10

 睦月さんが離れた。彼女もその音に気づいたのだ。そして警戒するかのように辺りに目をやり、すぐにそれを見つけた。私も見つけた。


 やっぱりあれは足音だった。とてもとても大きなものの足音。


 空を遮るようにそれは立っている。ううん、歩いている。こちらにやってくる。崩壊したビルの向こうから、廃墟となり植物を絡みつかせた建物の群れの間から、それが。


 それは、巨大なロボットだ。




――――




 ロボットは一体だけだった。けれどもとてつもなく大きい。身体付きはスリムなのだ。小さな頭にほっそりとした胴体、手足。色は周りの植物と調和するような、くすんだ緑色だ。


 頭の、本来目があるべき位置に、ライトのようなものが一つついていた。一つ目の巨大ロボット。その目は赤く光っている。異常事態が発生しているとでも言うように。異常事態。私たちか……。本来ここにいるべきではないもの。


 このロボットは、これから私たちが行こうとしている建物に暮らす人々を守るために作られたものなんだ、と、私は思った。そして不審者を取り除こうとしている。不審者、つまり私たち。私たちを排除するために、ロボットはやってきた――。


「逃げよう!」


 私は睦月さんに言った。睦月さんもこれにはさすがに反対しなかった。私たちは走っていく。来た道を戻る。やっぱりこの世界には長くはいれないよ! 巨大ロボットが出てきたことは恐ろしいけど、ある意味でよかったかもしれない。睦月さんもこれで元の世界に戻ってくれるだろうから。


 必死に私たちは走った。足音は追いかけてくる。でもそんなに早くはない。よかった、かけっこが得意なロボットじゃなくて。私たちは走り、そして、渦のあるところまで戻った。……はずだった。


 けれども渦がなかった。


 場所は合ってると思うのに。なのに、渦がない。どこにも。綺麗に消え去っている。


「……どういうことなの……」


 私が呟くと、睦月さんが大きな声で呼んだ。


「律!」宙に向かって、睦月さんは呼ぶ。「律! どこにいるの!? どうして渦がなくなったの!? 一体何が――!」


「……せん……ぱい……」


 微かな声が聞こえた。南雲さんだ! 南雲さんの声に違いない。でもどこにいるのだろう。姿はどこにも見えない。


「律! どうしたの、姿が見えない! 律!」


 睦月さんの声が、焦りと不安に揺れている。私も怖い。どうしよう、何が起こってるの? 私は元の世界に戻れるの? それにロボットも……。


 ロボットは少しずつ、私たちに近づいてくる。


 私は南雲さんを見つけようと一生懸命目を凝らした。と、その時、宙に何かが見えた。私の視線の少し上方に浮かんでいる。楕円形の何か。


 青みを帯びた紫色の輝くもの。最初は鉱物か何かに見えた。でも違う。たぶん硬くなくて、柔らかくて、気体なのかもしれない。でも再びよく見ると、硬いもののように見える。


 そのどちらでもあって、どちらでもないもの。


「……せん……」


 また声が聞こえた。南雲さんの声だ。でもさっきより弱まっている。そして声の出どころは――。


 私はすぐに気づいた。この、なんだかわからない紫のもの。この中から南雲さんの声が聞こえるんだ!


「南雲さん!」


 私は呼びかけた。すぐに睦月さんもその謎のものの存在に気づいた。


「律!? 律なの!? そこにいるの!?」


 紫のものがゆらめき渦を巻き、わずかに形を変えた。真ん中が割れて何かが現れる。手だ。人の手。指先だけが見えて、こちらに向かって、何かをまさぐるように何かを求めるように、必死に動く。


 たぶん南雲さんの手だ。あの謎の物体の向こうに、もしくはその中に? 南雲さんがいるんだ。睦月さんは夢中でそちらに手を伸ばした。


「律!」


 二人の手が、触れる。その瞬間、衝撃が身体を貫いた。


 天と地がひっくり返ったのかと思った。私は吹き飛ばされた。ように思った。吹き飛ばされたなら、すぐに身体が地面か建物の壁にぶつかるはずだ。でもそうはならない。


 私の身体は宙に浮いている。めまぐるしく、世界が変わる。崩れていく、何もかもが。廃墟がばらばらになる。植物たちも。道路も街燈も。


 それだけじゃなくて、空も大地もだ。


 崩れて砕けて散っていく。このままでは何も残らない。その後に現れるものってなんなんだろう。私の見上げる先が、急速に藍色に染まっていく。どこまでも深い、底知れない藍色だ。


 それを下から、私の背後から、赤い色が侵食する。ぞっとするほど濃い赤。血の色の赤。生き物の肉の色の赤。太陽の赤。日没の、朝焼けの赤。世界を食い尽くす赤。


 赤が広がっていく。私は宙に浮いている。睦月さんはどこなの、南雲さんは?


 私はどうなるの?


 私は、このまま――死んじゃうの?




――――




 気がつけばぽつねんと、真っ白な世界にいた。


 私はそこに一人立っていた。上も下も横も白。なんだか変な感じ。


 ここはどこなんだろう?


 ひょっとして、私はやっぱり死んじゃったのだろうか、と思う。……短い人生だった。こんなに早く終わりが来るなんて思わなかったよ。

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