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 車内ではおしゃべりが弾んで、お菓子が手から手へと渡される。都会とは反対方向に向かうのんびりとした電車。車窓の光景が美しい。夏の日差しが眩しくて、民家が少なくなっていって、青い田んぼが見える。あぜ道をゆっくり歩く人の影。


 目的の駅に到着する。小さな駅舎を出ると、車が一台私たちを待っていた。運転手は沢渡さんのお姉さんだ。沢渡さんにはお姉さんとお兄さんがいる。お姉さんは社会人で弁護士さんをしていて、お兄さんは大学生でお医者さんになるための勉強をしているそう。話には聞いたことがあるけれど、会うのは初めて。


 お姉さんは小柄でがっしりした人で、沢渡さんにあまり似てない。私たちに気さくに話しかけてくれる。


 近くの食堂で昼ご飯を食べて、それから別荘へと向かった。


 山の中に、いくつかの別荘が点在している。うねうねと山道を、車は進んでいく。ほどなく到着した。


 かわいい家だなー! というのがまず第一印象。


 山の濃い緑の木々に取り囲まれて、その家はちょこんと建っていた。車から降りて、私たちはうきうきと中に入った。中は冷房が効いてひんやりとしている。きちんと掃除がしてあって、綺麗だ。


 昨日からずっと盛り上がっていた私の気持ちはもはや最高潮に達していた。「案内するね」沢渡さんの声に、嬉々として答える。「うん!」


 外からは小さく見えたけど、中は意外に広かった。一階は一続きになった台所と食堂、そして居間。それから洗面所とトイレとお風呂場。洋室も一つ。吹き抜けになった居間に階段があって、そこから二階へ行ける。二階には洋室が二つ。沢渡さんが言うには、下の部屋をお姉さんたちが、上の部屋を私たちが使うらしい。


 相談して私と瑞希が、沢渡さんと楓ちゃんが同じ部屋になった。


 部屋に入って荷物を置いた。窓に近寄って外を眺める。山の木々、よその別荘がちらほら、そして山の間に少しだけ、きらりと光って見えるのは……あれは海じゃない!?


 そうだよ、ここは海が近いんだよ! 明日は海水浴に行く予定! お天気もいいみたいだし、とっても楽しみ!


 いつの間にか瑞希が傍にいた。


「いいところじゃない?」

「ほんとそう!」


 部屋にはベッドが二つあって、どっちを使うか決める。そして私たちは賑やかに一階に下りていった。そこにはすでに沢渡さんと楓ちゃんがいる。




――――




 夕飯はお姉さんにレストランに連れていってもらった。近くに温泉があるというので、そこにも寄っていく。温泉なんて、すごく久しぶり!


 予想外の露天風呂で、すっかりテンションが上がってしまう。でも私はすぐのぼせてしまうので、早々に出てきてしまった。


 別荘に戻ると、沢渡さんのお兄さんがいた。ここには少し前からお兄さんとお姉さんが滞在していて、三日間、そこに私たちがお邪魔するということになる。


 お兄さんは沢渡さんに似ていた。眼鏡をかけていて、穏やかで理知的。将来はお医者さんになる人だから、実際、頭が良いんだろうなあと思う。沢渡さんってお金持ちだしきょうだいは優秀だし、本人も勉強も運動もできるし、何気に恵まれているな。


 居間でくつろぎながら、六人でお喋りをした。私は女子校育ちで男のきょうだいもいないせいか、男の人と話すのがあまり得意じゃない。でもこのお兄さんは、話しやすい雰囲気を作ってくれる。


 よかった。別荘にお兄さんがいるって聞いてたからほんの少し緊張もあったけど、全然大丈夫だった。と、そこまで思って、はたとくまを思い出した。くまも男の人、かな。


 たしかに声は男の人だし、本体は若い男性なんだろうなと思ってるけど、この世界での見た目はぬいぐるいのくまだし、幸いくまに対しては緊張することがない


 話題は過去のこととなった。沢渡家の面々が休みのたびにちょくちょくここを訪れたという話。お姉さん(舞さんという)が、からかうように言った。


「昔は千世も泣き虫で」

「そうだったっけ?」


 沢渡さんは、ソファに座って足まで乗せて、寝そべるような姿勢で話に加わっている。いつもの沢渡さんと少し違うというか。ここは自分の家でもあるので、いつもよりずっとリラックスしているのがわかる。


 舞さんは続けた。


「しかも夢見がちだった」

「ああ、それは今もそうだよ」

「いや、今は違うでしょ。昔は真剣に妖精を信じてた」

「今も信じてる」

「そうなの?」


 沢渡さんは真面目な顔をして愉快なことを言う。お姉さんは苦笑して、私たちに言った。


「まだ千世が園児だったころ、ここの庭で行方不明になったことがあるの。といってもほんの一瞬だったけど。すぐに見つかって、そして千世は言ったんだ。『妖精を見た』って」

「うーん、それはよく覚えてないけど」指を顎にあて、少し上を向きながら沢渡さんが言う。「そう言ったんなら、見たんじゃない? ほんとに」


 妖精かあ。私は窓の方を見たけれど、夜なのでカーテンがひかれている。その向こうにある光景を思い描いた。小さな庭。山の木々。空には星が無数に光っている。山は暗くて、でも月明りで灰色っぽくなってて、そこにひっそりと妖精が……うん、いそうかもしれないけど。


「海には人魚もいるんだよ」


 穏やかな声で、今度はお兄さん(こちらは隆弘さんという名前)が話に加わった。


「最近この辺で話題になっててね。海辺で人魚を見たって人が何人かいて」


 人魚! 私たちも明日、海に行くんだけど、その海にいるってことだよね? 会えるかな? 人魚が実在するとして。


「明日、会えるといいね」


 隆弘さんがそう言って笑った。こちらの気持ちを見透かしたみたいに。

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