5

 広くて豪華な玄関に圧倒されながら、靴を脱いで中へ入る。睦月さんは丁寧なことにスリッパを用意してくれる。悪いなあ、というか、このゴージャスな家の床を汚い靴下で歩くのは気がひけるわけだし……床だってぴかぴかしてるし。私はありがたくスリッパをはく。


 睦月さんが先に奥へ行って、扉の一つを開けて、部屋の中に声をかけた。


「ただいま。友だちつれてきたの」


 部屋から出てきたのは若くて綺麗な女の人だった。ダークブラウンの髪が緩くウエーブして肩に乗っていて、目はぱっちりと愛らしい。私を見て微笑んだ。


「いらっしゃい」

「あ、あの、おじゃまします」


 軽く頭を下げる。睦月さんのお母さん……にしては若いな。どう見ても20代前半でしょ? じゃあお姉さんかな。


「私の部屋にいこ」


 そう言って睦月さんは階段を上り始めた。私も慌てて後を追った。


 通されたのは二階の一室だった。モノトーンの都会的な部屋。あんまり子ども部屋って感じがしない。机もタンスも子ども向けのものじゃなくて、私の部屋の大きな猫の絵のついたタンスなどとは全然違う。


「ミュウ、おみやげ買ってきたよ」


 睦月さんは本棚に声をかけた。そこには猫のぬいぐるみが置かれている。これがミュウか! 黒くてすらりとしている。お座りして尻尾はくるりと手の前へ。緑色の釣り目ですました表情だ。


 睦月さんは雑貨屋の袋から白猫のぬいぐるみを取り出した。こちらの方が少しぽっちゃりしてかわいらしいな。睦月さんはぬいぐるみをミュウの目の前に持っていった。


「じゃーん。お友だちだよ! うん……そう、あなたの隣に並べてお友だちってことにしたらどうかな、って。――いや、違うよ……そう、私がそんなこと考えるわけないじゃん」


 そう言って睦月さんは笑う。私は戸惑っていた。睦月さんは喋ってる。その言葉からして、ミュウと喋ってるっぽい……んだけど、私にはミュウの言葉が全く聞こえない。


 目を凝らしてミュウを見つめる。その表情が……わずかに揺らいでいるように見える……見えないこともないけど……。でもこれ……。このぬいぐるみ……。


 ただのぬいぐるみじゃない?


 いや、そんなことはないぞ! 私は意識を集中した。ぬいぐるみの向こうに……誰か「いる」、気はする。くま相手ならはっきりわかるんだけど。そこに誰かが「いる」ことが。「いない」ときもある。ただのぬいぐるみになることも。


 でも私と話すときは誰かが「いる」。パソコンの電源をいれて、何かアプリでも起動して、私の世界と繋がって、会話ができるようになる、なんというかそういった雰囲気がある。でも今は……あまりはっきりとそういうものが意識できない。


「あの……睦月さん」


 私は睦月さんに声をかけた。睦月さんが振り返る。私は戸惑った気持ちのまま、言う。


「あの、ミュウの声が聞こえないの」

「え?」


 睦月さんも戸惑いの表情になった。「聞こえないの? ミュウはさっきから私と喋ってるけど、それ全部?」


「そうなの」


 睦月さんはミュウを見た。


「あのね、ミュウ。この人は一瀬さんって言って、彼女も魔法少女の一人なのだけど……。あなたの声が聞こえないんだって。どういうことなの?」


 睦月さんが黙る。ミュウが何かを喋ってるようだ。集中してじっと見れば、ミュウの顔が動いているようにも見えなくない。私は奇妙な気持ちのまま待たされた。


「――ミュウが言うにはね」睦月さんがまた私のほうを見て言う。「あなたは自分が担当している魔法少女じゃないから、だから声が聞こえないんだって。コミュニケーションができる魔法少女は限られていて……」


「そうなんだ」


 ということは、睦月さんや南雲さんもくまの声を聞くことができないんだ。知らなった。そんなシステムになっていたなんて。


「でも、動きはわかるのかな」


 私が疑問を口にすると、それに応えるようにミュウの尻尾が動いた。二度ほど、軽く上下する。わ、びっくり。ぬいぐるみが動いた! ……って、くまも動くけどさ。


 残念、お話したかったのにな。くまのこと知ってる? とか。異世界のことは教えてくれないだろうけど、その辺りなら答えてくれるかな、って。


「残念ね」睦月さんも言った。「せっかくうちまで来てくれたのに」


「ううん、面白いことがわかったのでよかったよ」


 その時、部屋をノックする音が聞こえた。睦月さんが「どうぞ」と答える。


 ドアが開いて、さっき階下で会った若い女性が顔をのぞかせた。手にトレイを持っている。


「大したものがなくて申し訳ないのだけど……よければどうぞ」


 女性は言う。トレイの上にはお皿と背の高いグラスが二つあった。お皿にはかわいいナプキンがしかれて、いろんな種類のクッキーが綺麗に並べられている。グラスにはオレンジジュース。


「わあ、すみません」


 女性は私たちにトレイを渡すと、にっこりと会釈して去っていった。睦月さんがトレイをローテーブルに置く。


「なんだか悪いなあ。ねえ、さっきの人って……」


 お姉さん? って聞こうとしたのだ。でもちょっと迷っちゃった。お姉さんにしては年上かなって気もして。でもこれくらい年の離れたきょうだいもいるよね。


「母だよ」


 睦月さんがあっさりと答えた。私は驚く。


「母!?」


 いやだって……。どう見ても20代前半だよね!? 睦月さん、いくつのときの子だ? いやでも、すごく若く見える人なのかも……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る