ある漫画家への手紙

 ――拝啓。聞いてください。私は、手紙なんて、初めて書きました。おわかりになりますか。あなたは、私に、初めての手紙を貰った人なのですよ。この手紙に何か作法の間違いがあっても、目を瞑っていただけないでしょうか。私は、あなたへの思いが抑えられず、ろくに書き方を調べもしないで今したためているのです。けれど、あなたは私のことをご存じないでしょうから、もしかしたら読んでくださらないかもしれません。そのときは、私、泣きます。聞いてください。私は、あなたの漫画をずっと前から好きなのです。そうして、おそらくは、私があなたの漫画における唯一の女性読者でしょう。失礼ながらあなたの作品には女の読者がまったくつかないように私には思われます。なにしろ、だって、単行本をひらいて一頁め、そこに掲載せられてあるあなたの写真が、ひどく不潔で醜いのですもの。女は清潔を好みます。それが、どうでしょう、あなたは太っていらっしゃるし、顔中ニキビだらけで、しかもまあ、巻末にある挨拶なんていかにも性格の悪いのが滲み出た感じで、女はあんなの、嫌いです。私でさえ、あなたのあの顔には苦笑いたしました。怒らないでください。本能で軽蔑したくなるのです。それに、あなたは、ああ、なんてこと、むかし小さな男の子を襲ったことがあるのだとか。これではもう決定的です。女はあなたから離れていきます、いいえ、必死の勢いで逃げて行きます。醜貌、肥満、不潔、犯罪者。どだい、こんなのは、人間でありません。けれども、誤解しないでくださいね、私はあなたを好きなのですよ。ああ、いけない、これまた誤解しないでいただきたいのだけれども、決してこれはあなたに恋しているという意味ではありませんから、あなた、いくら女が寄ってこないからといって、あさましい勘違いを起こして狂喜乱舞などということはくれぐれもなさらぬよう。私があなたに寄せているのは、恋慕などといったやにさがったものでなく、共感です。親愛なのです。私はあなたの漫画を読んで、まず第一に、これも怒らず聞いてほしいのですが、古い、つまらない、下手くそだ、と思いました。ごめんなさい。いまでさえ、あなたの漫画を読んだって、なんのいいところも見つけられる気がしません。出版社の売り出し方が良かっただけのように思われます。しかし、作品の真髄とは、つまり、創作者が本当に表現せんとするところは、絵のタッチや物語性などという表層には決してあらわれないと存じます。本質は、作者さえ意識しないところに浮かんでくるものです。あなたの漫画の源流とは、すなわち、哀愁であると私は申しあげます。馬鹿な私の所見によれば、ですけれども、あなたが描く女の表情、あれを見れば瞭然なのが(私も女ですから、わかるのです)、あなたの奥底に流れる、なんと申しあげましょうか、すがすがしい諦め、とでも申したらよいのでしょうか、絶望への信頼、でしょうか、すっかり落ち込みきったのでかえって平然としているような、あのつんとすました空気が、私には、たまらないのでございます。白状いたします。まわりの友人はみな、あなたの漫画をバカにしています。あんなのを読むのはきちがいだ、と笑いあってさえいるのです。私は、友達に隠れてあなたの漫画を読んでいます。もしもあなたの読者であるということが見破られてしまえば、そのとき私は、軽蔑せられ、顰蹙を買い、みんなから絶交されることでしょう。それは、嫌です。好きなものを好きと言えるようになりたいのです。私はあなたの作品の本質こそ好きなれど、やはり不潔は嫌っています。みな、あなたの不潔を嫌いです。どうか、その点、反省していただきたい。あなたがもうすこし作風を改善してさえくださったら、私はそのとき堂々とあなたの作品を読む、とここに約束いたします。私は、なにも、醜い顔をなおせだとか、体型をどうにかしろなどということは申しあげません。ただ、ほんのすこしの社交性を身につけていただくだけでいいのです。あなたの作品が売れていないのは(ああ、どうか、怒らないでください)あなたに世間渡りの力がないからであると私には思われるのです。世間にへつらう能力がないので、うまく媚びた表現をできず、あんな作品になってしまうのでしょう。私には、あなたのつらさ、すべてわかります。でたらめではありません。あなたがどうして、あんなものをお描きなさるのか、本当に、手に取るようにすべて看破しているつもりなのです。しかし、いけません。あんな作品は、いけません。世間からバカにされていますよ。どうかよくよく反省なさって、創作活動に励んでくださいますよう。ああ、それから、私のこの手紙を知人などに見せて笑うなどということは、決してなさらないでください。それでは。

 ――漫画家、地駄文(じだ ふみ)さんにこの手紙を送ってから数日、私はふいと恥ずかしくなった。私、あんなものを書いて、まるで女房気取り。ずいぶんキザな手紙だった。私はあんな人、顔はちっとも好みでないし、性格もイヤ、絵柄も漫画の内容も不快というほどなのに、それなのに、あの手紙のせいで変な勘違いでも起こされて夜に背後から襲われたりでもしたら、どうしようかしら。てんで好きなんかじゃないのに。ああ、きっとあの人、いまごろはあさましいほど喜んでいるのだわ。男というものは、女からの手紙ひとつで一喜一憂するのだから、ばかだと思う。

 そう考えると、私、地駄文先生のことぶってやりたいほど憎くなってきて、腹が立って仕方なくなった。あんな顔の人が、自分は女子に好かれている、応援されている、などと思い上がったところを想像しただけでゾッとする。私、とんでもないことしちゃった。あんな手紙を送ったばかりに、あの先生は、ああ、かわいそうに、自分は女にもてるなどと勘違いをして、変な妄想などしながら私をモデルにいやらしい絵でも描いているのに違いないんだ。きたならしい。容貌から人格まで、すべてが不潔でいやらしい感じ。

 住所と名前は伏せて送ったけれど、万が一にも突き止められたらどうしようかしら。私、もしもあんな人に襲われ、ひどい辱めにあわされて、そうして交際などしなければならないなんてなったら、そのときは死ぬ。自分で首を括ってやる。

 きょうからもう、あの先生の漫画はなるべく読まないことにしよう。ああ、いやだ、きたならしい。

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