8-4

 翌日、智偉はいつも通り起きて朝食を食べ、学校に行った。紗月は元気がなかったが、デイは智偉の目にはいつもと変わらないように見えた。何もかもいつも通りだったので今日が最後だという実感がない。ここまで来たらじたばたしてもしょうがないという気持ちもあったのかもしれず、感情の上澄みだけを使って体が動いているようだった。

 ところが放課後はいつもと違った。食料品店のシャッターが閉まっていたのだ。

 明日のアトラス祭の準備のため臨時休業、ファビアンとアドリアンも幼稚園後友達の家で預かってもらっている。「というわけだから。あんたたちもどっか遊びにでも行っといで」と何事かと飛びこんだ勝手口で追い払うように母親にひらひら手を振られ、「だって準備しなきゃいけねえんだろ。何かやることねえのかよ」とドネルが台所の中を見回したが、のんびりとエプロンにアイロンをかけているルウマの様子からすると特に何もないらしい。

「なんだよ、じゃ店休みにしなくてもいいじゃねえか」

「あはは、まあいいじゃないの、たまには」

 ごゆっくり、という声に背中を押されるように階段を上りながら、智偉はルウマが自分たちがゆっくりすごせるようにしてくれたのではないかと思ったが、口に出すのは好意を無駄にすることになる気もして言わなかった。

 ドネルの部屋はせまく、一方の天井がななめになっている。全体的に物が多く、ごちゃっとした印象だった。机の上に本が何冊か重ねておいてあり、そのうちの一冊の背表紙がふと目にとまって手にとると、あ、とドネルがばつの悪そうな顔になった。

「いや、その、何か手伝えればと思ったんだけど、やっぱり難しくて。ごめん」

「……いや、ありがとう。気持ちだけで嬉しいよ」

 しおりひもが十ページめあたりにはさまれている『地球との関係に関する考察』をぱらぱらめくって机に戻すあいだ、ドネルはうつむいて頭をかいていた。

「ドネルはアトラス様に会ったことある?」

「うん、覚えてねえけどな。ここの人間は生まれたらすぐ『間』に行くことになってるんだよ。俺はその一回だけ」

「そっか。――でも残念だな。君とルンゲの結婚式、見たかった」

 怒るかと思いきや、ドネルは「どうかな。そのうちあいつも気が変わるんじゃねえの」と肩をすくめた。

「……いや、ルンゲにかぎってそれはないと思うけど」

「だってこんなうだつのあがらねえ食料品店の後継ぎより、町でもっといい仕事してる男つかまえたほうが絶対幸せだろ」

「いやいや、うだつがあがろうとあがらなかろうと、ルンゲは食料品店のおかみさんになりたいと思ってると思うよ」

「どうだろうな」とドネルは赤と緑のチェックのカバーがかかったベッドにあおむけに寝転がった。

「ここの結婚式ってどういう感じなの?」

「……そんなこと聞いてどうすんだよ」

「いや、今後の参考に」

「なんだそれ。えーと」とドネルが話しているところへルウマが上ってきた。今日も夕飯を食べていくかと尋ねたが、今日は宿泊所で紗月とデイと三人ですごそうと思っている、と智偉が答えると、「ああ、そうね、それがいいわね。じゃ、ゆっくりしていってね」と笑ってお茶のお盆を置き、部屋を出ていった。

「智偉は将来何になりたいんだ?」

「そうだなあ、まだ具体的には決めてないけど、やっぱり宇宙関連の仕事がしたいな。子供の頃は宇宙飛行士になりたかったよ」

「なんだそれ?」

「文字通りだよ。ロケットで宇宙に行って、ほかの星の研究したりするんだ」

「いいじゃん、それ」とドネルが勢いよく体を起こした。ベッドのスプリングが大きな音できしむ。

「なれよ、宇宙飛行士。それでまたアトラスに来ればいいじゃねえか」

「……そうだな。そうできたらいいな」

「智偉ならできるよ。頑張れよ。俺はここで食料品店のおやじやってるからさ、また遊びにこいよ」

 ドネルは上半分は泣きそうな、下半分は笑いだしそうな顔で強く頷いた。


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