第3話 殿、それは犯罪ですっ!

 水曜日の午後。

 英語精読の教室で教授を待ちながら、雅紀は林太郎に、昨夜のことを話した。 

「3時間、眠れたのか。いい感じじゃないか」

「まあ、そうだね」

 寝不足でふらふらだった月曜の朝のことを思えば、進歩だ。

 昨夜の夢の中身を、雅紀が告げると、林太郎は笑って、

 「今度は女装か。ったく、ヘンな夢ばっか見るよな」

 我妻先生に縛られ、襲われそうになったことは、とても言えない。ヘンタイか、と言われてしまいそう。我妻先生が出てきた、というだけで林太郎が気分を害すかもしれないし。


 雅紀は、森に逃げ込んだところで目が覚めた、と嘘をついた。

(正直、夢の中身にまで責任もてない)

 少し眠れるようになったのはいいが、悪夢が、もれなくついてくるのは、困る。あの奇妙な夢は、自分の意思で見ているわけじゃないはずだ。


 授業の後、用があるという林太郎と別れ、雅紀はバイト先のコンビニに向かった。苦しい中、仕送りをしてくれる母のためにも、少しでも稼ぎたい。

(リン、もしかしてデートかな)

 先日見かけた、髪の長い女子とのツーショットを思い出し、心が重くなる。

(そのうち、これが彼女だ、可愛いだろ、て紹介されるのかな。そいで。おまえは彼女いないの? 早くつくれよ、なんて言われたりして)


 雅紀が、ゲイだと自覚したのは中学の時だ。同じクラスのカッコいい男子に胸がときめき、ヘンだな、と思っているうちに。好きになるのは男子ばかりだと、やがて気づいた。

 好きになったからって、アクションは起こせない。もともと内気だし、女子に告白するのとは違う困難が伴う。

 大好きな男子が、女の子と歩いてるのを目撃し、涙したこともあった。結局、片思いばかりで、いまだにキスの経験もない。


 今は我妻先生を密かに慕っているが、かなわぬ思いだと痛感している。講義を聞くだけの関係で、口をきいたこともないのだ。

 明日は木曜日、我妻先生の「ドイツ中世史」の講義がある。

 それだけが、いまの雅紀の唯一の楽しみだった。



 黒瓦に漆喰の白壁。目の前に広がるのは、典型的な日本庭園だ。大きな庭石に松などの植え込み。たくさんの鯉が優雅に泳ぐ池もある。

 雅紀は、城の廊下に立っていた。開いた襖から見えるのは、畳が敷き詰められた大広間。


(ここは日本だな。お城の中? 今日は西洋時代劇コスチュームプレイじゃなさそう)

 廊下から庭を眺めていた雅紀は、自分が和服姿であることに気づいた。梅の花模様の明るい色の着物に、浅葱あさぎの袴。頭に手をやると、前髪がふれた。ちょんまげではなさそうだ。


(この格好なら、ちょっと見てみたい、かも)

 まずしい農民に、ドレスの女装。前の二日はハア? な衣装だったが、これなら。池に自分の姿を映してみるか、と、足袋のまま、庭に降りようとしたとき、

「殿~!」

 ボーイソプラノの、甘ったれた声がした。バタバタと廊下を走ってくる。


 見ると、小学生か、といった感じの美少年が二人、キンキラ羽織袴の男性に追いつき、しがみついたところだ。どちらも女物みたいな派手な着物に袴。

(小姓ってやつかな)

 よく時代劇で見る、殿のおそばに仕える美少年たち。

 そして彼らを従えた男性は、

「我妻先生」

 雅紀のあこがれ、我妻准教授だった。

 和服も、高く結い上げたちょんまげも、良く似合っている。

(さすがは我妻先生。殿様スタイルもイケてるなあ)

 ぼーっと眺める雅紀を、殿は、完全スルーで、

「子狸丸も、子狐丸も、今日も可愛いのお」

 鼻の下を伸ばし、二人とともにスタスタ歩いていく。


「お、お待ちください」

 呼びとめるが、雅紀の方を見ようともしない我妻。

「殿ぉ。今夜は眠らせなーい」

「三人で、いいことしちゃいましょうよぉ」

 子狸丸と子狐丸が、過激なことを言う。

(さ、三人で朝まで? ガキのくせに、なんだ、こいつら。元服前だから、せいぜい十三か十四じゃね?)

「先生、じゃなかった、殿。それは児童ポルノ禁止法違反、いや、なんだっけ。とにかく犯罪ですっ!」

 雅紀は思わず叫んでいた。殿はちらりとこちらを見ただけ、小姓たちが、フンと鼻で笑って、

「大年増の妬みか。未練がましい」

「もうあんたの出番はないんだよ、おっさん」


 (おっさん。十九の俺がおっさん!?)

 がっくりと膝をつく雅紀。

 夢の中で、先生に可愛いと言われたり、お姫様だっこをしてもらったり。最後はひどかったけど、一応、我妻先生と、いいムードになれたよなあ。今日は無視。悲しいなあ。おまけに、おっさん、なんて言われて)

 落ち込んでいると、背後から怒鳴り声が。

「ここにおったのか、雅之進。この恥さらしめが!」

 振り返ると、

「が、学長」 

 阿漕学長、三度目の登場だ。かみしもをつけた武士の姿。ぶ厚い唇をふるわせて、雅紀を叱責する。

「とっくに元服の時を迎えていながら、いつまでもチャラチャラししおって。お前のせいで、阿漕家は我妻藩じゅうの笑いものじゃぞ」

(あ、そういうことなんだ。確かにこの時代、十九なら立派な大人だよね)

 雅紀にとっては、まるで他人事。見たくて見ている夢じゃないのだし。

「もう我慢できん。阿漕家は、次男の林之助に継がせる。雅之進、お前には切腹を申し付ける!」


「せ、切腹!」

 恐怖に顔がひきつる。イノシシ狩りも怖かったが、今度は腹切り?

 怒りに顔を真っ赤にしている阿漕に、

「そ、それだけはお許しください。今すぐ、今すぐ元服いたしますゆえ」

「もう遅いわ。林之介」

 くいと首を横に振る。そこには、裃姿の林太郎が立っていた。

「リン。助けに来てくれたの」

 雅紀は、ほっとし、凛々しい林太郎の侍姿に見とれた。

(イケメンはmちょんまげ姿もサマになるんだなあ。我妻先生といい、リンといい)

 感心していると、林之介は、がっしりと雅紀の腕をつかみ、

「参りましょう、兄上。私が立派に介錯かいしゃくいたします」

 介錯。それは、切腹で死にきれない武士の首を切り落とすこと。


 雅紀は阿漕家の屋敷に連れ戻され、白装束しろしょうぞくに着替えさせられ、広間に正座。目の前にはぎらりと光る短剣が置かれ、

「さあ、兄上」

 林太郎が、短剣のつかを握らせようとする。

「た、たすけて、死にたくないよー! 俺は、俺はロマンチックな初体験があー!」

 じりじりと後ずさる雅紀であった。

 

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