4-1

「やあ、紗月……あれ」

 笑顔の途中で言葉がとぎれ、形のよい、髪の金より少し濃い色の眉がもの問いたげに上がる。紗月が小さく首を傾けると、ドノヴァンは膝に手をついて隣のルンゲをのぞきこむように見下ろした。

「やあ、ルンゲ。その髪型かわいいね」

「……」

「今日も一緒に帰ってもいい?」

「……」

「だめじゃないってことはいいってことだよね。よし、じゃ帰ろ帰ろ」

 ドノヴァンが体を起こす。目が合い、紗月はそっとルンゲの手を握り直した。

 ルンゲと手をつないで教室を出るとドノヴァンが学校の玄関で片手を上げる。三人でルンゲの家まで行き、ドノヴァンとバス停まで戻る、ここしばらくの間でそれがすっかり紗月の日課になっていた。

 友達ならと頷いたものの、初めは顔もまともに見られなかった。しかしドノヴァンは三人でいる間はにこにこと紗月とルンゲの後ろを歩き、ルンゲと別れて二人になると隣に――ジーンズのポケットに手を入れたまま――並び、その日一日のことや町のことなどを明るい笑顔でいろいろ話してくれた。

 何日かたった夜、紗月は最初の日以来ドノヴァンが肩に手をまわすなど必要以上に接触してきていないということにふと気づいた。

 軽く思えるのは見かけだけで、本当は誠実な人なのかもしれない、というのはなんとなく感じていた。彼はその顔立ちにふさわしく女の子の知り合いが多いようだったが、二人でいるときに誰かに声をかけられても手を上げて返事をする程度で、目の前の紗月をないがしろにするようなことが一度もなかったのだ。つきあってくれというのも彼流のいわば挨拶で、自分にはその手の冗談が通じないとわかったのだろう、そう納得したことで胸を占めていた戸惑いや気後れする気持ちが消え、翌日紗月はいつものように学校の玄関にいたドノヴァンに自然に笑い返していた。サヤルルカでは九年生までは基本的に家の近くの学校に通うが、高校クラスは学校によって専門とする選択科目が違うため、試験に合格すれば違う村や町の学校で授業を受けることができるらしい。ドノヴァンは町に住んでいて、紗月とは逆方向のバスで毎日通ってきているそうだった。

 ときどき食料品店の店先にドネルがいた。初めは三人を見て驚いたようだったが、すぐに近頃ルンゲが一緒に帰りたいとうるさく言わなくなったのが紗月の存在のためだとわかったらしい。ドノヴァンのことはよく知らないようで訝しげな目を向けていたが、一度「最近おまえらが一緒に帰ってるのって高校クラスのやつか?」と尋ねてきただけでその後は特に言及してこず、智偉にも何も話していないようだった。

 紗月からもなんとなく智偉に話せずにいた。彼が帰ってくるのは毎日夕食のすぐ前だったし、その日ドネルと話したことや店であったことを話してくれる楽しそうな顔をよけいな心配でくもらせたくなかったのだ(驚かせるとまた吹き出してしまうという可能性もある)。夕食後は宿題をしたり図書館で借りた本を読んだりしているらしく、紗月も教科書や日本語の辞書を眺めたり、翌日の準備などをして交代で入浴室を使うとあっというまに一日が終わってしまう。窓から夜空を見上げるとまだ少し胸は痛んだが、アトラスの生活を満喫している智偉の姿によって不安や罪悪感が徐々に薄れていっているのも事実で、以前のように涙があふれてとまらないということはもうなくなっていた。ベッドに入って目をとじ、窓からの明るい光で目が覚める、日々はそれなりに心地よくゆるやかに流れはじめていた。

 そんな中、ルンゲの元気がだんだんなくなってきたのだった。今日もずっと黙ってうつむき、紗月が話しかけても首を縦に振るか横に振るかしかしない。ドノヴァンもポケットに手を入れたまま肩をすくめ、打つ手なしといった様子だった。

 食料品店まで来たとき、智偉とドネルが話しながら外に出てきた。

 ルンゲが立ち止まった。つないでいた手が離れた。

「ドネル!」

 半分涙が混ざった叫び声に驚いたようにドネルが振り向いた。

「なんで智偉とばっかり遊ぶの⁉ ずるい! あたしだってドネルと遊びたいのに!」

 ママがドネルもほかの人と遊びたいでしょって、お姉さんの我慢してあげてって言うから、あたしずっと、ほんとはあたしもドネルと遊びたいけど、我慢してたの、ずっと――足を踏み鳴らすせいで声が揺れてなかなか聞きとれなかったが、ルンゲが泣きながら叫んでいるのはおおよそこういうことだった。おそらくソフィアがドネルの母のルウマから智偉たちのことを聞き、二人のじゃまをしないようルンゲを諭したのだろう。紗月がここ何日かのルンゲの様子もまじえてそう説明すると、ドネルは抱えていた段ボール箱を地面に置き、困ったように頭をかいた。

「そんなこと言われてもな……ごめん、悪かったよ、ルンゲ。また今度遊んでやるから」

「やだ! 今度じゃやだ!」

「なあルンゲ、頼むよ。俺だっておまえ以外のやつと遊ぶ権利くらいあるだろ」

「やだあ!」

 ドネルはしばらくルンゲをなだめていた。しかしルンゲは泣きやまない。

「なんであたしばっかり我慢しなきゃいけないの⁉ 智偉なんか嫌い! 早く地球に帰っちゃえばいいのに!」

「おい!」

 ついにドネルの堪忍袋の緒が切れた。「ドネル、待って」と智偉があわてて止めに入ったが取りあわない。「智偉は謝ることねえだろ。うるせえルンゲ、泣くな!」「やだあー!」紗月はしゃがんでルンゲの背中をさすることしかできない。涙まじりのわめき声がますます大きくなっていく――

 頭を抱えていたドネルが勢いよくルンゲの肩をつかんだ。紗月ははっとして立ちあがろうとし――

「ルンゲ、俺と結婚しろ!」

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