東京駅発、夜行バスの恋人。

七屋 糸

第1話 大きなお荷物をトランクにお預けの上、ご乗車ください。



行儀よく整列した大型バスが一台、また一台と光を連れて去っていくのを横目に、冷たい息を吐いた。


夏の蒸し暑い季節だというのに体がこわばって動かしづらい。バスの待機所に差し込む黄色いネオンライトが細い糸になって絡んだみたいに、出発を前にして緊張が押し寄せていた。


昔からそうだった、可笑しなタイミングで緊張してしまう。大学の研究発表でマイクを置いた瞬間、敬愛するアーティストのライブのMC中、はじめて女の子とホテルに入った帰りの始発の電車の中。


みんな少し早かったり、少し遅かったりして、掴みきれない緊張の糸に一人で四苦八苦することも多い。


今夜だって、そうだ。陽介に会うまでにはまだ何時間もかかる。



人のまばらな列には統一性がなく、同じ目的地へ向かう夜行バスを待っているという以外に共通点が見つけられなかった。小型のハイエースでも入り切りそうな人数はそれぞれに暇を持て余しながら、今夜の寝床の訪れを待っている。


僕は右耳だけにつけたイヤホンをいじりながら、もう片方の手では陽介への返事を打ち込む。「乗ったか?」「もうすぐ乗るよ」「気をつけてこいよ」と矢継ぎ早に言葉が流れていって、明日という一日のことを実感してしまったのかもしれない。


解けない緊張の糸が東京駅のビル街に伸びていき、このバスに乗らなければ明日も来ないのか、とぼんやり考えていた。



『仙台行き。仙台行き。ご利用のお客様は大きなお荷物をトランクにお預けの上、ご乗車ください』



背中の大きなリュックを預けるかどうか迷ったが、夜行バスをともにする人の少なそうな様子を見て持ったまま乗り込む。乗車券を確認する運転手がちらりと視線を後ろへやったが何も言われることはなかった。


席はできるだけ奥の方の、人とは近くない場所を選んだ。みんな同じように選んで座っているのか前後左右は空いたまま乗車口がプシュッと音を立てて閉じる。


このバスに乗っている間は誰とも話すことなくじっとしていられると思うと、こわばっていた肩の力がするりと抜けて楽になった。



片耳につけたイヤホンから流すプレイリストを選び目を閉じる。車の中で眠れる質ではないが、ただ目を閉じてアスファルトの乱暴さをゆりかごにするのは好きだった。


東京を出れば眩しすぎるネオンライトも影を潜め、静寂と暗闇に寝息を立てだす人もいるだろう。鉄の箱とは思えないスピードと穏やかさで進む夜行バスが嫌いではなかった。





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