第2話 車内では携帯電話での通話はお控えください。





そろそろバスが走り出すかと思った頃、プシュッと音を立てて揺れた。


「すみません、あの」


若い女性の声が入ってきてぼやけ始めた思考に再びピントが合う。発車ギリギリのところで乗ってきたらしい。小さな手荷物一つで歩いてきた彼女は、復路分の乗車券を持ったまま僕の座る席の通路を挟んだ向こう側に落ち着いた。夜行バスはアナウンスとともにすぐに走り出す。


白いTシャツに薄手のパーカーを羽織った、女性というのには幼さの残る女の子。その出で立ちに顔を背けて、冷房が当たってひんやりと冷たい窓の縁をなぞる。


透明なガラス越しに見える彼女の姿に覚える羨ましいような、浅ましいような感覚。胸の奥が気持ち悪くうねって、また目を閉じた。



学生時代の友達が結婚する。背負ってきたリュックの中にはカジュアルめのスーツが詰めてあって、バスの行き着く仙台で彼の晴れの席に参列することになっていた。


日に焼けやすい浅黒い肌とスポーツマンらしい短髪の陽介に、きっと白いタキシードは似合わないだろう。それでも誰よりも嬉しそうに笑って、来る人すべてに心から祝われる姿が目に浮かぶ。陽介はそういうやつだから。


想像する。真っ白のチャペルで花に囲まれた幸せな式。抜けるような青い空に色とりどりの風船が舞い、天使が舞うように宙を遊ぶ。目に映るものすべてが美しい一日に一際輝く白いベールの、花嫁。


何度想像してみても、段々になったレースのドレスを纏う顔がぽっかりと空いている。


そこに入るのは女優のように洗練された笑顔か、モデルのように引き締まったスタイルか、それとも隣の席で汗を拭う女の子の顔か。


僕は陽介の隣に立つ選ばれた一人に、出会う女性それぞれの顔を当てはめてしまう。ダメだ、彼女の笑顔は陽介の爽やかさを損なわせる。ダメだ、彼女の背丈は陽介の長身に釣り合わない。



ダメだ、僕の方が、



それは悪癖と呼ぶべき性質で、僕は陽介の結婚相手を見たことがないのをいいことに繰り返し自分を正当化する。誰かを当てはめては似合わないことに無意味な安心感を覚え、自分こそがと悪態をついて見せる。


そんな人間が陽介の暖かな門出を、人の幸せを祝えるはずもなかった。



自分がそういう性質だと分かったのは中学生の頃、それから僕の容姿は売り物になった。生まれつき線の細い手足と癖のない髪は様々な男を悦ばせ、性別の輪郭を曖昧にする夜をくれた。綺麗なものが好きな人間は多い。同時にその綺麗さを独占し無造作に扱いたがる人間も。


女の子になりたかったわけではない。でも男らしくと言われれば心がささくれ立つ。自分を悦ばせるものがなんなのか、自分でもわからなくなっていた頃に陽介に出会った。


きっと僕を真っ二つに切ったら、黒々としたものが這いずり落ちるだろう。最低な自覚はあったけれど、相手だって僕を享受しているのだと思えば悪魔のように微笑みを使うことができた。だけどその黒々しいものの中に、陽介への思いだけは綺麗なはずだった。


それが今では顔のない誰かと自分を比べて、蔑んで、落として、自分のことは棚に上げて、その真っ白なドレスをずたずたに引き裂こうとしている。綺麗なのは外見だけ。中身は誰にも見せられないほど、エグくて濁っている。



あ、零れ落ちる。



と思った瞬間に、肩を叩かれた。



「あの、春樹さんですよね?」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る