8-3

 にぎやかに夕食を食べ終え、ドネルの家を出たときにはあたりはすっかり暗くなっていた。

「うるさかっただろ」と頭をかくドネルの横で、智偉は一篇の映画を観終わったあとのような不思議な感慨にひたっていた。どんどんおかわりしてね、と言うルウマや弟たちがこぼすたびにふいてやるドネル、こんなに地球と変わらないのにここは違う星で、いつでも遊びにこられそうなのにそれは二度とできない。それでも感じていたのは悲しみではなく、会えてよかった、この幸せな光景を見ることができてよかったというどこか諦めに近い感謝の気持ちだった。

「君は本当にいい男だよな。お母さんの手伝いをして、弟たちの面倒もちゃんとみて」

「え? なんだよ、前も言ってたけど、そのいい男ってのは何なんだ?」

「いや、なんでもない。僕も見習わなきゃな」

 ドネルは訝しげに智偉を見上げ、小さく肩をすくめた。


「さっきはほんとにありがとう」

 宿泊所に戻るとすぐ紗月がやってきて頭をさげた。退場はしたもののやはり心配で――急に夕食をいらないと言ってしまってデイに悪いことをしたという気持ちもあり――急ぎ足で坂道を登ってきたのだが、紗月は拍子抜けするほど普段の様子に戻っており、それどころか「あのね、実はね」と嬉しそうに顔を輝かせた。智偉のことを伝えるとすぐ、二人分つくりはじめてしまったからとデイがドノヴァンに夕食を食べていくようすすめたらしい。

「でね、デイが食堂をレストランみたいにしてくれてたの。テーブルにテーブルクロスかけて、花とかキャンドルまで飾ってくれて。こんな普段着で悪いなあって思ったんだけど、ドノヴァンが俺もTシャツだから気にしなくていいって言ってエスコートしてくれて」

 想像はすぐに具体的なになった。キャンドルをともしたテーブル、向かいあって座る二人。きっと紗月は初め緊張して、でもデイの料理とドノヴァンのおかげでその緊張もすぐとけて、特別なディナーを、特別な一夜を心から楽しんだのだろう。

「へえ、よかったな。やるなあ、デイ」

「うん、感動しちゃった。一緒にいる間は泣かないってドノヴァンと約束したんだけど、そんなの無理なくらい素敵で……嬉しくて」

 はしゃいだ声がふととぎれた。

「泣かないなんて、無理……」

 細い肩が震えている。智偉はこぶしを握りしめ、膝に目を落とした。明後日の朝には紗月を残して先に帰らなければならない。自分のほうが体の回復が早かったということだろう、それでもたった一日の差、そこに何の意味があるのだろうか――そのときふいに閃光が頭の中を走った。

 自分たちが同じタイミングで目覚め、地球で顔を合わせる、アトラス様はそれを阻止したいのではないか。

 ――だとすると、地球で会えば記憶が戻るという仮説は正しいのかもしれない。

(……でも)

 一緒に帰れない。一緒に帰れなければ忘れてしまう。忘れてしまえば会うことができない――

「忘れても思い出せばいいんだよ」

 左腕を強く押さえる。肘の下に脈打つ痛みが強くなる。

「うまくいくかわからない、けど」

 紗月が顔を上げた。シャツの左袖をまくると、現れた幾筋ものかさぶたやみみずばれにはっと息をのむ音が聞こえた。

「文字にして持って帰るのはだめでも、体についた傷まではとがめられないと思うんだ。前にデイがポットを割ったことがあっただろ、そのときの破片で」

 地球にある本体にも同じ傷がついているはずだ。帰ったあと、その傷がわずかでも記憶をひっぱりだす手がかりになるかも――紗月が唇を引き結び、「それ、貸して」と服の袖をまくりはじめた。

「……だめだよ」

「だって智偉くんだけそんな痛い思いして、私もここにいるのにそんなの不公平――」

「だめだよ!」

 肩がびくっと震え、半分上がった袖からのぞく細い手首が智偉の手の下で動きをとめた。

「紗月は女の子だろ。体に傷なんかつけちゃだめだ」

 生成りのワンピースの膝にしずくが落ち、丸いしみになる。これでいい。もしうまくいっても、具体的に行動していなければきっと紗月には害は及ばない。神に逆らう危険をおかすのは自分だけでいい。

「大丈夫、帰ったらきっと僕が紗月を見つける」

 大丈夫、きっと大丈夫、こぶしを握りしめ、紗月に、自分に、言いきかせるように智偉はつぶやいた。

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