第三話 私の欲しいもの
1
目の前にかわいらしいケーキがある。
場所は素敵なティーショップで、磨かれた濃い色の机に、白い清潔なお皿。琥珀色の紅茶の入ったティーカップは花模様で金の縁取りがあって、持ち手は優雅で繊細だ。
お皿の上にはチョコレートケーキ。半分くらい食べかけで、でもまだ飾りのホイップクリームとイチゴが残っている。私は好きなものは最後に取っておくタイプだから。そしてほんの少し前まではこのケーキを、大変うきうきとした気持ちで食べていたのだ。
でも――……。
今は違う。私は向かいに座る人を見た。少し垂れた大きな目。その目が楽しそうに私を見ている。私はあんまり楽しい気持ちじゃない。
というかいらいらしてる。怒ってもいる。せっかく美味しいケーキを食べてたのに。幸せな気持ちが取り上げられてしまった。向こうが変な話題を出すから。
その人は少し首を傾げる。さらさらの綺麗な髪が流れる。私を見つめたまま、無邪気に、その人は言う。
「魔法少女って、なんなの?」
――――
夏休みが終わって、二学期になって少したったある日のこと。学校の廊下で、楓ちゃんがテンション高く報告した。
「今度、ピアノの発表会があるの!」
楓ちゃんはピアノを習っている。しかも結構上手い。発表会の日にち、場所などを言った後で、楓ちゃんはおずおずと何かを私たちの前に差し出した。
三枚の長方形の紙だ。チケットみたいな? 予想は当たりだった。
「これ、チケットで……その、嫌じゃなければ、聴きにきてほしいなって……」
「嫌じゃないよ!」
私はたちまち答える。楓ちゃんの発表会! 行ってみたい!
楓ちゃんはぱっと笑顔になった。
「ほんと! じゃあこれあげる!」
私にチケットを差し出した。ありがたく頂戴することにする。
「じゃあ私も」
「私も行くよ」
瑞希が、沢渡さんが、後に続く。楓ちゃんはますます明るい顔になる。
「ありがとう! みんなが来てくれるのかと思うと、頑張るかいがある!」
そこで私ははたと思い出すことがあった。おととしの合唱コンクールのこと。伴奏に選ばれた楓ちゃんはがちがちに緊張しており、学校に連れてきていたくまを傍らにおいて演奏することになったのだ。今回もくまが必要なのだろうか……。
でも……くまを外に出すのはやっぱりちょっと不安だし……うーん……。
「あ、あのね、楓ちゃん、くまいる?」
私は思い切って声をかけてみることにした。楓ちゃんがきょとんとした顔をしている。
「くま?」
「あのー、合唱コンクールのとき、くまを傍に置いてたじゃない?」
「ああ」
楓ちゃんは笑った。「大丈夫だよ。今度は平気。そりゃあ――緊張するけど、でもくまなしでもちゃんとやれるよ」
よかった。考えてみれば変な心配だった。楓ちゃんだって、いつまでもくまがいなくちゃみんなの前で演奏できないってこともないだろうし。
「楓を侮っているな」
私の心を読んだかのように瑞希が口を出す。「楓だって成長しているんだぞ。日々立派になっている」
「『だって』ってのはどうかと思うけど」
瑞希の言葉に楓ちゃんが苦笑している。
そんな光景を見ながら、ふと、私の心によぎるものがあった。魔法少女が期間限定だということ。この学校を卒業すれば魔法少女じゃなくなり、そうなればくまとも話ができなくなってしまうということ。
ぬいぐるみとしてのくまは残るけれども、でも異世界の人とはもう話せない。
お別れの日が来るということ。くまに頼ってばかりではいられないということ。私は――たぶん、そんなにくまに頼ってないとは思うけど、でもお別れはやっぱり寂しいし――。
楓ちゃんが私たちに言う。
「小夜ちゃんと南雲さんも誘ったんだ。二人とも来てくれるって」
嬉しそう。小夜ちゃん――睦月さんは、楓ちゃんの前の学校の友だちで、楓ちゃんは睦月さんのことが好きなのだ。睦月さんの後輩であり、同じ魔法少女である南雲さんのことも気に入っているみたい。
睦月さんたちは春に会って、あれ以降、あまり会う機会がない。一度、六人で買い物に行ったりしたけれど、でもそれくらい。楓ちゃんは私たちよりももっと会ってるみたい。
楓ちゃんはいつか六人で戦ってみたいという。ついでにいうと、いまだに変身した睦月さんと南雲さんを見てないのだという。私はどちらも見てるから、羨ましがられる。
楓ちゃんの願いが叶う日は来るのかな。
――――
突然の、偶然の出会いというものがある。その日起こったことはまさにそれだった。
日曜日のこと。ある駅の駅ビルに新しいお店が入ったというので、瑞希と一緒に行ってみることにした。けれども瑞希は急用ができて、どたんばで行けなくなってしまった。私は――さて、どうしようと思う。
連絡を受けたのはその日の朝のことで。もう出かける用意はばっちりしてるし。これからそれらを片付けてというのも――うーん、一人でもいっか。行ってみよう。
そう思って私は家を出た。目的地の駅は少し遠い。休日の電車はほどほどに混んでいて、秋の日の朝の光が綺麗で、一人なのも気楽で悪くなくて、私は楽しい気持ちでシートに腰掛けている。
そして電車を降りて改札を出た辺りで声をかけられたのだ。
「一瀬さん!」
一瀬は私の名前。声も……すごく馴染みがあるわけでもないけど、でも知ってる声。私は振り返った。二人の女の子がいて、声をかけたのは小柄でショートカットの方。彼女が軽い足取りでこちらに近づいてきて、その後をゆっくりと、長い髪が綺麗な美人が続く。
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