5分で読める物語『モノクロフィルター』

あお

第1話

――世界はモノクロだ。僕の目にはそう映る。フィルターをかけているのは僕自身。

「春樹大丈夫か?」

 下校中、いつも一緒に帰ってくれる達也は昔からの幼馴染。

「大丈夫、ちょっと考え事してて」

「ぼーっとしてると転ぶぞー、気を付けろよな」

「う、うん」

 達也は幼いころからスポーツ万能、成績優秀、高校にはいると背もぐんぐん伸び、二人の影を見るともはや大人と子どもだ。昔から僕のことを気にかけてくれる優しい性格で、喧嘩も強い。すべてにおいて完璧だった。

「じゃ、また明日な」

「うん、また」

 別れの挨拶を交わすと、達也は右に、僕は左に歩いて家に入る。達也とは生まれた時から家が近くて家族ぐるみの付き合いなのだが、逆に言えばそれだけしかない。時間の積み重ねがここまでの友情を育んでくれたのか。

そんな達也にも打ち明けていない秘密がある。それは、僕が〈透明人間〉になれることだ。この能力が使えるようになったのはごく最近。怖くてたまらない時、どうしようもなく逃げたしたい時に、強く念じると僕の姿は透明になっている。なぜ透明化出来るようになったのかは分からないが、おかげで少し生きるのが楽になった。いつでも簡単に逃げられる。僕の人生においてこのアドバンテージは大きい。



 翌日も普段通り達也と登校する。しかし僕のテンションはいつも以上にナイーブだった。

「そんなに嫌か~? 作文発表」

「嫌だよ。みんなに注目されるし、文章は下手だし、大きい声も出せない。発表なんてしなくても読めるんだから、みんなで読み合えばいいのに」

「たしかにな、でもまあ気楽に考えようぜ」

 そうはいっても、気になるものは気になる。一日というのは長くも短くもあり、気づけば発表の時間が迫っていた。前の席の人が発表を終え、自分の番が回ってくる。その瞬間僕の頭の中は、

(やりたくない、怖い、逃げたしたい、失敗したくない、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ)

「消えてしまいたい」

 気づけば言葉が漏れていた。

「あれ春樹?」

「長瀬くん? 長瀬春樹くーん?」

「トイレか?」

「いつの間に」

「まああいつ影薄いしな」

 また逃げてしまった。いつも透明になった時に襲い来る罪悪感。僕はその罪悪感からも逃げだしたくて教室を出た。当てのないまま走り続けたどり着いた先は屋上だった。

「なにしてるの?」

 屋上には先客がいた。黒い髪を腰まで伸ばし、屋上の手すりと同じほどの身長、制服の白いブラウスが晴れやかな空を反射しているかのように輝く。顔は小さく薄白い肌が繊細さを演出している。校内で初めて見るその女子生徒は、僕に再び声をかけた。

「いま授業中でしょ?」

 それはあなたもでは……って僕のこと見えてる⁉

「なに驚いてるの、まぁ私もサボりだけど」

 照れ隠し気味に笑う姿は少し愛らしい……じゃなくて!

「僕のこと見えてるの?」

「ええ、しっかりと」

 しっかりと‼ 自分の身体を見直してみるがやはり透けている……

「あなた、影がないわね。もしかして幽霊?」

「いやいや! にんげん! 訳あって透明化できるんだけど」

「私には見えちゃうってわけね」

 飲み込みの早い子だ。普通こういうのってかなり戸惑うんじゃないの?

「透明になって逃げだしてきたと」

 しかも推察力まで凄まじい。

「図星ね」

「降参だ。君の言う通りだよ」

 どうして両手を上げ白旗を振ってるのか分からないが、底知れぬ敗北感があった。

「さて、君がどうして逃げてきたかだけど」

 人差し指を額に当て「うーん」と唸っているその姿も絵になるなぁ、と見惚れていると、

ピシッと指を指され背筋が勝手に伸びた。

「ま、聞かないでおくわ」

 危うく膝から崩れそうになったが、素知らぬ顔で誤魔化した。

「君はここで何を?」

 彼女の詮索ラッシュが終わり今度は自分のターン。

「さっきも言ったでしょ、サボりよサボり」

「えっと、何年生?」

「ああ、自己紹介がまだだったわね」

 彼女はスッと背筋を伸ばし、僕の方に向き直った。

「私は二年四組の秋野麻衣。午後のグループワークが面倒で絶賛おサボり中。あなたは?」

 普段は苦手な自己紹介だが、麻衣さんの前ではすんなり話せてしまう。

「僕は長瀬春樹、二年二組です。僕は作文発表が怖くなっちゃって、抜け出してきました……」

「あら、同級生なのね、よろしく」

 僕は会釈で返事を示した。

「それにしても、作文発表でねぇ。どうして怖くなっちゃったの?」

 麻衣さんは優しい表情で問いかけてきた。

「みんなに笑われるんじゃないかって。僕、文章書くのが苦手で、というか得意なこととか

一個もなくて、何するにも不安で、怖くて、それでいつも逃げちゃって」

「そっか」

 怒るでもなく、呆れるでもなく、なんでもないことのように麻衣さんは受け止めてくれた。

「でもね――」

 麻衣さんの言葉は続いた。

「逃げてしまいたいってタイミングは、チャンスなのよ」

「チャンス?」

「そう、変われるチャンス。それを乗り越えた先に、新たな自分に出会えるの」

 麻衣さんの言葉には妙な説得力があった。

「だからと言って、逃げちゃダメって話ではないけどね。もし変わりたいと思うなら、

一回だけでいいから、逃げずに立ち向かってみなさい」

 これまで、「逃げるな」「みんなもやってる」など、僕の気持ちなど露知らず、正論を投げかけて来る人ばかりだった。しかし麻衣さんは優しく背中を押してくれた。初対面なはずなのに、僕は麻衣さんの言葉に救われていた。

「うん、頑張るよ」

「よろしい、そしたらそろそろ帰りな。これ以上は誤魔化しが効かなくなるでしょう」

「そうだね、ありがとう」

 もっと二人の時間を過ごしていたかったが、麻衣さんの言う通りこれ以上はいくらトイレでも長すぎだ。それに授業ももうすぐ終わる。きっと発表しなくて済むだろう。

「また会える?」

 名残惜しさが尾を引いたのか、素直な思いを口にしていた。

「ええ。毎週この時間私は屋上にいるわ」

「わかった。また来る」

 こうして毎週火曜日、昼下がりの屋上で僕と麻衣さんのおサボり会が始まったのである。



 麻衣さんとの出会いから一ヵ月ほど経った、とある火曜の昼休み。

「春樹、毎週火曜の五限だけ毎回トイレ行くよな? しかも気付いたらいないし」

 さすが幼馴染。僕のことをよく見てる。

「いやぁ、なんでだろうね。毎週あの時間だけ妙にお腹痛くなっちゃって」

 自分でも苦しい言い訳だなぁと思いつつ、必死に困り顔を作ってリアル感を演出する。

「大丈夫か? 病院とか行った方がいいんじゃねぇの?」

 達也くんそれは人が良すぎるよ。

「うーん、それ以外の日は大丈夫だし、そのうち治るよ」

「そっか。それもそうだな! お前が抜けてる間のノートは俺がしっかり取っといてやるから」

男前な達也との談笑中、聞き捨てならない会話が廊下の方から聞こえてきた。

「ほら、あの子また屋上にいるよ?」

「しかも最近誰かと話してない?」

「でもいつも一人じゃね?」

「え、じゃあ一人で会話してるの? ウケるんですけどー!」

「一人で会話とかキモすぎ!」

 話してたのはいわゆるギャル集団。スクールカースト女子部門のトップだ。

そして話題の人物は十中八九麻衣さん。僕がいつも透明化したまま、会いに行ってるから誤解が起きてるようだ。

しかし、誤解を解こうにも自分が透明人間だなんて言ったらそれこそ笑い種にしかならない。どうするべきか思案していると、昼休みが終わり五限目のチャイムが鳴り響いた。

屋上に行くべきかどうか数分悩んだものの、やはり麻衣さんには会いたかった。噂の対処は麻衣さんと一緒に決めよう。僕はいつものように透明人間へと変わり麻衣さんに会いに行った。そういえば知らぬ間に、透明化が自由自在になっていた。熟練度だろうか――などと余計なことを考えているうちに屋上に着いた。しかし既に別の誰かが麻衣さんと話しているようだった。

「アンタ、いつもここでなにしてんの?」

 話しているのはさっきのギャル集団、心なしか不穏な雰囲気が漂っている。

「あなたたちと話すのが面倒だから、ここで日光浴してるのよ」

「あぁ? 面倒だ?」

「だってそうでしょ? 脳みそお花畑な人たちとお話しても、こちらがバカになってしまうだけだもの」

「てめぇ、いまなんつった」

 麻衣さんがサボっていたのは恐らくこの人たちと毎週グループワークがあったからだろう。しかし、ちょっと煽りすぎではないだろうか。

「な、なによ」

 ギャル集団の中で一番髪色が派手な女子が指をポキポキならしながら麻衣さんに歩み寄る。

「立場が分かってないようだから、ちゃんと分からせてあげるんだよ」

 髪色派手女の行動は予想の範疇を超えていたらしく、麻衣さんは少しずつ後ろに追い詰められていく。

(た、助けなきゃ。でも僕が助けに行ったって……)

 麻衣さんの背中が手すりのフェンスにくっついた。

(僕がもっと達也みたいに強かったら!)

 派手女が麻衣さんの数歩手前まで近づく。

(結局僕は弱いままなんだ。好きな女の子すら守れない、弱い人間だ)

 俯くように目線を下げると、麻衣さんの足が小さく震えてるのが見えた。


『逃げてしまいたいってタイミングは、チャンスなのよ』


『一回だけでいいから、逃げずに立ち向かってみなさい』


 僕の足は思考よりも先に動き出していた。派手女が拳を振り下ろすその寸前――

「や、やめるんだ!」

 僕は透明化を解き、麻衣さんの前を両手で塞いだ。

「こいつどこから出てきた⁉」

 驚きのあまり派手女の目はひん剥いていた。

「ぼ、ぼうりょくは良くない、よ!」

 しかし僕の弱弱しい言葉では足を止めることすらできない。

「あぁ? うるせぇな、邪魔だどきやがれっ!」

 女の拳が振り上がる。僕は怖くて思い切り目を瞑った。

「――やめろ」

 聴き馴染みのある声がして、恐る恐る目を開けると、達也が女の腕を掴んでいた。

「女だからって、ダチに手出すやつは容赦しねぇぞ」

「ちっ」

 女は無理やり手を振り払うと、傍観していたギャル集団と合流し校舎に戻っていった。

「大丈夫か二人とも」

「僕は大丈夫」

「私も」

「ならいい。早く授業に戻ってこいよ」

 そういうと達也は詮索一つせず、教室に戻っていった。

「はぁぁぁぁぁ」

 安心のあまりため込んでいたすべての息を吐き出してしまう。

 不意に後ろから柔らかい身体が押し付けられる。

「な、なっ!」

 麻衣さんが後ろから僕のことを抱きしめていた。僕はどうしていいか分からず適当な声しか出せない。麻衣さんの顔が耳元に近づいたかと思うと、

「かっこよかった」

と優しくささやいた。

「麻衣さんの言葉を思い出したんだ。チャンスだって」

「うん」

 抱かれている腕の力が少し強くなった。

「春樹、強くなったね。ありがとう」

 この時僕は初めて、世界の色が綺麗だと思った。僕の心のフィルターはいつの間にか外れていた。



  麻衣さんと二人で校舎へ続く階段を下りている最中、どうしても気になることがあったので、それとなく聞いてみる。

「麻衣さんはなんで、僕の透明化が見えるの?」

 すると麻衣さんは茶目っ気たっぷりの笑顔で、

「私、目がいいの」

と華麗に誤魔化された。しかしとても気持ちが良かったので、聞き直す代わりに僕は麻衣さんの手を握った。

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5分で読める物語『モノクロフィルター』 あお @aoaomidori

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