第6話 帝

「(ぐ、ぉっ……)」


 得体のしれない光に包まれ、全身から力が抜けていく。

 周囲のもののふたちに至っては立っていることもできないという有様であった。


 地上の権勢を極めた自分が、よもや太刀打ちできない存在があろうとは思いもよらないことであった。

 2000人のもののふを集めたことも、正直に言えば、いくら惚れた女の言うことであったとはいえ、やりすぎであったと心のどこかで思っていた。

 

 その結果がこれである。

 2000が10000でも太刀打ちできなかったのではないか。


「(こんなはずでは……)」


 あの日、かぐや姫から自分は月の住人であると告白されたあの日。

「天人が迎えに来るなどと、嘘をつきおって。そこまで私を拒否するのか」と半ば意地になった。時の権力者としての力を振るい、強引に連れ帰ってもよかったのだ。

 それをしなかったのは「おおごとにしてやれば、恐れ入るであろう。そうして、そのような嘘をついたことに引け目を感じ、かぐやは朕のものになるであろう」、そしてまた、「愛しく憎らしくもあるかぐや姫は、私の権力者としての力に感じ入るだろう」という狙いが確かにあった。



 ……そして、今


 文字通りの天罰。 

 そう。自分の欲のみで周囲を振り回してしまった私に対するこれは天罰なのかもしれない。


 周囲のもののふどもと同じく這いつくばりそうになるこの体。

 しかし、倒れない。

 地に伏せさせられて、何が帝か。


 倒れてはならぬ。倒れ伏してはならぬ。

 周囲に示しがつかぬ。

 朕は帝なるぞ。


 体は動かなくとも、身体は、頭は高く上げてあらねばならぬ。


 意地であった。気力を振り絞って帝は膝はつけど、体は上げ、起こしていた。


 五感のいくつかが奪われ周囲を感じ取れなくなった恐怖と闘いながら、必死に体をたて、天人どもがいるであろう方を睨め付けた。


 ふと、あることに気づき、全身から汗が吹き出してくる。

「(……朕の命は、今、この者たちに握られているのだ。)」


 朕を弑そうとすれば、何のことはない、この口と鼻をそっと手を置いてふさぐだけでその目的は達せられる。

 居並ぶもののふたちにしても同じこと。

 そうしないのは、この者たちの善意によるものではない。


 我らが、この者たちから見て取るに足らない存在であるからだ。

 言いようのない口惜しさが、身動きの取れない帝の胸の内に沸き起こった。


 屋敷の扉が開き、かぐや姫が姿を現した。

 うすぼんやりと、その姿が見える。

 自らの足で、ゆっくりと一歩ずつ歩を進めるかぐや姫。


 その姿をみている帝の心に言いようのない嫉妬とも劣等感ともつかぬ感情が湧き起こる。


「(お前は歩けるのか……。この光の中……、やはりお前は……)」


 この瞬間かぐやが月の生き物であることを痛感した。

 別の世界の生き物であることを実感してしまった。


 連れ去られるでもなく、自分の意志で確かな一歩を踏み出しながら、天人のもとへ向かう姫。


「けがれたところのものを、召し上がったので、ご気分がすぐれないでしょう。」


 帝には天人の発した言葉の伝えんとすることがわかった。

 そして、その意味するところを、数瞬の内に理解してしまった。



 かぐやは、私を穢れた地の生き物と見ていたのではないか。



 翁も、媼も、貴公子たちも。

 天上人であるかぐやにとって、地上人とは……。


 かぐやはいつから月の人間であった自覚があったのか。

 初めからそうだったのではないか。

 月の人間にとって地上が穢れた地であるのなら、そこにひしめく、我々地上人は穢れた存在。

 そのようなもののところに宮仕えするなど思いもよらぬことだったのではないか。

 

 かぐや姫のつれない態度の正体が、帝にはわかってしまった。



 惨めだった。

 


 ただただ、惨めだった。



 彼女は不死の薬を帝に残した。

 これを飲んで、永遠に力をつけ続け、いつか天人への再戦と勝利を果たすか。

 いつか月に行く力を身につけることができるのではないか。


 しかし、そんなことを考える気力はもうない。

 今更、そんなことをしてどうなるというのだろう。

 帝の心のなかにだけいた、あの可憐で愛おしい、かぐや姫はもうどこにもいないのだから。








 朕は、無力だ。

 

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