールが太っている理由についてはお話してあったはずですわ」

「ああ、その通りだ。だが実際に目にしてみると……ダメだったらしい」


 おおう、辛辣ぅ! 俺がデブであることは了承済みじゃなかったのかよ。思ったよりも見た目が醜悪だったって? うっせえわ! 確かにそうかも知れないけど、率直に言われるとさすがにへこむ。


 元婚約者であるカロリーナ伯爵令嬢に会ったのはつい先日のこと。それからほとんど日を置かずにこれである。どうしてこうなった。悪いのは俺なのか? 俺が太っているせいなのか?


「まさかそんな……」


 さすがの母上も頭を抱えている。自分の息子がそんな風に言われて、ガツンと棍棒で殴られたかのような衝撃を受けたのだろう。ひょっとして父上の髪の毛が乱れているのはガツンと殴られたからなのかも知れない。


「差し出がましいですが、旦那様、カロリーナ伯爵令嬢はかなりの面食いと言う話を聞いております」


 できる男、セバスチャンがあまりありがたくない追加情報を付け加えた。いつの間にそんな情報をつかんでいたのか。さすがだな。きっと俺の見た目のことを考慮してこれまで黙っていたのだろう。その心配りはありがたいが、モヤッとするものが腹の内にあった。

 つまり、俺がイケメンでなかったから許せなかったと言うわけだ。トホホのホ。憎い、顔のいい男が憎い。


 俺だって、肉に埋もれたつぶらな瞳が表に出るようになれば、パッチリお目々になるかも知れないじゃないか。そうなれば、父親譲りの豊かな濃いブロンドの髪に、母親譲りのブルーの瞳が涼しげなイケメン男子になれるはずなのに。

 ハァ、と父上が大きなため息をつき、目線を下げた。それからキリリと眉を上げ、こちらを見据えて言った。


「今回の話は縁がなかったと言うことだ。だが心配は要らないぞ、テオドール。お前の結婚相手は必ず私が見つけておくからな」


 ありがとうございます、とは言ったものの、心の中にモヤモヤとしたものが残った。

 新しい婚約者を見つけたとしても、この太った俺と付き合うことになるわけだ。口には出さなくとも、内心では嫌がることは間違いないだろう。


 ましてやそれが、うちよりも家格が下の家の娘で、強引に父上が決めた婚約だったりしたら……考えただけでも、その娘に申し訳ない気持ちで一杯になった。


 カロリーナ伯爵令嬢との婚約破棄の話はこれで終わった。終わってみれば、こちら側には暗い顔をした三人の姿が残っただけだった。いたたまれなくなった俺は一足先に自室に戻ると、軋むベッドの上で枕を涙でぬらした。

 間近で見たカロリーナ伯爵令嬢、めちゃくちゃ美人だったんだよなぁ。スタイルも良かったし……。胸は小ぶりだったけど。



 翌日から俺は子爵家に併設されている、モンドリアーン子爵家が所有する魔法騎士団専用の訓練所内を走りだした。少しでも痩せて、スリムな体を手に入れるんだ。そして女の子たちにモテるんだ。

 だがそんな夢も希望もむなしく、俺は痩せることはなかった。何これ。やっぱり何かの呪いか? それとも怨念か?


 追い打ちをかけるかのように、俺が伯爵令嬢に婚約破棄されたというウワサはあっという間に貴族界隈に広がった。今ではモンドリアーン子爵領内で催されるお茶会に参加するだけでも、背後であからさまにヒソヒソ話をされる始末である。

 昔からその傾向はあったのだが、今では隠すことさえ、しなくなったようである。ツライ。


 そんな悔しい思いをしながらも俺は毎日ランニングを続けた。偉い人が言っていた。あきらめたらそこで終わりだと。覚悟を決めた先に希望はあると。俺はその言葉を信じて走り続けた。



 二ヶ月ほどたったころだろうか。いつものように訓練所を走っていると、庭の片隅に見慣れない猫を見つけた。黒い毛並みはツヤツヤとしており、しなやかな肢体は生命力に満ちあふれているようである。どう見ても可愛い黒猫ちゃんである。


 俺がジッと見つめていると、静かに黒い猫はこちらへと近づいてきた。怪しく緑色に光る二つの目がこちらを見ている。なぜだが分からないが、その目に引き込まれそうな不思議な感覚がした。


「力が欲しくないかい?」

「え?」


 さえずるような女性の声が聞こえてきた。間違いなく、この黒い猫がしゃべったはずだ。

 常識的に考えるとしゃべる猫などありえない。普通ならその異常な光景に声をあげることだろう。しかし俺はなぜか、その声に安心感を覚えていた。


「女に振られて、みんなから後ろ指を指されて、悔しいんじゃないのかな?」


 ドキリとした。まるでこの猫が俺の心の中を読み取ったかのようである。悔しくないはずはない。俺だって痩せたい。俺だって……モテたい!


「く、ぐやじいでず!」


 俺は涙を流しながら訴えた。悔しかった。両親の顔に泥を塗ってしまったことにも、父上が探してくるであろう、未来の俺の嫁が嫌な思いをすることに対しても。


「よろしい。ならば人間をやめないかい?」


 人間をやめないかだって? それで痩せられるのなら、モテるようになるのなら、人間なんてやめてやらぁ!


「いいですとも! 俺は人間をやめるぞー!! って、え? マジ?」


 いや、ちょっと待った。ついノリで言ったけど、一体何を言っているんだ、この猫は。人間をやめる? 人間をやめたら俺は一体どうなってしまうんだ!?


「マジ本気マジ。はいやめたー、今キミは人間をやめたよー」

「軽っ!」


 驚きの速さ。そしてノリの軽さ。これで本当に人間をやめていたら、ありのままに起こったことを両親に話すしかない。

 特に体に変化はないけど、一体全体、どうなってしまったのだろう?

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