伯爵令嬢に婚約破棄されたので、人間やめました。気がつけば、ざまぁしてました。

えながゆうき

第1話 美女と豚野郎

 先ほどまで軋むような音を奏でていた馬車がゴトリと音を立ててようやく止まった。すぐに扉が開き、不意に射し込んできた日の光に目がくらんだ。


「旦那様、テオドール様、フェルベーク伯爵邸に到着いたしました」


 馬車の扉を開け放った使用人が頭をさげて、俺たちのために道をあけてくれた。用意された踏み台に乗ると、ミシミシ、と嫌な音を立てた。どうやらまた太ったようである。これは木製ではなく、金属製の踏み台を用意してもらった方がよさそうだな。


 モンドリアーン子爵領から外に出たのは何ヶ月ぶりくらいだろうか。それほどまでに俺は領地に引きこもっていた。原因は俺の体型にある。

 実は俺、デブなんです。しかも、「この豚野郎!」って言われるくらいにデブなんです。



 そんな俺でも領地から出なければならない事態が起きた。なんと、俺に婚約者が決まったのだ。今日はその挨拶の日。俺と父上のモンドリアーン子爵は先方の家であるフェルベーク伯爵家を訪れていた。

 さすがはこの周辺地域で唯一の伯爵家と言うだけはある。白い壁に青い屋根が美しいコントラストを生み出し、美しい立体感を作りだしている。いくつもの天に向かって突き出た尖塔はまるで空を突き刺すかのようであった。屋敷の隅々まで「美しい」の一言だった。


 俺と父上がフェルベーク伯爵家の庭に面した日当たりのよいサロンに到着したときには、俺の婚約者になる予定であるカロリーナ・リーサンネ・フェルベーク伯爵令嬢の姿は見えなかった。

 首をかしげながら父上と顔を見合わせていると、フェルベーク伯爵が「自慢の娘は庭で待っている」と言いながら、にこやかに笑いかけてきた。


 俺の婚約者であるカロリーナ伯爵令嬢はこの国で三本の指に入るだろうと言われるほどの美人という話だ。その姿はこの周辺の貴族を集めたお茶会でも話題になるほどだった。出るところは出て、引っこむところは引っこむという抜群のプロポーション。男なら間違いなく振り返る。


 フェルベーク伯爵の計らいにより、二人だけでフェルベーク伯爵家の中庭で会うことになった。中庭には見事な真っ赤なバラが咲いており、庭師たちが丹精を込めて手入れしたと思われる草花が「こっちも見て」と言わんばかりに自己主張していた。見ているだけで飽きない。


 そんな庭の中央付近に屋根付きの小さな建物が見える。そこにはテーブルとイスが用意されており、一人の女性が座っているのが見えた。遠目に見るカロリーナ伯爵令嬢はウワサに違わぬ美しさだった。

 こんな素敵なご令嬢が俺の婚約者に……何かの間違いなんじゃないか? これはまるで「美女と野獣」ならぬ「美女と豚野郎」である。


 俺は胸の高鳴りを押さえつつ、用意された席へと向かった。それに気がついたのか、ブロンドのゆるふわな長い髪を風に揺らしながら、彼女が振り返った。ブラウンの瞳がこちらを見つめた。

 そして、目を大きく見開いた。この目は何度も見たことがある。これは驚いたときに起こる表情の変化だ。


「何、この豚、オーク!?」

「ブヒィッ!?」


 初対面で最初に言われた言葉がこれである。オークだって? オークの顔はもっと醜悪だぞ。さすがにオークと比べられると、まだマシだという自負はある。俺はオークよりもイケメンだ。間違いない。


 この婚約は政略結婚である。でなければフェルベーク伯爵も大事な娘との婚約など持ちかけてこない。打診してきたのはフェルベーク伯爵からだと父上から聞いていた。だからこそ俺は、相手も俺がデブであることを了承済みで、この婚約は大丈夫だろうと思っていた。


 それなのに……この仕打ちである。

 その後は終始、カロリーナ伯爵令嬢はよそよそしい態度をとり、初めての面会は終わった。まあ初対面だから仕方がないか。慣れるまではこんな感じなのかも知れない。きっとまだまだこれからさ。


 そう思っていたときが、正直、俺にもありました。



 モンドリアーン子爵家に帰って来た俺は、「さすがに痩せた方がいいかな?」と思うようになっていた。もちろんこれまでダイエットをしなかったわけではない。ダイエットをしようと頑張ったが、一向に痩せる気配がないのだ。何でだろう。何かの呪いかな?


 コンコン、と俺の部屋のドアをノックする音が聞こえた。俺が返事をするとドアから執事長のセバスチャンが現れた。モノクルに白髪のオールバックが相変わらず良く似合う。若い頃はきっとモテたことだろう。


「テオドール様、旦那様がお呼びです。執務室までお越し下さい」

「分かったよ。何かあったのかな?」

「おそらくは……」


 そう言ってセバスチャンは俺から目をそらせた。先細った、くぐもった声。あまり良い話しではなさそうである。

 父上であるマルニクス・エフモント・モンドリアーン子爵が俺を執務室に呼び出すときは何かが起きたときである。この感じだと、セバスチャンは知ってそうだな。一抹の不安を感じながら、急いで執務室へと向かった。


 セバスチャンが執務室の扉をノックした。彫りの深い、幾何学模様を模した扉の装飾は、いにしえの魔方陣を模したものだと聞いている。


「テオドール様をお連れしました」

「入ってくれ」


 執務室に入ると、すでに母上のブリヒッタが長椅子に座っていた。背中の中程まで伸びた亜麻色の髪は艶やかで美しく、先端がクルリとカールしている。そのブルーの瞳がこちらを不安そうに見据えていた。

 母上まで呼び出されているとは、これは一大事だな。俺はここまで来るまでに乱れた呼吸を鎮めようと、スーハーと大きく息をした。


 太ったこの体では、ほんの少しの距離を移動しただけでも息が切れてしまう。だが俺が十五歳の年齢に対してかなり太っていることにはちゃんとした理由がある。不摂生がたたって太っているわけではないのだ。断じて。


 我がモンドリアーン子爵家は魔法にたけた一族である。そしてその魔法を使うためには大量の魔力、すなわちエネルギーが必要になるのだ。

 言わずもがなそのエネルギー源は、体の中から絞り取られることになる。では、どこからそのエネルギーが出てくるのか?


 それは体内に存在すると言われている「魔力ぶくろ」と呼ばれる場所から出てくるそうである。ちなみにその魔力ぶくろを見たことがある者はいない。つまり、エネルギーの出所は不明と言うわけである。だが、体内のどこかに蓄積されていることは間違いないようだ。


 そのため、魔法使いはそのエネルギーを蓄積しておくために、一般の人よりも多く食事を食べる必要があった。当然のことながら、俺も父上もたくさん食事を食べることになる。そんなわけで、俺はブクブクと太ってしまっているのだ。


 それにしても父上は太っていないんだよね。俺と同じくらいの量のご飯を毎日食べているはずなのに。体質? 体質のせいなのか? それとも、本当に呪いが……。


「父上、テオドール、ただいま参りました」


 一人がけのイスに座ると、それがミシミシと悲鳴をあげた。これはまた太ったかな? まさか足が折れて後ろにひっくり返るようなこと、ないよね?

 そんな俺の心配をよそに「うむ」と父上がつぶやいたが、その顔の眉間には深いシワがよっており、声にも張りがなかった。


 髪をクシャクシャかき乱したのか、いつもはバシッと決まっている濃いブロンドの髪がヨレヨレになっている。普段なら決して見られない光景だった。あのダンディズムに定評のある父上がここまで心をかき乱されるなんて。


 どうやら父上からは言い出しにくい要件のようである。これはこちらから切り出した方が良さそうだな。


「父上、何かありましたか?」


 ようやく父上がこちらを向いた。俺と母上はお互いに顔を見合わせた。一体何事なのだろうか。どうやら母上も、事情を知らないようである。

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