9-2

「……ふわああ」

 しばらくして大きなあくびが聞こえ、隣でむっくりと起きあがる気配がした。

「ごめん、本気で寝ちゃってた。紗月?」

「――あ、ううん。大丈夫」と紗月は抱えていた膝を離して上半身を伸ばした。まわりのざわめきが急に大きく聞こえだす。いつのまにか陽が落ち、あたりはすっかり暗くなっていた。見回すとにぎやかにひしめきあっていた屋台はほぼ片づけられており、かわりに何本もの背の高い装飾灯が花火を待つ人々の楽しげな顔を優しく照らしている。

「紗月も寝てた? 今何時だろ」

 大きく伸びをして頭についた芝をはらうドノヴァンはいつもと同じ様子だった。張りつめていた緊張の糸がゆるみ、ほっと息をはいたとき「智偉は無事に帰れたかな」とひとりごとのような声が聞こえた。

『じゃあ、紗月。先に帰ってる』

「……帰れてなかったら大変だよ」

「はは、たしかに。ま、デイが帰れたって言ってたから大丈夫だよね」

 深く頭をさげたデイの後ろ姿――

「……ね、花火って何時から」

 その瞬間まわりの装飾灯がすべて消え、あたりが一瞬真っ暗になった。

 ――ヒュー……ドン……パラパラ……

 大きな音と同時に空がぱあっと明るくなり、わあ、と紗月は思わず声をあげた。

 頭の真上で咲いた特大の花は夜空に自分の姿を焼きつけようとしているかのように、ほんのひとときそこにとどまっていた。その上に次の花が重なる。次から次へと色とりどりの花が夜空を埋めつくす。まわりから歓声や拍手がわき起こった。

「すごいね」

 振り向くとドノヴァンは夜空ではなくこちらを見ていた。花火に照らしだされたその表情にどきりとした瞬間、

「この花火が終わったら今日はおしまいなんだ」

 ――ほかの音が何も聞こえなくなった。

「このあと、俺、どうしたらいい?」

(……どうしたら)

 まわりがくり返し明るくなり、暗くなり、その明暗に翻弄されるように言葉が浮かんでは消える。してもいいこと、してはいけないこと、水を求める魚のように口を開き、息を吸ってははき、それでもどうしても言葉が出ない。

「……やっぱり、だめだよね」

 永遠とも思えるような時間ののち、ふっとドノヴァンの目から力がぬけた。

「また変なこと言っちゃった。ごめん、忘れて。花火見よ」

 大きな手のひらがくしゃっと頭をなでる。

『お会いできて幸せでした』

「――変じゃない」

 喉を圧迫する動悸を押しのけ、紗月は言葉を押しだした。どうなってもいい。まだ今日を終わらせなくてもいいなら、あと少しだけでも――


「一緒にいたい……」


 ドン、と大きな音が聞こえた。

 ぐい、と頭を引きよせられ、目の前にドノヴァンの香りが広がった。

 ドン、ドン、と音は続いている。その花火の音と耳の中で鳴り響く心臓の音が重なり、混じりあい、そのうちどっちがどっちかわからなくなった。

 胸が苦しくて息ができなくなる頃、ようやく唇が離れ、ドノヴァンが立ちあがった。

「帰ろう」

「……え、でも、まだ花火が」

「いいよ、そんなの。早く帰ろう」

「で、でも」

「いいから、早く」

 手首をつかまれ、ひっぱられるように紗月も立ちあがった。人混みをかきわけて中庭を出る。ドノヴァンが走りだし、二人は手をつないだままバス停まで走った。

 バスには誰も乗っていなかった。

 息を切らし、頭と体がばらばらになったような混乱の中、強く握られた右手だけが激しく鼓動を刻む。伝わってくる力と熱、離れたくない、離したくない、できるだけ、少しでも長く一緒にいたい――

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