箱の中の怪物

あおぞら

出会い

 私は、ずっと独りだった。生まれた時から、ずっと。

 何も無い、狭く薄暗い空間。世界と呼ぶには、だいぶ小さいものだった。

 そこで毎日、膝を抱えて何も考えずにまだ時が過ぎていくのを待っていた。何日も何日も。

 その姿はまさしく、この空間同様に「無」だった。

 

 私は、外の世界を知らない。そもそも、外の世界があるのかどうかも知らない。

 もしあるとして、そこはここみたいに色のない世界なのか、はたまた色鮮やかな極彩色の世界なのか。

 でも、いくら考えたところで答えを知る術がないのだから、時間の無駄だった。

 今日もいつも通り、「無」だった。まるで空気のように過ごしていた。

 ふと、早く死んでしまいたいと思った。このまま来るかもわからない終わりを待つくらいなら、とっとと死んでしまったほうがいい。

 そう思った時、いきなり声がした。誰のかもわからない、少し低めの優しい声。

 「誰かいるのですか。」

 一瞬、答えるか迷った。相手が何者かわからないし、そもそも自分以外に人間が存在するのも初めて知ったからだ。

 「・・・誰もいませんか。」

 どうやら、いないと思ったみたいだ。別に、いないと思われたのならそれでいい。それでよかったのだが、気がつくと私は、大きく息を吸っていた。しかし、声が出なかった。

 すると、

 「あなたは誰なのですか?」

 どうやら、一瞬の息遣いを聞かれていたらしい。どんな聴力してるんだろう。ここまできたら、流石に無視とはいかないので、

 「・・・・・・わかりません」

 となんとか声を発した。

 「あなたは何故箱の中にいるのですか」

 「・・・・・・わかりません。」

 何故いるのかと聞かれても、そもそもここが大きな箱の中だと言うことを初めて知ったレベルだ。自分が何故ここにいるかなんて皆目検討もつかない。

 「じゃあ、あなたはいつからいつからそこにいるのですか?」

 「ずっとずっと、前からです。」

 「外に出たいと思わないのですか?」

 「・・・私は、外の世界を何も知らない。何も知らなければ、興味も湧かないわ。・・・それに、私はこの箱から出ることができない。」

 実は、右足を拘束されてるのだ。それも、とても人間には使わないであろう大きさのものに。そんなに大きいのなら、足を抜いて自由になればいいと思うかもしれないが、無理なのだ。どんなに足を抜いても、またすぐに拘束される。完全に自由が奪われているのだ。私は。

 「箱の中に何があるの?」

 また質問。どうやら、彼はこの何も無い空間に興味が尽きないらしい。変わった人だ。

 「何も無いわ。ここには。私以外には。」

 「寂しく無いの?」

 寂しい、か。

 「私はずっと独りだったの。外の世界に誰かがいることなんて知らなかった。何も知らなければ、寂しいとも感じない。」

 「今までも、これからも、君はその中?」

 どうだろう。でも、何かを願っても無駄だと思ったので、

 「そうね。」 

 と、短く答えた。

 「そっか。じゃあ、僕が君に楽しい話してあげるよ。退屈じゃなくなるでしょ?」

 まさか、そんな返事が来るとは思わなかった。てっきり、「寂しいね」とか、「かわいそう」とか言われると思ってた。

 外の世界。それは、私がずっと気になって気になって仕方なかったもの。

 思わず私は

 「・・・そうね。」

 と答えてた。

 そして、人生で初めて、笑顔になってもいた。


 彼は、いろいろな話をしてくれた。星や宝石が散りばめられた藍を泳いだ日のこと。世界をゆっくりと染める遠くの紅を掴もうとした日のこと。どこまでも広がる深緑に背中を合わせて共に呼吸をした日のこと。儚いダイヤが浮かぶ漆黒の空間をうっとりと漂った日のこと。

 どれも、私が知らないものだった。何より、そんな色鮮やかな世界にいることが羨ましかった。

 彼の話は、全て見たことないはずなのに、想像できた。それだけ、彼の話し方がうまいのだろう。

 彼のおかげで、私はたくさん笑ってた。自分でも、驚くくらいに、たくさん。とても、幸せだった。

 私の人生は、この日に一気に彩られた。彼の手によって。

 

 ふと、彼は言った。

 「僕の生きている世界はね、大きな怪物のお腹の中なんだ。僕が見た世界のたくさんの色たちも、全部怪物の中のお話なんだ。面白いと思わないかい?」

 突然、何を言い出すんだろうと思った。やっぱり、面白い人だなと笑いながら、

「ふふ。そうね。じゃああなたも私も同じだわ。あなたは怪物のお腹の中に。私は白い箱の中にいる。面白いと思わない?」

 と返してみた。

 彼と同じ。それだけでなんとも言えない感情になった。満たされるような、少し、物寂しいような、くすぐったいものだった。

 私がこの感情の名前を知るには、まだ、時間が必要だった。


 「僕、考えたんだ」

 「なにを?」

 「この白い箱の壊し方だよ」

 「この箱は壊れないよ」

 そうだ。この世界は壊れない。何回も試したが、壊れなかった。私は、この世界で生きて死んでいく。

 そう思ってたのに、

 「いや、きっと壊せる。考え方なんだ。僕の世界は怪物のお腹の中だって言っただろう?実はあれは本当かどうか分からない。怪物はいるかもしれないし、いないかもしれないんだ。それを信じるか信じないかは、僕たち次第なんだ。もし信じれば僕たちは怪物の存在を認めて頭の中で作り上げることになる。見えない存在のものを自分で形作って脳に保存するってことだよ。逆にもし信じなければ、その概念ごと根本的に否定し、怪物の存在を打ち消すということになる。」

 なんてことを、彼は言い出した。

 彼がもたらしてくれた、ほんの少しの可能性。希望。

 藁にも縋るような思いで、

 「つまり、どういうことなの?」

 と、尋ねた。

 「つまり、君が一瞬でも、箱の存在を疑った時点で、その箱は壊れるのさ。」

 疑う。この世界を。私が生きてきた、この世界。私を閉じ込めてきた、この世界をか。

 でも、彼の言葉は嘘ではないと思った。疑ってみよう。

 "この世界は、偽物だ"

 そう思った時だった。

 突然、辺りが光出した。その光はだんだんと強さを増していって、目も開けられなくなった。

 治った。

 恐る恐る目を開けると、そこは真っ白な世界だった。箱の中同様、何もない真っ白な世界。

 唯一違うことがあるとすれば、暖かい光に満ちているのと、目の前に自分と同じく人間がいる"はず"だった。

 そう、私は隠していた。外に出れない、本当の理由を。出ることなんてないから、言わなくていいと思ってた。 

 私は、怪物だ。化け物。あの箱は、私を人間の姿でいさせてくれる唯一のものだった。

 とは言え、元は人間だった。どこにもいるような、至って普通の女の子。

 しかし、夜は化け物になった。そして、次第に化け物でいる時間の方が長くなった。誰にもみられたくない私は、次第に自分の世界に引きこもることにした。独りになりたいと言う強い思いが作った世界。それが、この真っ白な世界と、箱だった。

 動かない彼に向かって、

 「あなたとは大きく姿が違う私でも、愛してくれますか。」

 諦めていたけど、けど、諦められずに聞いた。何かを望んでも傷つくことはよくわかっているはずなのに、なんでこんなことを聞いたのだろう。

 長いような、短いような、不思議な感覚になる時間が経った。

 彼は、私の方に歩み寄って来て、手を握った。

 そして、


 「それじゃあ、いこうか。」

 

 と言って、歩き出した。

 新しい人生が始まる瞬間だった。

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