第4話 こちらは終点仙台行き直行バスでございます。



「わたし、もうすぐ結婚するんです」


「そうなんだ。えっと、それはおめでとう」


口先だけのお祝いの言葉にも由利さんはくすぐったそうに照れた顔をして、ありがとうございますと頭を下げた。ぺこり、と効果音でもつけたくなるような仕草がさらに幼く、一緒にホテルへ行ったときはいったい何歳だったのだろうと考える。


「相手が仙台の人で、一緒に暮らすことになってるんです。だから今日で東京とはさよなら」


彼女が伏し目に視線を逃がすが、僕は気が気じゃなかった。陽介の結婚相手も、東京から仙台へ移ってくると聞いた。まさかそんな偶然が、と世間の狭さを疑ったけれど、彼女がスマホ画面で見せてくれたのは見も知らぬ誠実そうな男の笑顔だった。


「だから今日は東京で過ごす最後の夜なんです、バスの中だけど」


それは残念だね、と言いかけてやめた。そもそもなぜ彼女が東京最後の夜の再会に手を伸ばしたのか、考えてみれば明確なことだった。


一夜の過ちの相手、自分を弄んだ男。恨み言の一つも言いたくなるだろうし、結婚する身としては間違いで触れてしまった唇を塞いでおきたいと言う気持ちもあるかもしれない。


通路を挟んだ窓の外から小さな東京タワーが見える。ちょうどあんな赤と白のネオンのホテルで、由利さんはどんな顔をしていたのだろうか。思い出そうとしたが、もともと焼き付けていないものが思い出せるはずもなくイメージ映像が流れるだけだった。


「あの時のことは、今日のことも誰にも言わないよ」


そもそも彼女とのあれこれを言いふらすような相手もいない。今夜会わなければ、暗闇の中にぼんやりと浮いた顔の答え合わせすらままならなかったはず。


あの頃の由利さんは確か茶髪のロングヘアだった。女子大生然とした格好の割に艶っぽい仕草や表情が大人っぽく、今より数歳若かったはずなのに年上のような印象があった。しかしほぼすっぴんに近い今の顔を見てみれば、明らかに自分よりも年下なことがわかる。


曲がりなりにも一度は関係を持った相手の、他人の幸せを壊すような趣味はない。祝うこともできないが、わざわざ禍根を残すこともないくらいに、僕の中ではすでに過去だった。


恨み言の一つでも聞いていけというなら、多少は付き合ったっていい。



「あ、違いますよ。あのときのことを責めたり口止めしたかったわけじゃないんです。ただ、」


違うのか、と少しホッとする。そういえば恨み言を聞いたところで彼女の満足がいくような返しができるはずもなく、自分にできるのは本当に”聞く”ことだけだと気がついた。



「春樹さん大学ではちょっとした有名人だったから、構内では声をかける勇気なんてなくて」


「それ本当に僕? 大学の友だちなんて片手で数えられるくらいしかいないよ」


「そういうところですよ。すごく綺麗で目立つのに一匹狼っていうか、誰も寄せ付けない感じで。わたしもそうなりたかったんです」


これでも実は人見知りなんですよ、と困ったように微笑んだ。それは確かに言葉に窮する人の仕草だった。



そんな風に見えていたのか。


当の自分では見た目を他人に消費させて、その対価を奪い取るように貪っていたのに。もしくは大学内でも僕がそういう性質であることが知れ渡っていて、人から避けられているのだと思っていた。しかし結局手元に残ったものを数えてみれば、どちらにしても同じことだ。



「だからあの日はチャンスだって思ったんです。飲めもしないバーのカクテルなんて頼んで近くに座って、春樹さんとそうなれたらって」


「そう、ってそれはつまり」


「はい、わたしが誘いました。ホテルに」



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