9
睦月さんはだいぶ先に進んでおり、その姿は小さくなっている。けれども急に止まった。何かにぶつかるように。そして宙を叩き始めた。そこに私は近づいた。
やっと追いついた。傍によると、睦月さんは苛立ちを戸惑いの表情で言った。
「ここから先に進めない。透明のバリアのようなものがある」
私も手を伸ばしてみた。本当だ。何かが手に触れる。全く目には見えないのだけれど。
睦月さんは少し後ずさり、魔法を使った。睦月さんの身体を闇が包む。睦月さんはそれをバリアにぶつけたけれど、闇は四散するだけだった。睦月さんが舌打ちする。
「なんなのこれ!」
もう一度。再び闇をぶつけたけれど、結果は同じだった。睦月さんは私を睨みつけた。
「一瀬さん。見ていてないで手伝って。あなたの力も合わせれば……」
「もう戻ろうよ!」
私は声を大にして主張する。もうここにいるのは嫌。くまにだって会えないだろうし。早く戻りたい。
私は睦月さんに近づいて、その腕をつかんだ。
「ここには何もないよ。私たちは間違った時代に来てしまったんだよ。いったん元の世界に戻って、もう一度、方法を考えよう?」
「戻らない」
睦月さんはきっぱりと言った。その目がぎらぎらしてる。「私は戻らない。もう少しでミュウに会うことができるのに。全ての秘密を聞き出すことができるのに。こんな透明な壁なんか作って、姑息な方法で私たちを近づけないようにして」
睦月さんは私の腕を振り払った。私から二、三歩離れ、そしてじっとこちらを見つめた。まるで攻撃のタイミングでも計るかのように。
でも、そう言われても、私もはいそうですか、などと引き下がるわけにはいかない。私一人だけ戻ることもできない。睦月さんを連れて戻らなくちゃ。私が再び睦月さんに近づこうとしたその瞬間、睦月さんの身体から闇が放たれた。
私はそれを咄嗟によける。そして叫んでいた。
「睦月さん!」
「戻らない、って言ったでしょう!? あなただけ戻ればいい! 私はここにいる!」
再び闇がこちらを襲う。リボンのような細い闇が、顔の周辺をかすめ、私は腕で顔を覆う。逃げようと、横に移動すると、睦月さんもついてくる。
攻撃の手は止まず、細い闇は今度は私の足元から、らせんを描きながら私を包み込もうとした。一つ一つは細かったものが、合わさり膨れ、そして私を封じ込めようとする。私はそれに抗った。魔法で炎を出現させる。炎が私を取り巻き、闇を、煙のように追い払ってしまう。
睦月さんがまたも私を攻撃しようとする。そうはさせまいと、炎を彼女めがけて走らせる。牽制のつも
りだったのだけど、コントロールが上手くいかなかった。炎は彼女の髪をかすめ、おそらく髪留めに当たったのだろう、まとめていた髪がほどけて広がった。
しまった。睦月さんを直接傷つけるつもりはなかったんだけど……。顔に当たらなかったのはよかった。でも髪がこげてなければよいけど……。魔法の炎だから、たぶん、熱くはない、とは思うんだけど。
睦月さんは髪の具合など、気に留めてないみたいだった。ただ、攻撃の手を止め、こちらを見つめた。
ちょっとは効果があったのかな。帰る気になったのかも。睦月さんは無表情で何を考えているかわからない。私は睦月さんに駆け寄った。
「ね、睦月さん、一緒に戻ろ……」
最後まで言えなかった。睦月さんの身体から闇が膨れ上がり、一気にこちらに襲ってきたからだ。今までとは違った。今まではまだ、手加減してくれたんだ。でもこれは違う。こちらを本当にやっつけようとしている。こちらが傷ついても、構わない、って思ってる。
私は逃げた。闇をかわして、後ずさる。けれどもすぐに何かが背中に触れた。これ以上は下がれない。あの透明な壁だ。
私が逃げられないのを見て、睦月さんは闇を消した。けれども睦月さん自体がこちらに素早く寄ってきて、そして、私を抑えつけた。
すぐに近くに睦月さんの顔がある。美しい黒髪がその白い顔を飾るように縁取っている。その目も大きく美しい。目が真っすぐに私を見ていた。怒りと、残忍な喜びがそこにあった。
「戻らない、って言ってるでしょう? 何度同じことを言えばいいの。あなただけ戻ればいいじゃない。戻ってくまになぐさめてもらえばいいじゃない。恐ろしい目にあったよ、って」
睦月さんの唇が歪んだ笑いの形になる。
「そのまま何も知らず、くまの言うことにただ従って、それで満足していればいいじゃない。一生いい子のままで。ね、それがあなたの望みでしょう?」
睦月さんの指が、私の肩に食い込む。痛い。逃れることができない。
私は睦月さんの黒い瞳を見返して、そして尋ねた。
「……何故……そんなに異世界にこだわるの」
「全てを知りたいから。そして力が欲しいから」
「力って……何?」
「教えない」
睦月さんは笑う。とても愉快なことがあったみたいに。そして唇を私の耳に寄せた。優しく、睦月さんはささやいた。
「……全部、楓が悪いんだよ」
「楓ちゃんが? 楓ちゃんがあなたに何をしたと……」
「何もしてない。だから余計に悪い」
その時、物音が聞こえた。今までとても静かだった世界に、異物が混入されたかのように。それは一定の間隔を置いて、聞こえてくる。徐々に大きくなってくる。こちらに、近づいてくる。
それは足音だ。何か巨大なものの足音。
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